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Absolute line

 
 ノスリはハチクマの上昇力にまったくついて行くことができなかった。
 海岸線を越え、ベタ凪の海峡の上空はやはり雲が全くなかった。青い色ガラスのような
空は遠近感を狂わせる。散開した二機のハチクマをユサとアイズの二機が追いすがったが、
瞬発力で勝る自慢のターボエンジンも、高度二万フィートからの上昇ではハチクマの相手
にならないようだ。イライはコクピットで対気速度計を確認する。四〇〇ノット近い。全
速力だ。十分に速度を稼いで操縦桿を引く。ハスミとイライの二機もハチクマを追う。た
だし、ユサとアイズの二機とは方向を変える。変針せずに上昇に転じたハチクマを、ノス
リの四機は二つのエレメントに分かれ、挟撃する作戦に出る。
 加速度計が三から四の間で揺れ動く。これ以上のGをかけると速度を失う。イライは操
縦桿をやや戻す。身体がやや浮かぶような錯覚に陥る。長く水中で遊び、陸に上がったと
きのような、自分の身体が自分のものではないような感覚。首を巡らせて澄んだ空にハチ
クマを探す。
 いた。
 一時の方角に、二機の機影がはっきりと見える。距離は、四マイル、あるだろうか。ま
だ離される。水平飛行に戻したノスリのエンジンは全開、プロペラピッチも最大角度、そ
れでもハチクマには全く追いつけなかった。なんだあれは。タグサリが帰らなくなったあ
の日の光景がよみがえる。俺を置いていくのか。高度計は二五〇〇〇フィートを指してい
る。相手との高度差はもう三〇〇〇フィート以上あるかもしれない。ユサとアイズはまだ
上昇を続けていた。イライは増槽を切り離したい衝動を何とかこらえていた。ハチクマも
まだ増槽を切り離してはいない。
 すでにかなり沖合まで飛行していた。
「イライ、雲を曳いてる」
 一瞬計器類に目を落したとき、ハスミの声が耳を打った。顔を上げる。上空に二筋のコ
ントレイル。ハチクマが曳いているのだ。美しい。瞬間でも思った自分を悔いる。違う、
あれを墜とすのだ。高度計が三万フィートを越えた。ヒーターが備えられているとはいえ、
コクピットはいよいよ真冬の夜のような気温になっているはずだ。が、イライは寒さを感
じない。感じるのは、……屈辱ではなかった。寂寥だった。
「イライ、見えてるか」
「見えてる」
 応えながらハスミ機を向く。キャノピーの中でハスミがイライを一瞥した。そして、ハ
スミ機の向こう、ユサとアイズの二機が緩やかなバンクをとって右に旋回していた。先行
しているのはユサだ。アイズはややローリングが大きい。速度を奪われるぞ、そんなこと
を思っているうち、二機のハチクマが視界から消えた。
「ヒムロ・イチ。サン、ヨン、聞こえるか」
 ユサの息が荒い。
「ヒムロ・サン。イチ、何だ」
「ハリエンジュが急降下した。方位二七〇」
 ハリエンジュは二機のハチクマのコールサイン。コントレイルを曳くのを嫌ったか、ハ
チクマの編隊は速度と高度を利用して、一気に降下を始めていた。似ている。タグサリが
やられたあのときと。
「ヒムロ・イチ。ハスミ、イライ、カバー。アイズ、来い」
 ユサとアイズは緩やかな右旋回から左へ急反転、そしてそのまま機首を下げ、海面へ向
かってパワーダイブを開始した。ほとんど最大速度に近い状態だ。増槽を下げているとは
いえ、ノスリのロールは鋭い。しかし、この速度で急ロールを打つには、腕力と度胸がい
る。ついでに体力も。だからイライは、身体がわずかに躊躇したのをさらに悔いた。わず
かな時間の躊躇のあとで、イライとハスミの二機は背面に入れる。操縦桿が重い。それで
も引く。頭上に海面、足下に太陽、襲いかかってくるGにうめきながら、頭上から重石を
載せられたような首に力を込め、先行する二機のノスリと、そのさらに先のハチクマを目
で追う。キャノピーを猛烈な風切り音が包んでいた。五〇〇ノット近い。海面が日を受け
ててらてらと光っていた。そこにハチクマのシルエットが浮かぶ。二機はまだしっかりと
編隊を組んでいる。背後につこうとユサとアイズが追いすがる。その様子がよく見えた。
見えているうちはまだ負けではない。イライのノスリは機首をほぼ垂直に、海面へ向けて
落ち込んでいた。引き起こせ。操縦桿が石になったように重い。左前方のハスミ機の翼端
から真っ白いヴェイパーが発生している。ハスミはイライよりいくらか若い分、思い切り
もいいのかもしれない。旋回半径が小さかった。高度が速度へぐんぐん変換されているい
ま、急激な旋回でエネルギーを失う心配はあまりない。三万フィートから一気に一五〇〇
〇まで落下した四機と、悠々と先行する二機の新型は、再び水平飛行に移りつつあった。
四機のノスリはわずかだが高度の分がある。
「ユサ、行け」
 ハスミの声。それにユサが無線機のオン・オフ二回で応えた。ユサの位置は、スナップ・
ショットでハチクマのウィングマンを墜とせる。ジャイロ式照準機の中に、あの特徴ある
機体の一部でも入っているだろうか。イライはゴーグルの内側がわずかにくもりかけてい
るのに気づく。汗だ。
 ユサ機がハチクマに接近する。ユサはやや右にバンクを取りながら襲いかかる。相手を
急旋回に誘おうとしている。ハチクマが不得手としているらしい、旋回戦に。もらった、
きっとユサは思ったに違いない。が、次の瞬間、ハチクマのウィングマンは左へ急激に機
体を滑らせ、主翼を海面にたいして垂直に立てたあと、上昇を開始した。息を飲むほどに
急激な動きだった。ヨノイの言葉が耳に戻る。ロールが不得手だって? かもしれない。
が、旋回開始と同時に上昇を開始するとは、自殺行為だ。四〇〇ノットを超えるかという
速度は、高度を得るのに引き替えて一気に失われるだろう。それはハチクマだろうがノス
リだろうが同じだ。
「ヒムロ・ニ、アイズ、アイズ、追え。ハリエンジュ2が逃げた」
 ユサの甲高い声。アイズが応え、鋭く機体を左へロールさせ、ハチクマを追う。二機の
ハチクマは二手に分かれた。
「ヒムロ・イチからサン、ヨン。サンはハリエンジュ2、ヨンはハリエンジュ1を追え」
「了解」
 ハスミは応えるが早く、急上昇してくるハチクマを追い上げる。それを視界の端に見な
がら、イライは右へ旋回、キャノピーの中央にユサ機を捉え、その先に見えるハチクマの
リーダー機、ヨノイを追った。ヨノイ機はまだまっすぐに飛んでいた。それぞれに二対一
だ。
「イライ、奴に速度を稼がせるな」
「わかってる」
 ユサの声がますます甲高い。
 イライは粘っこい操縦桿をゆっくりと手前に引きつける。人差し指は機銃の引き金から
浮かせたまま。実弾は装備しているが、よもや味方機を撃墜するわけにはいかない。安全
装置は解除されていない。それが、やや物足りない。曳光弾を撃ち込むのとそうでないの
では、相手に与えるプレッシャーが違う。
「イライ」
「右だ、右」
 ヨノイ機が二機のノスリを引き離しにかかった。水平飛行のまま、旋回も降下もせず、
増速している。性能の差を見せつける気だ。この状態でこちらが旋回をすれば、その分距
離と速度を失ってしまう。イライはそっと、ヨノイに気づかれるか気づかれないような動
作で、少しずつ高度を上げる。速度を失わない程度の上昇率で、上がる。ユサは高度と方
位を維持したままでヨノイ機を追う。じりじりと離される。
「……勝負にならないじゃないか」
 ユサがつぶやくのが聞こえた。無線のスイッチをオンにしたままだ。わざとか。どこと
なく昨夜のヨノイの口調に似ていた。お前、ハチクマに乗りたいんだな。イライは苦笑し
ながら、まだゆっくりと上昇を続ける。ヨノイは気づいているか。追いかけ続けているユ
サ機に気を取られ続けていてくれれば、多少は目がある。視線を走らせてハスミとアイズ
を探したが、見える範囲にはいなかった。
 ユサ機がイライの視界から消える。イライ機の機首の陰に入った。ユサ機の高度と、そ
の先三マイルほどで増速しているヨノイ機が同レベルにいるなら、自分と彼らの高度差は
五〇〇フィートほどか。もう少し欲しい。まだ欲しい。上昇を続ける。ヨノイはまだ加速
している。ユサがじりじりとさらに離される。上昇している分、イライはさらに離される。
なんとなく間延びした空中戦だ。緊張感がない。そう思った。そう思えるくらいの時間を
かけて上昇した高度を、イライは一気に捨てた。順面のまま機首を下げる。胃の内側がせ
り上がるようなマイナスGに身体が浮かぶ。操縦桿をそっと、しかし大きく突く。行け、
ノスリ。スロットルを最大に。エンジンは素早く加速する。
「ユサ」
 イライは呼びかける。瞬間、ユサ機が急横転、翼端からヴェイパーを引きながら、左へ。
ヨノイは驚いたのか、反対側の右へ機体を振った。かかった。イライはまっすぐ、マイナ
スGを感じたまま、ハチクマにつっこむ。いま、ノスリの主翼の抵抗はゼロに近い。主翼
上面と下面を流れる空気の速度が一致しているとき、機体はもっとも負荷をなくしている。
気づいても無駄だ、チェック・メイトだ。イライは胸の内側をゾクゾクとさせるマイナス
Gに耐えた。リフトで自由落下しているようなこの感覚は、いつまでたっても慣れること
はない。嫌いだった。が、これで行けるはずだ。ヨノイさん、ご愁傷様。照準機のど真ん
中にヨノイ機の機体が入った。これで引き金を引けば、二〇ミリが彼の機体をバラバラに
してくれる。ユサもまた左にバンクしていた機体を素早く右へロールさせ、ヨノイを追っ
た。
「イライ」
 ユサの声。
 ヨノイさん、さっきの右旋回が失敗だったね。イライはマスクの中で大きく息を吸う。
決まりだ。
「ハリエンジュ2からヒムロ・ヨン。撃墜した」
 リコーダーのような声が、頭の中に直接響いたような気がした。イライは大声を上げて
いた。
「なんだ?」
「ハリエンジュ2から、ヒムロ・ヨン。……イライ大尉、あなたを撃墜した。攻撃を中止
せよ」
 振り返る。イライ機のすぐ後ろに、もう一機のハチクマがいた。なんてこった!
「ハスミ?」
「ハスミ中尉、アイズ少尉はサンルまで後退した」
 リコーダーがまた聞こえた。サンルは、「撃墜」された場合に待機する目標となっている
港街の名だ。
「バカな、二機ともやられたのか」
 ユサが叫んだ。
「三機です。ユサ大尉」
 イライはプロペラピッチを巡航位置まで戻した。スロットルも同様に。するするとハリ
エンジュ2、二機目のハチクマが並んでくる。
「三機目のイライ大尉も先ほど撃墜しました。イライ大尉、サンルまで後退してください」
 イライはボイスで返す代わりに、機体を背面に入れる。天地が逆転する。空だか海だか
よくわからない、今日の空気の色。前方のユサ機、ヨノイ機、水平線、そして隣に並んだ
ハチクマがくるりと回る。背面から引き起こし、スプリットS機動。太陽が背中にまわっ
た。
「カンナリ、お疲れ」
 ヨノイの声。ああ、確かにやはりユサの口調に似ている。純粋培養組に共通する、無垢
な響きだ。
「ヨノイ大尉、作戦終了です」
「燃料残量は」
「三〇〇ノットで四十分飛べます」
「十分だ。ジョイン・アップする」
「ハリエンジュ2、了解」
 イライも燃料計を確認する。増槽は空っぽだ。ただの抵抗でしかない。が、実戦ではな
い今日は投棄できない。機内燃料はまだ十分。ただし、こちらの巡航速度は二五〇ノット
だ。それで五十分程度飛べる。
「ヒムロ・イチ。ヨン、聞こえるか」
「聞こえてる」
「帰投する。編隊を組み直す。ニ、サンと合流」
「ヨン、了解」
 最大速力までスロットルを叩き込んでやりたかった。気づかなかった。背後ぴったりに
ハチクマが食らいついてきていることに。見晴らしのいい水滴型キャノピーのノスリは、
死角らしい死角がない。垂直尾翼、主翼、そして胴体は死角だが、上半身が機体から突き
出るような形を取るコクピットを用意されていながら、背後を取られた。どこから来たん
だ。下か。ならユサが気づいているはずだ。では、上から来たというのか。
 イライはわからなかった。
 正面に、二機の機影。ハスミとアイズだろう。無線で呼びかけては来なかった。代わり
にトランスポンダの質問電波が来た。イライは黙ってそれに応えてやった。
 屈辱だ、と思った。が、それ以上にわき起こってくる感情があった。
 それは、やはり、寂寥、寂しさだった。



(2005-03-14)





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