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七つの空

 
 五つの風と三つの雲と七つの空を分けて、マグカップに注ぐのは一握りの悲しみ。
 十二の天国から伝わった、四つの涙を混ぜて、ひとつのカップに一気に注ぐ。
 九個並んだリンゴの右端、そこだけ赤い。
 右回りの針を人さし指で触れて、つま先から湧き上がってくる絶望を握った。
 駆け抜けていくのは五つの風。
 見上げるのは七つの空。
 たったひとつのカップに、数えきれない悲しみを注ぐ。
 こぼれていく涙の数を、わたしは知らない。

 飛び立つ勇気をとどめる気分にはならない。
 旅立つ彼の衝動を君にはわからないだろう。
 遠いはずなのに、目の前が見える。
 君自身の心が、絶望という力を借りて走り出す。
 わたしの胸元に突きつけられたのは、いくつも交差する世界のしっぽ。
 たったひとつのカップには、溢れるほどの悲しみ。
 君は熱にうなされて、十七の水を飲む。
 消えかけた思いだけ、喉が鳴る。
 叫びが伸びる。
 長く、果てへ。

 左から二本目の指が、右から三二番めの鍵盤を叩く。
 君の正面で右と左の腕が交差する。
 掠め飛ぶ寂寥と、のぞきこんではいけない記憶の淵。
 足を踏み外すから危ないよ。
 わたしはカップから溢れる悲しみを、どうすることもできなくて。
 いまこぼれ落ちた涙は、幾つめ?

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 バナナが一本。
 食べてしまいました。
 不思議と甘さがすごく優しくて、その優しさだけでもわたしは死ねると思いました。
 煙草の吸殻が灰皿から溢れようとしていたので、捨てました。
 考えるまでもなく、今日もまたダークさ加減は全開です。生きることに意義があるのか? 
きっとないのですよ。
 生活の変化もなく、帰宅直後の心地よい疲労に包まれたまま、二度と目を覚まさないこ
とを願いますが、叶いません。叶ってほしいのに。
 実は、左腕が痒くて困っています。
 とても痒いのです。
 物理的な傷は癒えるのに、精神的ダメージはまったく治癒しません。えぐられるような
痛みを側頭部の奥で感じます。
 どういうことでしょう。
 ひどい天気です。
 晴れわたる空が眩しさをましていたから、もう春が来たんだとようやく実感しました。
吹きつける風がやはり冷たくて、考える暇も与えてくれない日々の生活をわたしは呪いま
す。自分が望んだのかもしれませんが。
 風がどこから吹いてくるのかを考えたことがありますか?
 雲はいつでも同じ方角へ流れているように思っていませんか?
 空や街や山や森を、書割のように思っていませんか?
 そうした生活に疑問ももたずに生きていませんか?

 鳴らないのが当たり前の電話を、ポケットに入れたまま忘れることが多いのです。
 もともと電話が好きではないくせに、いざ話し始めるととんでもなく長電話になってし
まいます。どうしてでしょう。話すことは好きです。とりとめもない話を一晩中するのが
好きです。そんなとき、アンテナが伸びているんだなと思います。アンテナの角度によっ
てはおかしな話もしてしまいます。それでもいいと思っています。
 けれど、いくらアンテナが伸びても、一人で話しているととてもだるくなります。
 そうなのです。
 わたしはときどき一人で会話しています。
 これが案外楽しいのです。
 シャワーを浴びながら、なぜかベラベラしゃべっていますね。
 身体によくないような気がしますが、いまこうして書いているこの意味不明の文章もま
た、シャワーを浴びながら会話している一人芝居とまったく同じ方角へ向かっています。
結局口にするかしないかの違いです。すべてが同じです。

 朝が来るのが恐怖に近いです。
 目が覚めても悪夢が続いているのです。
 そんな気分。
 なぜ目覚めてしまったのか?
 けれど、目が覚めなければ、永遠にあの悪夢からは逃れることもできないし、文法が整
っていて、筋道が通っている分、同じ悪夢でも、目が覚めてからはじまる一日の方がまだ
ましかもしれません。そう思ってはいけないのかもしれませんが。
 よく、「このまま夜が明けなければいいのに」と思います。
 闇に包まれているときが心地よく感じませんか?
 自分の姿を見なくてすむからです。
 そのときだけ、わたしは夜と同化している気がします。夜と、ではなく、闇と同化する。
目を閉じるとやはり意味不明の波紋が飛び交い、やがて思考がとりとめもなく分散してい
きます。現実世界と自分の思考が織りなす意味不明で分裂気味の夢の世界へと、思考が移
行しようとしている瞬間です。
 移ろう光線の加減のように、全身をけだるい疲労感が包み込んだ夜、自分の思考が夢と
現の世界を行ったり来たりしているのがよくわかります。十秒前の自分の思考と、現在の
自分の思考が会話をします。これは比喩的表現ではなく、実際にそう感じるのです。
 入眠直前の思考は、それくらい境界が曖昧で、複数の自分がいます。要するに、何人も
の自分がいろいろな思考を同時に行っているのです。これはとても興味深いです。
 口をついて出る言葉は意味を持たず、それは同時に思考が存在しているから、自分の口
から出る言葉を制御できないのであって、そのことを分裂と呼ぶのであれば、確かに入眠
直前のわたしは分裂しているのだと思います。
 同じ思考を維持できなくなったら、眠りの世界の扉はもう半分以上開いているのです。
そんなときは抗ってはいけません。
 抗うと、全身が覚醒してしまうのです。
 自分の思考も曖昧になり、自分の身体ですら空気と同化していくような感覚で、ぼんや
りと境界をなくしていくのに、たった一粒の「リアル」が、わたしを覚醒させるのです。
そんなとき、わたしは自分自身の思考を停止させるしかありません。
 目を閉じていても「目を閉じている」自覚がまったくないように。
 瞼を閉じていても、眼は何かを見ています。
 比喩的にも、実際にも。
 閉じた目が闇を映し出して、そして次に「見えなく」なったとき、まったく別の世界が
眼前に広がります。
 入眠したのです。
 その瞬間をわたしは覚えていません。
 わたし自身の世界が終焉を迎えるときも、同じ気分なのでしょうか。
 だったら、わたしは今すぐにでもこの世界を終わらせてしまいたい。
 そのあとに見える物が何もなくても。
 物を見る目も、見た物を感じる思考も何もかもが消滅した自分を、わたしは強く望んで
います。
 考えることも考えない。
 「無」もない。何もないもない。
 宇宙の年齢は150億年ともそれ以上とも言われています。
 宇宙が誕生する前には、「何もなかった」と考えられています。
 空間も時間も物質も何もない。
 「無」というものです。
 その「無」の揺らぎから、この宇宙は誕生したと思われています。
 「無」の揺らぎが、熱的膨張を始めた瞬間を「ビッグバン」と呼ぶそうです。
 「ゼロ」が「ゼロ」であるように、存在していない数字を「ゼロ」と呼ぶように、誕生
前の宇宙には、「無」すらもなかった。
 わたしの理解を超えた世界です。
「何もないもないもない」
 わけがわかりませんが、わたしの世界が終わったあと、わたしという存在はきれいさっ
ぱりなくなってしまうのでしょう。苦しみも悲しみも何もかも。
 それは誕生前の宇宙と似ているかもしれません。
 しかし、わたしの「世界」が収縮を始め、やがて「ビッグクランチ」と呼ばれる劇的死
を迎えるとして、しかしその後はあるのでしょうか?
 わたしと呼ばれる意識もすべてが消滅したあと、仮に次なる世界が誕生したとき、わた
しは「わたし」であることを認識できないでしょう。
 「無」の揺らぎからは無数の宇宙が誕生したとも考えられています。
 もし個々人そのものが「世界」だとするならば、その考えも案外しっくり来るのです。
 「無」から意識が誕生し、意識が外界と自分を境界線で分け、それぞれを認識した瞬間
に「自我」が芽生え、「自」と「他」を認識できるようになります。それは「世界」が誕生
したことになります。その人の「世界」です。
 世界は「世界」で満ちています。
 物理学者たちが考える「宇宙」と似ていなくもない気がしませんか?

 こんなことを考えるのは、タイプしている自分の指をどこか遠くで眺めているような感
覚に襲われているからです。
 先ほどまでの自分の姿を、わたしは三十度首を回した先に見ることができます。
 そして、そこからここへ、なぜ移動したのかをわたしは覚えていません。
 健忘ではなく、どんな意思を持ってここまでやってきたのかを覚えていません。

 不可解です。



(2004-03-23)



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