札幌・古本・ダンジョン

 

STAGE.1 アスカ古書界へデビューする。

 一条橋を渡って右に折れ、少し走ると屯宮神社がある。境内の車寄せに駐車
して、社務所がある三階建てのビルの二階が札幌古書組合の交換市の会場で
ある。二階に上がると、ロビーになっていてその奥の会議室が見える。すでに長
机が並べられていて、本が積み上げられていた。何人もの人達がウロウロして
いるが、一寸見には若い人も年配の人もいて、どういう集団なのか判らない。 
しかし皆一癖ありそうな顔をしている。得体がしれないが、まさか素人上りだから
といって噛み付かれることもあるまい。少し気後れしながら室内を見回すと、奥の
方に談笑している知った顔を見つけた。
 「おはようございます」と挨拶しながら近づくと、理事長の蝦夷書房さんが私を
見とめて「おお、よく来た。今日から組合に加入した飛鳥書林さんだ」とまわりの
人たちに紹介してくれた。私は作ったばかりの名刺を渡しながらそれぞれに挨
拶して廻った。
 「おおいカンゲツさん」と蝦夷さんが声をかけた。本を整理していた集団の中か
らゴマ塩の坊主頭の男が振り向いて近寄って来た。「事業部長の寒月堂さん。
カンゲツさんは月寒で飛鳥書林さんは平岸だから一番近いだろう。カンゲツさん
こちらは今日から組合に入ったアスカさんだ。よろしく面倒みてやってくれ」と蝦
夷さんが紹介してくれた。
 カンゲツさんは私の渡した名刺を見ながら「よろしく。平岸の…、そうか以前に
平岸古書のあった辺りか」と言った。「平岸にはね、何軒も古本屋が出来ては潰
れていった所だよ。結局、今は南平岸の2分の1と中の島のブックオフだけかな。
残っているのは。大丈夫かい、やっていけるか?」と聞いてきた。
 「店はまだ開いたばかりで、客は少ないですが、ネットでやっていくつもりです」
私は答えた。「そうか、ネットならどこでもいい訳だ。うちの組合にもネット専門業
者もいるけれど、店はあった方がいい。仕入れられるからね」カンゲツさんはうな
づいて、会場を見回した。「さて、ここが札幌組合のセリの会場だ。札幌組合では
月に一回やっている。出品も仕入れも参加できる。組合に入れば東京の市にも
参加できる訳だ。アスカさんは専門は何だい」「外国文学を専門にしたいと思って
おります」「フム、タルヤと同じか。あそこのメガネの男が小樽の樽屋書店だ。当
面のライバルとなる。ただし金が無い。強気で行けば本は買えるさ。右の列から
第1回2回3回と開札していくから本を見てきなさい。欲しい本があれば札を入れ
ていく。札の入れ方は後で教えるから、まずは見て来なさい」と言って傍を離れ
て行った。
 会場内は長机を2本ずつの列で3列にならべられ、本が積み上げられている。
左側の列の半分ほどに椅子も置かれてお茶の用意もされている。机に載らない
分は壁際にも積み上げられ、それぞれに封筒が付けられている。封筒の中に札
を入れていくようだ。今日は見学だけのつもりだったが、本を見ていくと中々興味
深い。文学全集あり、雑誌の山があり、文庫もコミックスも束に縛られて積み上
げられている。左側の机には一冊の本で封筒が付けられている。これは高い本
なのだろう。但しいくらで買えるのかは判らない。皆は本の山を崩して調べたり、
傍らの人と小声で相談したりしながら小さい紙に数字を書いて入れている。私は
「飛鳥書林です。よろしくお願いします」と挨拶しながら本を見て廻った。中でも気
になった山が2つ3つある。ユリイカのバックナンバーの山は例のタルヤさんとい
う人が調べている。文庫と新書の山の中にサンリオ文庫が10冊位混じっている。
うちの店向きの文庫が少ない。どうしょうかと考えてしまう。中程の机に
私向きの本があった。国書刊行会のゴシック叢書が何冊かあり、他にナボコフ
とかネイサンの本が入り「海外の文学」シリーズも何冊かもあり、26冊の山だ。
買うのならばこれかなと決めて、カンゲツさんを探した。
 「札はこれ。まず店の名前を書いて、金額は上から大きい順に書く。えーこれ
かい。バーセルミ、ピンチョン、何者だ?フランス文学か」「いえアメリカ文学です」
「知らんな。カリガリ博士ってドイツじゃなかったっけ。えーと、こういう訳の判らな
いものは一冊500円パーか…。いかん!タルヤが見ている。奴は知っているな。
ならば一冊1000円か。うーん18000ちょいか」さっと封筒に触って「札は入ってい
るな。あいつは18000まで入れなくても他の奴がな。確実に手に入れたければ
2万円までだな。それでペイするかい」「ええー何とか」「こういうのはどれ位の値
を付けて何冊売れるかで逆算するんだ。たとえば5冊売って元が取れるとかな」
「はい。2万で買えれば何とか」「それじゃ上の札は2万いくらか、下の札は1万
八千いくらと書くんだ。端数を付けた方がいい。ヒゲというのだが、80円とか端数
を付けると、それで勝てる場合がある。ホントに10円差で決まることもあるから」
「はい。ではこれで」私は20580円と18580円と書いた。「いいだろ。1万円以下は
2枚札だが、1万円以上は3枚札となる。10万円以上は4枚札だな。これは1万
円以上だから、もう一つ数字が書ける。あと15000円位でもう一つ書いておきな
さい。今日払えなければ、支払いは来月でいいから。利子は付くけどね」
 時間となって開札が始まった。落札値と落札者が封筒に書かれて正面の机に
持って行かれる。帳場という所だ。係の者が確認をして読み上げられる。
「山川方夫全集・中原中也全集 8150円 蝦夷書房さん」とか次々にアナウンス
される。「残念!」とか「よしッ」とかの声が聞える。私は落札された本を見て廻っ
て値段を確かめた。思ったより安く買えるようだ。これなら参加して行けるだろう
と思えた。しかしこの値段で売ってもいいのかと思える品もあった。今の時代、
相場は安いのかもしれない。
 さて、私の入れた外国文学の山だが、20580円で私が買えた。カンゲツさんも
喜んでくれた。「なんといっても品物を手にした方が勝ちだからな。後は仕入値
を忘れて売る事だ。うまくいけば元が取れる」と言われて、ホクホクと喜びながら
店に戻った。しばらく後になって、樽屋書店と仲良くなって聞いた話ではタルヤさ
んはこの品物には15000円までしか入れていなかったとの事。 19000円まで入
れて値を突き上げたのは実は寒月堂の札だったという。寒月堂さんに確かめる
と、ニヤリと笑って「授業料だよ」と言った。やはり恐ろしい世界に入ったのかも
しれない。
 

STAGE.2 アスカ初めての宅買い。

 本棚を眺めながら携帯電話をかけた。
 「あっ、カンゲツさんですか。飛鳥書林です。実は今、中の島のお客様の所へ
本を買いに来たのですが、思ったより量が多く、半分ほど引き受けて貰えないか
と思いまして。はい、ご主人の残した本を全部片ずけてくれと言われまして。はい
それはそうなのですが、うちは店が狭いのでセリまで置いておく場所がないもの
でー。いえノリでというより文学関係は私が買わせていただいて、他はカンゲツ
さんに引き受けていただければと。はい文学以外は歴史の本があります。全集
も何本か、歴史読本がかなり揃っていますし、単行本もおもしろそうなー。はい、
日本城郭大系がありますし、復刻ですが江戸切絵図というのも見えます。はい、
荷物はうちの車で運びますので。はい、お待ちしています」
住所を告げて電話を切り、飛鳥書林で欲しい物を選り分け始めた。
 外国文学はあまりない。世界古典文学全集と角川の世界の詩集があり、中国
詩人選集の第1集がある。戦後版のルナール日記があるが、状態は悪い。日本
の作家では井上靖と司馬遼太郎の本がかなりある。これもいただくか。三田村
鳶魚全集と定本柳田国男集が揃っていないのが惜しい。聞いてみると人に貸し
たままになっているらしい。八切止夫の本がいくつかあった。日本文学全史があ
り、谷崎源氏と円地源氏さらに村山リウの源氏物語もあるが、さすがに瀬戸内源
氏はない。全集類は多いのだが、少しづつ足りない。なんだかキキメの巻が無い
ような気がする。数多いハードカバーの棚から文学評論と随筆の本を選ぶ。
 寒月堂さんはバイクでやって来た。スーパーカブというやつで、新聞配達とか郵
便配達に使われるバイクだ。58歳のカンゲツさんだがフットワークは軽い。小回り
が利いて、どこにでも止められて、荷物もダンボール箱2・3個は積めると言う。
 「よう、アスカ。一口物にあたったなぁ」カンゲツさんはビニール紐の大きな束を
手に下げて部屋に入ってきた。「これか、なるほど」振り向いて案内してくれた奥
さんに「拝見させていただきます」と頭を下げた。そのまま本には手を触れず棚を
順番に凝視していく。一通り本を眺めると、私が取り分けた本の山に素早く眼を
走らせた。「どうだ、書込みとか線引はなかったか?」「私が見た限りではありま
せん。一部に献呈本が入っていましたが、買った本には記名はしなかったのかと
思います」「うん。帯のない本もかなりあるが、月報なんかは?」「これがー、きち
んと揃っていないのもあるようです」「うん。本人が亡くなっているのでは出てこな
いな」そう言いながら一番上の棚から本を下ろし始めた。見ていると大体本の大
きさ別に積み上げていく。「日本城郭大系が19巻、20巻揃えば3万というところだ
な。歴史読本が5年分くらいか。歴史と旅、歴史公論は20冊ずつくらい。これか
江戸切絵図は、しかしこれは読売新聞の付録だ。もっと大判で高いやつの方か
と思っていたよ。おっ折口信夫全集しかし足りないな、どこか別の所に…ないか」
と呟きながら本をまとめていく。「この日本の歴史と世界の歴史は使い物にならな
い。催事で1セット1000円とかそんなとこだな。日本史探訪はまだ読み応えがあ
る。こちらのヴィジュアル日本の城は売り易いな」
 壁一面に並べられた5本の本棚から本を引き出して積み上げていく。持ち易い
分量でビニール紐で縛っていく。カンゲツさんが来てから1時間半ほどで本棚は
空となった。これを玄関に運び出す。飛鳥書林分を先に車に積みこむ。寒月堂の
分は残り3分の2位あるが、目見当で車に積み込める量だろう。
 「さて、アスカの分はいくらになった?」本を積み込んでカンゲツさんが聞いた。
「3万位です」「フム、金はあるか」「一応5万円持ってきました」「わかった」家へ
戻ると奥さんがお茶を出してくれた。「大変貴重な本をありがとうございました」
カンゲツさんは頭を下げ、メモを取り出した。「ええ、文学関係で3万円。歴史の
全集類で3万円。全集類は多いのですが、残念ながら欠本が多いのです。揃っ
いればもう少し出せるのですが、あと雑誌と単行本で2万円となります。合計で
8万円でいただきたいと存じますが、いかがでしょうか?」「それで結構です」
「それではここに…」と封筒から8万円出して渡した。「ご主人はキレイに本を扱
っていらして助かりました。これを次ぎに必要な方に渡すのが我々の仕事となり
ます。ありがとうございます。さて一旦、本を運んで、もう一度戻って残りを積み込
みます。あと1時間位で終ります」と言って家を出た。私はカンゲツさんに3万円を
渡して、平岸の店に荷を運んだ。
 荷を積んで月寒へ行く。寒月堂は古本屋になるまえから何度か訪れていたけ
れど、同業者となってから訪れるのは初めてだった。荷物を通路に積み上げる。
お茶を入れるというので商店街の駐車場に車を止めて店に行く。寒月堂は15坪
ほどの店だ。2階があり、住居と倉庫になっているとか。本棚はきちんと分類され
ている。一応何でも扱っているがコミックスはなく児童本が一棚分ある。郷土史
はあまり力を入れていない。文学関係は中々味がある。欲しい本はいくらかある
のだが、確り値付けしてある。
 「ご苦労さん。今日は全部で8万で買ったけれど、仮に6万でも4万でも一括で
買って歴史関係をセリに出せば8万位になったかもしれないよ」とカンゲツさん。
「はぁ、まだ見当が付かなくて…」と私は言う。「これらはセリに出されますか?」
「いや、全部は出さない。目録用と催事用に分けて、どちらにも使わないのを出す
かもしれないな」「たとえばの話ですが、この日本城郭大系を揃いで出したらいく
らになりますか」「そうだな、セットで10万売りというところだから欲しい人は5万位
出すかもしれないな」「なるほど」「今回は出さないよ。一度は自分で扱ってみた
いじゃないか。目録に一度使ってから、売れなければ大市にでも出してみるか」
「大市?」「ああ、まだアスカさんには説明していなかったな。札幌組合では年に
一回大市と称していつもの倍以上の規模で市会をやる。案内は近々送るが、今
年は10月の7日だ。その時は東京・大阪ほか道内各地からも出品されるし、お客
も来るから賑やかになるし、本も高く売れる会だ」「それは面白そうですね」「全員
参加で仕事をしてもらうから勉強になるぞ」と笑ってカンゲツさんは言う。
 「一寸待って」カンゲツさんは2階へ上り、ダンボール箱を2つ抱えてきた。私の
そばに置き、覗いてみろと言った。上の箱は軽い。フタを開けてみると本の帯や
月報などの紙類が現れた。月報は三田村鳶魚全集とか、折口信夫全集など。
これは?と顔を上げてカンゲツさんを見ると、下の箱も見るようにと促された。下
の箱を開けてみると案の定、行方不明だった全集の欠本が入っている。
 「あの先生は以前からウチのお客さんだったんだよ」カンゲツさんは静かに語り
始めた。「窓のそばの机の前に貼り紙があったのに気が付いたか?古本屋と書
いて電話番号を書いてあった。あれはウチの番号だよ。古本屋を呼ぶ時はこちら
を呼ぶようにとの指示だったのだな。しかし奥さんは近くのアスカさんを呼んだ。
結局アスカが私を呼んだから同じ事になったがな…。今から10年くらい前だが、
先生はこの近くの月寒公民館で講座を持っていたんだ。『源氏物語を読む』だっ
たかな。以前は高校の先生だったらしい。ウチの店に来るようになって、ウチが
売った本もかなりある。1年ほど前からかな、リックに少しずつ詰めてこれらの本
を持って来たんだ。預かってくれという。いずれはウチに売る本だからいいだろっ
て。10回位は運んで来たかな。終りの方は体力が無くなったか月報とか帯を持っ
て来た。亡くなったのは2ヶ月ほど前か、まぁ四十九日は済んでいるか」
 「なぜそんなことを?」「わからん。でも想像は付くな。コレクターと家族の確執
なんてよくある話だが、それが少しエスカレートしたのかもしれない。家族が本を
売ろうとしても価値が下がるように仕掛けたというところだろう。月報や帯なんて
コレクターか古本屋にしか価値が解らない。奥さんはさっさと片ずけたがっていた
から余計な事は言わなかったのだか、あの状態でキチンと揃っていたらウチでも
15万位は付けていたぞ。高く買う店なら20万になったかもしれない」
 欠本を補充したり、帯や月報を合わせるようにと箱を預かった。カンゲツさんが
先生と呼ぶ、あのご主人は老年となってコレクションの行末を考えたのだろうが、
「妄執」という言葉が思い浮かんだ。箱はやけに重かった。

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