エッセイB
『古書雑感』 坂野 守 |
_紀元二千六百年(昭和十五年)に旧制中学校に入学して間もなくから古本屋さん通いを始めた。初めは国 |
語教科書の原文を求めてである。それは、新東宝と向い合った並樹書店であった。おやじさんはいつもセー |
ルの着物で黒の前掛をして、ほそ身の額の広い人で、丁度、芥川龍之介に似た感じの人であった。 |
_また現在は各古本屋さんが皆、 二代目のバリバリの息子さん方であるが、そのおやじさんの先代の方々 |
は、それぞれに味のある方ばかりであった。石川さんは海軍の大先輩であり、初めて月賦で本を売っていた |
だいた。 北海堂の片腕のおやじさんには芸者年鑑を求めた時、ギョロ目で一べつされた。 また成美堂の川 |
人さんには東京転勤の時、教育勅語の図鑑を餞別に戴いた。 当時は南一條から南すすきのに至る間の古 |
本屋さんがお得意であった。 |
_小学二年生の時、陸軍大演習が北海道で行われ、各商店・ホテル・会社等で記念スタンフが置かれて居 |
たのを押して廻った中で、一誠堂さんの「蛍」の絵の付いたスタンプが強い印象を残した。また戦後間もない |
時、創成河畔に歳末年始の市に買い物に行き、途中で古本屋さんの大売出しに引っ掛り本を買って帰り、 |
大目玉を貰った思い出がある。世帯を持ってからの正月に、古本屋さんから年始のタオルを戴いて帰り、カ |
ミさんから驚かれた。古本屋さんからタオルを貰って来たのを見たのが、初めてとのことである。 私としては |
一般の商店と変わりなく感じていた事も、普通の人から見ると変わった事なのであるのかと感じた。また、四 |
十何年振りにようやく見付けた山岡荘八の「空の艦長」という本を発見した時は、思わず声を出して嬉び、周 |
囲の本を求めていた人々を驚かした事も、大きな想い出の一つになっている。 |
_古本やさん通いを始めてから五十四年は過ぎた今日、糖尿病の合併症状に悩まされて、すっかり腰から |
下が他人の身体の様になってしまい、足が棒の様に無感覚になり、歩行も不安定になってしまった。それ上 |
追手が眼科に来て、老人性白内症・網膜症・緑内症となっては、本も満足に見る事が出来なくなり、棚を追っ |
て廻る事をしなくなってから早や十年近くなった。 それからは半減した本探しを通信目録に求めた。 大天眼 |
鏡で細かい文字を読むというのは、益々ゝゝ眼は疲れると云うのが今の状態である。 |
_もん句を言っても古い本、新しい本を求めるのには此の方法しかない今の自分である。古本屋さんのはし |
ごをして、三、四軒廻っていた若い時分が懐かしく偲ばれる。あの店のこの棚の何段目に目当てのあの本が |
並んでいたと、古本屋さんの在庫を大体下検分して、頭に入っていたから楽しかったが、その場所に求める |
本がなかった時はショックでもあった。手の行き届いている古本屋さんはよいが、一廻りをすると手がほこり |
で眞黒くなるのが常であった。 |
_家に閉じ籠ってからは、時々送られて来る通信目録を相手に取り組んで居る。 手にするまでは全く判らな |
い、くじ引きみたいなものである。そんな訳で、古本屋さんの何とも云い知れぬにほい、古くさいカビのある様 |
な(こんな事を書くと今の立派な古本屋さんにお叱りを受けるかもしれん)棚を目で追って行く。 そして、その |
店の棚番みたいに覚えて行く事の楽しみがなくなった事だけは実に淋しい。 __初出 平成6年4月22日 |
坂野守氏は当店のお客様でした。美術の本と油絵のコレクターです。 |
自宅に「宮の森文庫」を設立。大丸藤井ギャラリーで二度にわたって |
「北海道美術史を彩った作家たち展」を開催。'97には芸術の森美術 |
館で「坂野守コレクション展」を開催した。残念ながら平成13年に亡く |
なられました。 コレクションは家族の方が守っております。 |