洲之内徹の本

青山敏夫


家族が寝静まってから台所にゆき、熱いお茶を入れ、止めているはずの煙草に
火を付けてから、お送りいただいた本のページをゆっくりとめくってみました。
見たことのない写真や、めずらしいエピソードが載っていて、とても興味深く読み
ました。昨年の夏に初めて「絵の中の散歩」を読んで以来、「気まぐれ美術館」6
冊と小説全集2巻、松山の郷土雑誌の特集などを集中的に読みまくり、すっかり
洲之内徹に惹きつけられてしまいました。
そして、ふとしたことから「芸術新潮」に彼の特集号があったことを知り、京都の

古本屋を何軒かあたりましたが見つけることが叶わず、後はネット頼みあるのみ、
と待っていたところ、はるばる札幌の貴店よりご連絡をいただいた次第でした。
元来何かにのめり込みやすい私ですが、こんなことは、最近久しくなかったこと
で、嘗てはビートルズにはじまり、、ジャズのエリック・ドルフィー、シャンソンのジ
ャック・ブレル、思想家のルドルフ・シュタイナー、森有正、作家の立原正秋、唐
木順三などに傾倒しましたが、ここしばらくは特別惹かれるような存在に出会う
こともありませんでした。
最初に洲之内徹を知ったのは、白州正子さんの「遊鬼」という本で洲之内さんの
ことを書いた文章を読んだときで、白州正子がこんな風に書く洲之内という人は
よほどの人に違いないと思ったので、そっさく丸善で「絵の中の散歩」を買ってみ
ました。私は大阪まで1時間半かけて毎日通勤しており、その内の1時間あまり
は特急の車中にあります。そこが書斎代わりとなって、毎日じっくりとその本を読
むことが出来ました。
読んでいて何故か不思議に胸が熱くなることが多く、作為の跡を感じさせない文
章が本当に味わい深く、私の心に染み入ってきました。帰りの電車の窓からは
サントリーのある山崎あたりの山々に陽が落ちる様子が遠望でき、ふと「西方

浄土」という言葉が、柄にもなく浮かんだりしました。
ちょうどその年の6月に、父親を92才で亡くしたばかりということもあって、7才
年上でありましたが(洲之内さんは大正2年生まれ)、ほぼ洲之内さんと同時代
を生きた父への追慕の思いが濃かった時期だったこともあったかも知れません。
息子さんを交通事故で亡くされた時の悲しみを、淡々とした筆致で綴った、「赤ま
んま忌」は彼の文章の中でもとりわけ評価が高く「絵の中の散歩」の冒頭にあり
ますが、その文章に出てくる息子さんが亡くなった京都の「松ヶ崎総作町」という
場所は、偶然にも私の家から車で5分程度のところでした。
思いもかけない洲之内さんと京都との関わりに、私は一層の親和感を抱きまし
た。

青山敏夫様は本の注文をいただいたお客様。メールに書いてきた文章に感心して、エッセイをお願いしました。「気まぐれ美術館」を読み返す同志としてこれからも永くお付き合いをお願いしたい方です。
mailto j-pierre@xg7.so-net.ne.jp  
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