エッセイのページ
横浜の一艸堂・石田書店の御主人。私もこの人の本を読んで古本屋になりました。
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二つのアンソロジー |
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石田 友三 |
| 古本屋になって十五年が経った。この間が自分にとっていかなる意味を持っていたかは |
| 今後を考え続けることとして、身近な変化の一例を二つの文学全集に見てみる。 |
| その一つは「全集・現代文学の発見」本巻全16別巻(学芸書林)である。本巻は昭和42年 |
| の初めから44年の3月にかけて順次発行されたから二昔以上前の印象だが、別巻が出た |
| のが遅れに遅れて49年の7月、また愛蔵版として51年に全巻再発行されているから、私が |
| 古本屋になった時代の文学状況を直裁に反映していると言ってよかろう。 |
| 責任編集は大岡昇平・平野謙・佐々木基一・埴谷雄高・花田清輝の五氏で、読者から見 |
| たら綺羅星のごとき大家ばかりである。各巻に付されたタイトルも、たとえば「方法の実験」 |
| 「革命と転向」「証言としての文学」「歴史への視点」等々、人間に対して真向から対峙する |
| ものとして文学を扱っている。 就中「存在の探求」「青春の屈折」はそれぞれ上下巻を編ん |
| で編者の力点を示した。大杉栄や江馬修、夢野久作、内田百闢凾煌ワまれているが、ある |
| 意味では戦後民主主義の、伝統的文学観の集大成と言えようか。 |
| もう一つは「ちくま文学の森」本巻全15別巻1(筑摩書房)である。 これが一昨年から昨年 |
| にかけて配本されたものであれば、現在の文学状況そのものとも言える。 仄聞するところ |
| ではかなりの発行部数というから、その意味でも現代を象徴していよう。 安野光雅・池内 |
| 紀・井上ひさし・森毅の四編集が付したタイトルは、たとえば 「美しい恋の物語」 「恐ろしい |
| 話」 「とっておきの話」 等、なぜかやさしく読ンデミマセンカと囁くごとき按配である。いずれ |
| を見ても、屹立した文学、といった表情はない。浅田彰の宣伝文によれば、「これは徹頭徹 |
| 尾なんの役にもたたない文学選集だ。なんて素晴らしいことだろう!… 面白いという以外 |
| になんの意味もない言葉の森だ」 |
| とあり、だから売れたのだとの声も聞こえてきそうだが、私なんぞはとまどうばかりだ。 な |
| にかの役に立てようと文学に接近する読者がいるはずはないと思っても、面白さの尺度は |
| 読者の数だけあるというのが書物の大前提ではなかったか。 ま、浅田彰はどうでもいい。 |
| その証拠には、この筑摩書房版の編集も多伎にわたる。外国文学の翻訳も少なくなく、 |
| 一方では広沢虎造演「三十石道中」、三遊亭小円朝演「千早振る」なんてのもある。 尾崎 |
| 一雄「虫のいろいろ」 加藤道夫「なよたけ」 武田泰淳「ひかりごけ」に加えて、O・ヘンリー |
| 「最後の一葉」 アポリネール「ミラボー橋」等の名作が人生を彷彿とさせる。 |
| しかし、全体に小振りとの印象は否めない。数十分で読めるものといった編集方針があっ |
| たのかどうか、最長かと思えるものでも梅崎春生「ボロ家の春秋」がせいぜいである。 いっ |
| そ「ちくま短篇の森」としてみるか。 |
| アンソロジーの性格上やむを得ぬといわばいえ、学芸書林版には井上光晴「地の群れ」 |
| 石上玄一郎「自殺案内者」 谷崎潤一郎「卍」 の中編もある。人生なる言葉に則して見れ |
| ば、中野重治「村の家」 李珍宇「手紙」 久坂葉子「ドミノのお告げ」等々枚挙にいとまがな |
| い。白状すれば私は、能島廉「競輪必勝法」をこの全集の別巻「孤独のたたかい」の中で |
| 初めて読んだのだった。 |
| その別巻に「この本のなりたち」がある。「ここに、これだけの作品を示すことが出来たと |
| いう事実がある。私たちはこれをなし得た。そして、これ以上をなし得なかった」 |
| その言やよし、と大書しよう。この言明が「編集」の全てを表している。 |
| 他方、筑摩書房版を見ると、編者の一人がこんな不調法をやっている。第14巻の解説文 |
| が届かず、井上ひさしの詫び状「スミマセン」 をそのまま代用品として載せているのだ。 解 |
| 説を書けなかった理由を書くほうも書くほうなら、載せるほうも載せるほうだと私なら思うが、 |
| 善意に解釈すれば、伝統的解説観も亦変わってきているのかもしれない。それならいっそ |
| 解説ではなく「ゴタク」とでもするか。 |
| 結果的に「全集・現代文学の発見」の肩を持つことになった。時代意識といってもよく、世 |
| 代論で割り切る人もいようが、それでも一向にかまわない。 ただ、次の事実が私にと って |
| どれだけ重いか、再確認するだけである。 |
| 学芸書林版を眺めていると、オイルショックに苦慮していたころの勤め人だった自分が見 |
| える。 売りたい文学書や学術書ばかり蒐めていた駆出しの古本屋の自分が見える。 そし |
| てしばらくして、自分の商売を冷ややかに見つめている現在の自分が見えてくる。 二つの |
| アンソロジーに挟まれて、さて、私は“成長”したのだろうか。 1990.04 |
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古本屋であること |
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石田 友三 |
| 私事で恐縮ながら、古本屋の店舗を閉めて六年半余が過ぎた。以降はタウン誌などに広 |
| 告をうち、あるいはチラシをまいたりして、細細と買取りだけを続けている。神奈川組合は幸 |
| いに週二回の交換会があり、他に貸本組合にも毎週市場が立つから、商品の処分にこまる |
| ことはない。遠隔地の郷土史類を入手した際には、当地の組合に送って市に出してもらった |
| りもする。 |
| 買取り専門を名乗って覚束無いのは、客の側から見て、当方がいかなる古本屋であるのか |
| が分からないことである。真面目なのかそうでないのか、どういう方面にくわしいのか、買取り |
| 値が正確なのかいい加減なのか、店舗で面構えだけでもさらしてやれないのだ。だから電話 |
| でいきなり、こんなことを言う客もいた。 |
| 「稲垣足穂って知ってますか」 |
| 著書の数冊の書名を披瀝し、いや、と考え直す。これは古本屋というものの矜持にかかわ |
| る設問だろう。 |
| 「そんな著名人を知ってますかなんて、古本屋を馬鹿にするんじゃない。あなたとは取引 |
| きしたくないから他を当たりなさい」 |
| ぺちゃっと電話を切る。彼はすぐにかけ直してきて、失礼しました、処分したいから買って |
| くださいと言ったが、そんなのと顔を合わせるぐらいなら昼寝のほうがましだ。だから頑固おや |
| じといわれるのかもしれない。 |
| 若い声の女性で、百科事典やらなにやら、書名をあげたものをことごとく断わると、切り口上 |
| でこう迫るのもいた。 |
| 「じゃあ、どういうものなら買ってくれるんですか」 |
| 当方は閑人堂の異名を持つ天下の”ひまじん”ではあるが、そんな手合いとは無縁でいた |
| い。 |
| 「あなたの所には江戸時代のものはないですよね」 |
| さすがに、失礼しましたと折れた。 |
| コミックスでも商品であれば買取る。しかし、絶句する例もある。 |
| 「どれくらいの量がありますか」と問うと、 |
| 「三冊です」と返ってきた。 |
| 「あなたねえ、三冊を買いに来い、というんですか」と訊くと |
| 「いけませんか」とのたまう。 |
| わが人生はなんとみすぼらしいのだろうと感じるのはこういうときだ。硬い書籍が売りがたく |
| なって、いいときに店を閉めたねと妙な褒められかたもするけれど、人間の変質の度合いが |
| おそろしいというべきだろうか。 |
| それでも、売れなくなっていても、店舗を構えていたころの自分が恋しい。あれは私の未完 |
| の作品であった。何年も何年もかけて、売れれば無くなってしまう書物をそろえていく。古今 |
| 東西にこういう書物がある。この書物の面構えはどうだ。そういったことどもに再照射の好機を |
| 与えるのが古本屋であるのだろう。 |
| ずっと以前に古本亜本屋の目録に書いたのだったが、こういう文章が私は好きだ。 |
| ―私たちが払った努力については言うべきではない。ただ、ここに、これだけの作品を示 |
| すことが出来たという事実があるだけである。私たちはこれをなし得た。そして、これ以上 |
| をなし得なかった。是非の判断は読者の側にある。 |
| これは〈全集・現代文学の発見〉全16巻・別巻1巻(学芸書林)の編者の言である。古本屋 |
| の棚を編む思想と同じではないか。 |
| 閉店以来、私自身を具現したものの喪失に悲哀を抱きしめている。そして一方で、ちょっと |
| 硬派の書籍類には腰が引けるという現実がある。店の再建は絶対的に不可能であり、私は |
| さ迷う老人になるしかないのだろう。 |
| けれども、買取りを続けることによって、古本屋であり続けたいと希っている。 本について |
| しゃべることが好きだし、本をいじっていることが好きだ。わが亡きあとに洪水は来たれなど |
| とは言わないから、せめてあと十年余、本の周辺で動めいていたいというのが私の衷心に |
| ほかならない。 2004.10 |
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