煙草の火は自分で点けたいものです。
瓶入りのコークをさんざん飲みたい今日この頃、実は帰宅途中のセブンイレブンで危う
く発狂しそうになったのでした。なぜって?
やはり悲しみが見えてしまったのです。
さて、わたしは「モーニング」を探しに札幌新道でダークな2速全開をくれてしまった
のだよ。タイヤはもうぼろぼろ、ああ懐かしい1994年の日本グランプリ実況。そして過
給圧が1.1を記録したあとで、わたしはセブンイレブンに立ち寄ったのでした。サイドタ
ーン? そんなことしてません。危ないもの。何の刑だよこれ。なんだ、動物観察の刑か。
拷問だ。これは拷問だ。失敗だ、この企画も失敗だ。
そこで立ち寄ったセブンイレブン。
「モーニング」はありましたよ。その前になぜか「ヤングジャンプ」をパラパラ。聞か
ないでください。読んでいるマンガは実は一本もありません。まずいですよ。目が見えな
くなってきました。もうあとさき短いわたしにかまわないでください。
「ヤングジャンプ」は昔から腑抜けたマンガが多いのですね。ええ。高校生の頃は読んだ
りしてましたよ。腑抜け切ったマンガを。ええ。きっとあの頃は夢があったのですね。「ジ
ャンプ」に連載していた困ったマンガも読んでましたよ。ええ。知っている人は笑ってく
ださい。そのマンガの通算4巻目は今でも懐かしいですね。「いっしょに、寝ようか? ポ
リポリ」「いや」「そっか。じゃあ、おやすみ」「うそ」。キャキャキャ!
まだ実家にあるなぁあれ。すみません、ブックオフで立ち読みしたのはわたしです。清
見オレンジを食べ尽くしたいま、わたしは先ほどアイスを食してしまいました。なぜかと
いうと、うぐいすもちも食ってしまったからです。
あこがれのセンパイとファーストキス。
わかんないからINFORMATION。
まあそれはいい。メルカバ。マリエットフィールド。
それはいい。
で、「モーニング」でイージス艦の話を読んだあとで、わたしはエンド陳列されていたマ
ンガを立ち読みしてしまったのだよ。「ドラえもん」があったのでつい読んでしまった。
19時55分。よくわかったね。
やはり藤子不二雄は天才だったのだなぁと。努力する天才。
実は手塚治虫より藤子不二雄より好きですね。藤子不二雄は藤本弘のほうが好きですね。
すみません、むかしペンネームに使ってました。旭川のKSさん、お元気ですか? こと
あるごとにそれを持ち出してわたしをいびらないでください。よろしく。
藤子不二雄先生でも出色なのは、短編SF集だと思うのですよ。これはすばらしい。安
孫子素雄の方は、実はわたくし苦手なのであります。ストレートなブラックさ加減という
のは、たぶん人柄を表しいているのだろうなぁと。最近テレビにも出てこないですね。藤
子不二雄(それも藤本弘)が、明るく健康的な子ども向け漫画、というのはまあ、ちょっ
と一面しか見ていないのかなぁという気もするのだけど、「ドラえもん」も十分シュールで
残酷だしなあ、なんて思いながら、エンド陳列にふと発見したSF短編集を手に取り読ん
でしまったのが運の尽き。
感極まってしまったのが、「未来ドロボウ」だったかな。これは作者の心境もある程度表
しているのかもしれないけれど、とても残酷。猛烈に残酷。これを読んだ時点で、かなり
もう死にたくなっていたわたし。で、「やすらぎの館」。やられてしまいましたよ。
どうにもこうにも、自分の人生が走馬燈のように蘇ってしまって。過去の世界ね。
わたしたちが過去と感じる時間の羅列は、それは記憶によるものだから、本当のところ
時間など流れていないのかもしれないと思ったことはないでしょうか?
時計のみによって時間を感じることができるのなら、それは時計そのものが時間である
というわけで、そのことは偉大なる錯誤だと思いませんか? 過去は二度と取り戻せない
し、振り向いたら眺めることができる方向軸に、わたしは過去という時間は存在していな
いと思うのです。ホーキングの宇宙論を持ち出すまでもなく、わたしは時間旅行などそれ
こそ机上の「タダの」空論に過ぎないのではないかなと。時間軸なんて存在しているの?
わたしは存在していないと思う。
わたしは、記憶そのものが「過去」であり、だからこそ、人それぞれの記憶自体が歴史
であって、「過去」と定義されるものは、すべて個々人の記憶の中にだけとどまるものだと
思うようになったのです。
封じ込められた記憶は、その記憶を記憶しているたとえばわたし、たとえばあなた、記
憶メディアであるわたしたちの脳が破壊された瞬間、「わたしたち」の過去は消滅してしま
うのですよ。
そう考えると、同じだと思っていた過去は、話す相手によってまったく異なるのではな
いかなぁと思うわけです。
記憶が戻る。
たぶん自分の脚色で大幅に実際のそれとは違うのだろうけど。
すべてが懐かしく、すべての色彩がまぶしい。そんなことはないですか? ようするに
過去のことだけが輝いている。
あのころはみんないた。
ごめんなさい、ちょっとタイプできなくなってきた。
わたしは現在かなり危険な状況にあるようです。
ベイルアウトしてください。早く!
キャノピーが射出されないので、キャノピー・スルー・ベイルアウトするしかないでし
ょう。現在の戦闘機にはフェイスカーテンハンドルってついてんですか? よくわかりま
せん。キャノピーブースト。
ベイルアウトに至らない、それでもスコーク77でした。失礼失礼。話を続けましょう。
ようするに、わたしの中で過去はすべて悲しい世界に満ちているのです。
はじまった瞬間に、すべては終わろうとしているわけで、何もかもが終末へのカウント
ダウンですよ。やがて同じ部屋で過ごしていたはずのひとたちは、ひとりまたひとりと席
を立っていくのです。わたしを残して。
楽しかった記憶も、大事だった人も、きっと容赦なくその部屋から出て行って、残るの
はわたしだけです。生けられた花も、テーブルの上のカップも、あのひとたちが残してい
った食べかけのお菓子のかけらも、ぜんぶその痕跡は残酷なまでにそこにあるのです。
部屋から見える窓は輝いていて、あふれる光は昔と変わりません。ただ登場人物が変わ
るだけです。同じシーンは一度として繰り返さないのですよ。
取り戻せないから、その部屋から出ることができないのです。
わたしはただ、暖かい日差しを受けたまま、絶望的な快晴の空を見上げて、去っていっ
たひとたちの思い出だけをそこに感じて、二度と出ることのできない部屋の鍵を探すこと
もできないで、ひたすら終末を待つだけです。
そんなのはごめんです。
結局、人生はすべて置き去りなのではないか。
わたしは置き去りにされるのですよ。
こうしている間も、時計が時間だと仮定すれば、時間はどんどん流れていく。大切な時
間がどんどん流れていく。共有できるはずの時間も、何もかも、カウントダウンの声が発
射台に響くように。
Tマイナス、何秒?
残念ながら、リフトオフしたあとは、わたしの時計にTプラスは存在していません。
実はこれだけの思考が、20時過ぎから十数分間にわたってわたしを襲い、死ぬかと思い
ました。いや、いっそ死んだ方がよいのですよ。
わたしという存在が消えるということは、何度も繰り返しているように、わたしとわた
しを取り巻く世界が消滅することを意味するからです。
確かに世界は消滅するでしょう。
すべてをわたしは失うでしょう。
しかし、失うだけで、もう得ることもありません。得ることがないということは、もう
失うこともないのです。
失うことがもうない幸せ。
これを理解できる人は残念ながら、CONIFERの北條次憲さんだけのようです。ラジオ
で聴きました。ありがとう。
わたしはもう、失いたくはないのです。
だからもう、得るものはいらない。
わたしと呼ばれる世界が消滅したとき、あの忌まわしい白い部屋も消えるのです。
席を立つのはわたしです。
去っていく人たちを追うのではなく、わたしが部屋を去るのです。
あの残酷なほどに暖かい部屋を、わたしは真っ先に出たい。
そう思います。
夢を見ますか?
夢は、いわばデフラグとか、スキャンディスクのようなものらしいのですが、わたしは
夢を見るのが嫌いです。
いや、面白い夢も見ますが、たいがいが悪夢とくくられる世界の羅列で、だらだらと絶
望の塊を上映されると、わたしの精神が破壊されるのですよ。
動物もまた夢を見ているらしいのです。稲村先生の言葉を借りることもなく。実際、脳
波を測定すると、夢を見ているとしか思えない反応が出るそうで。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
それより、わたしの悪夢を撤去して欲しい。
わたしの悪夢の大半は、過去と呼ばれる方角へ向かって失踪するのです。
そこはじつは、あの白い部屋と同じ場所で、あの夢の世界は、やはりあの白い部屋の中
にあるのです。
自分の声で目を覚ましたことがありますか?
わたしは何度もあります。
なぜか号泣しながら目を覚ましたことがありますか?
わたしは何度もあります。
冗談じゃない、あんなのが毎日続いたら発狂してしまう。
いや、おそらくは世間的にいうとわたしの夢は悪夢でもなんでもないのでしょう。
悪夢ではないはずです。
穏やかな風景、そしてかつて経験した風景が、そのままわたしの中の世界に残酷に蘇る
のです。
つらすぎて死ぬ。
まだ、間に合う。
まだ、あの白い部屋には、わたしの知っている人たちがいるのです。
談笑しています。
生けられた花もまだきれいです。
花が枯れないうちに、部屋を出ないといけません。
いまわたしはそういう心境です。
(2004-03-18)