エッセイのページ

以前から発行しておりました「亜本屋通信」に寄せられましたエッセイを再録いたします。

本屋です考

古川 実

全国の古本屋の屋号にはいろいろ奇抜なものがあるが「亜本屋」の店名も秀逸

の部類に入るのではなかろうか。屋号の由来についてお尋ねしたことはないが、

先ず頭に浮ぶのは関西弁の「阿呆」とか「アホンたれ」で多少自分を卑下して命名

したとすれば、ご主人吉川氏の誠実一点張りの人柄にふさわしいような気もする。

だが私は英語のパロディでないかと考えたりした。初級英語の教科書の第一頁に

ヂスイズ・ア・ペン(これはペンです)に始まりインクだとかブックが並んでいるが、

この式でヂスイズ・ア・ホンヤと日本語を挿入すると(これは本屋です)となる。つま

り「亜本屋」は英語風に「本屋です」の意味になる。これほど直裁簡明に職業表現

する屋号はない、素晴らしいパロディだ。などと無学の独り合点で悦に入っている

中に、不図古い記憶が脳裡に甦ってきた。

昭和初期、豊平小学校高等科二年の新学期に新しく各クラス共通の英語の先

生が来た。多分英語専科正教員という資格をもつ人ではないだろうか、尋常科に

も担任学級はないらしい。名前も忘れた。二十歳位の若い男性で色白の温和な、

女性的な感じがした。長髪でオールバックにしていた。教授の仕方も柔和で親切

で一点の非の打ち処はなかったが、敏感な生徒たちは先生の後頭部に大きな禿

があることを発見して忽ちコンドル(禿鷹)とニックネームを奉った。悲劇は英語教

科書に潜んでいた。或る日先生は授業のためリーダーを開いた時、そこに南米産

のコンドルの挿絵があった。教室の彼此から潮騒のように忍び笑いが流れはじめ

た。笑いが笑いを生み、やがて教室中が歓声に近い笑いの渦に満たされてしまっ

た。教壇で真青な顔で立ち盡くした先生はそのまま無言で教室を出ていったが、

それきり私たちの前に姿を現わすことはなかった。子供とは言え私達はなんと残

酷な仕打ちをしたことだろう。それきり私は先生のことは忘れてしまったのである。

先生が御存命であればお詫びしたいと思う。少なくとも八十歳を超えられるであろ

う。 先生ごめんなさい。

初出 1993.5

えぞ文庫さん

吉川 孝雄

 笠智衆という俳優がいた。小津安二郎の映画に出ていた頃から老人役で、近年には「寅
さん」の御前様役で知られている。えぞ文庫さんのことを思い出すと、イメージが重なる。
 月寒の店にいた頃、「やぁ」と笑いながらやって来た「えぞさん」を迎えた頃が一番鮮明に
思い出される。その頃は菊水の店を閉められて上野幌に移転された後だった。市内各店を
廻られては目録用の本を集めていらしたのか、当店にも月に一回位は来店していただいた。
 えぞ文庫さんの目録は『さっぽろ通信』といい「低価格の古書資料」とのサブタイトルが付
いていた。B4サイズ二つ折り12ページで600〜800点の目録で、主力商品は郷土史類の
本で、文学・美術・歴史関係も網羅したいわゆる雑本で構成されていた。和本・エンタイヤ
類も並べて写真も適度に配置された見易い目録だった。ところどころに本の解説とか、思
い出話の短文を入れて読んでも楽しい目録となっていた。
 目録については最初からえぞ文庫さんのお世話になっている。組合加入して後に当店で
も目録を発行したいと思ってはいたが、目録用に品が少なく、えぞさんに相談すると、当時
菊水にあった倉庫へ連れていっていただき在庫の中から好きな物を選んでいいと云われた。
その時3箱ほど選ばさせていただき、これがスタートとなった。
 その後美術書を主力に置くようになったが、これはという品には解説をつけること、エッセイ
を掲載することなど、えぞさんに学んだ目録作りのノウハウは貴重でした。えぞさんほど洒脱
な文章は書けなく、現在は挨拶文だけに留めておりますが、私の目録のスタイルは『さっぽ
ろ通信』と同じ体裁となっております。
 えぞさんにお茶を出して、取り置いてあった郷土史関係・和本・戦前戦後辺りの本など、評
価に迷う本を見ていただきますと、これが札幌版だとか、この本の著者は誰々と関係があると
か解説していただきました。「自彊の栞?これは知らないな」とか、えぞさんの知らない本もい
くらかあったようです。一通り見て、大抵の場合ほとんど買っていただきました。それを丁寧に
風呂敷に包んで担いで帰られました。後で目録を見ますと、きちんと解説が付いていたり、
思わぬ値になっていたりして、「おぉ出世したなぁ」と感心したものでした。
 えぞさんが入院してからお見舞いに行ったことがあります。大部屋のベッドに座って「放射
線療法をやっているんだ」と云っておりましたが、私も兄を癌で亡くしておりましたので悪い
予感がしました。まもなく亡くなられた訳ですが、その時も飄々とした表情には変わりなく、や
はり笠智衆氏のように彼岸此岸を超えた人生の達人のように見えました。古本屋として生き
切ったえぞ文庫(古川)さんは正しく私の師でありました。                 2005.5

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