頭に浮かんだ言葉は帝政ロシアでした。
わけがわかりませんよ。
帝政ロシアですよ。するとニコライ様ですよ。よくわかりませんよ。
実は一週間ほど前に携帯電話のアンテナがぶち折れました。
かなりがっかりです。
それでも電波状況は変わりません。ようするにアンテナはあまり関係なかったのでしょ
うか。そんなことはないはずだ!
●近況報告●
デリコのアルバムを聞きました。
よいです。とても。
あいかわらずの英語日本語ちゃんぽんですが、文句はありません。
音をぱっと聴いた瞬間、「あーデリコだなぁ」と思えるんだからたいしたもので。やはり
プロは違います。エレキギターとアコースティックギターの対比がやはり気持ちいいです。
アコギをきちんと聞かせてくれるなぁと。
エレキでいうと、これでも昔はB'z好きて、本当はヤマハのMG-MUGが欲しかったけ
れど高くて手が出なかったので、今持ってる同じヤマハのRGX521DMを弾いてるわけで
すが。楽器もきっと高いといい音がするんでしょうが、わたくし、楽器を歌わすほどの技
量がありません。なので悲しいことに、フェンダーのテレキャスとかリッケンバッカーな
んかを買ったところで意味がありません。ギブソンレスポールは高いですね。実物見たこ
とありません。リッケンバッカーは札幌市内のとあるレストランで見ましたが。
ピアノほしいでね。
それよりピアノをきちんと弾ける技術がほしい。
ピアノはあるわけですよ。15万近く出して買ったエレピが。これまたYAMAHAなんで
すが。別にYAMAHAフリークというわけではないのですけれど、気づいたらYAMAHA
だらけです。ギターにピアノに音源、ついでにリコーダー。
リコーダーはバカにできない楽器だと思うのですが、小中学校で使われてるのでバカに
するひとも多い。プロのリコーダー奏者もちゃんといます。
そしてなぜ私のATOKは、「奏者」を「掃射」と変換するのでしょう。すっかりミリタ
リーです。機銃掃射には戦術的意味はあんまりないそうですが。今ではピンポイント爆撃
ですよ。たぶんケチなんですよ。成層圏(といっても言葉の上だけで、実際のところは対
流圏ですが)を大編隊を組んで戦略爆撃機が絨毯爆撃をする時代は終わりました。コスト
的にはどうなんでしょう。F-15Eが一発何千万、何億(円)もする精密誘導爆弾や対地ミ
サイルをぶち込むのと、B-52が3万フィート彼方から爆弾を雨アラレのように落っことす
の。よくわかりません。費用対効果はどうなんでしょう。よくわかりません。
兵器の話はどうでもいいです。実のところわたしには何の関係もないからです。
しかし、成層圏という響き。
英語だと「ストラトスフィア」ですね。フェンダーのストラトキャスターは関係あるの
でしょうか。
ストラトスフィア。
対流圏はなんと言うのでしょう。
トロポスフィア。
高野健一の「スフィア」はいい曲です。
というわけでデリコをやめて、「スフィア」を聴くことにしました!
いま聴いているのは、藤田陽子版の「スフィア」。
かわいらしい声で。
しかし、まあ曲調には合ってますが、こういう声はどうでしょう。
実は嫌いじゃないですが、どうでしょう。
というわけで、アルバム版の「スフィア」です。
スフィアは球体です。
バイオスフィアで「生命圏」のような意味になります。
近況報告なのに近況報告になっていません。
どういうことでしょう。
なんというか、世の無常を感じてしまいますね。
どうなっているのでしょう。
わたしたちは「平等」などという言葉を安易に口にしてもいけないし、信じてもいけま
せん。なぜなら人は、というよりも生命は平等ではないからです。
いまさらそんなことを言ったところで、みなさんご存じかと思いますが。
それをどう理解し、納得するかによってずいぶんと生き方が変わってくるのですよ。き
っと。平等でありたいと願うか、平等であるように努力するのか、果たして「平等」とは
どういった状態を指すのか。
定義すら出来ません。
ただひとつ、等しく誰にでも訪れるのは世界の終焉=死です。
仕方のないことです。
死に急ぐことはありませんが、止めません。
生きることに意味を見いだすこと自体に無理があるのかもしれませんが、人はそういう
生き物です。生きることに意味がないと、生きる意味がありません。
禅問答みたいだけど。
同年代の知り合いが相次いで結婚します。
そんな歳になってしまったのですね。
私はまだですが。
未来の話はできません。不確定要素がありすぎるからです。
けれど、結婚は当分ないなぁ。
こればっかりは相手がいないとどうにもできないしなぁ。
相手もいないし。
思い出すのは、小学生や中学生の頃、それら結婚してしまう友人たちと毎週のようにで
かけた山や川の風景。
あるマンガに描いてあったけれど、「あのころ」の空はいつでもまぶしいくらいに晴れて
いて、「あのころ」の友人たちや知り合いはみんな活き活きとしていたような気がする。
昔は札幌に住んでなかったから、小学生や中学生の頃の記憶は、札幌から130キロ離れ
たあの街に封じ込められている。
雪が溶け、春が来たころ、友達と自転車に乗って、毎週末ごとにでかけていたのは神居
古潭という、旭川から20キロ弱のちょっとした渓谷。
石狩川が岩盤を削って作った渓谷で、そこは川幅がとにかく狭くなり、あのころは水深
が50メートル以上あると聞かされても信じていた。一度落ちると渦が巻いているから二
度と上がってこられないとか。本当のところの水深は20メートルもないようだけれど、
いま見ても渦のでき方や旧国道沿いの風景、山の形や展示されている蒸気機関車は変わら
なくて、かえってそういう「変わらない風景」は「変わってしまった自分」を容赦なく引
きずり出すのでつらい。そういう感情にとらわれると、「もういいだろう。そろそろ終わり
にしよう」という、疲れたカップルが口にするような言葉が出てくるのです。もちろんこ
の場合「終わりにする」のは自分自身なんですけど。
追憶がいかに残酷か、私はここ一、二年の間に思い知りました。
感情というものが湧いてくるそのよりどころは、きっと追憶の中にあるんだろうと漠然
と感じます。
「あのころはよかった」とは手垢にまみれた感傷的な言葉ですが、なぜその言葉がある
のかを考えてみたとき、やはり本当に「あのころはよかった」からだと思うのです。
思い出すのは、週末自転車を走らせて遊びに行った神居古潭のサイクリングロードだっ
たりするし、夏の晴れた日曜、友達数人とゲームや釣りやプラモデルの話をしながら走っ
たサイクリングロードは草いきれが立ちこめていて、とにかく暑くて、けれど、時折どこ
からか冷気が頬をなでて気持ちよかったことや、途中の雑貨屋でアイスキャンディを買っ
て食べたこと、石垣にヘビがいたこと……。
初夏の日、あれは招魂祭の日。旭川はもともと陸軍第七師団が置かれ、軍都として発展
した経緯があるので護国神社があります。六月には護国神社のお祭りがあり、なぜか毎年
雨が降ります。けれど、記憶にあるのは晴れた日でした。ときどき晴れるのです。友達と
露店を冷やかしたり、音楽大行進を見たり。懐かしい。
転校生が来たこと。
同級生が授業中にいなくなり、担任の先生が探しに行ったこと。その日は天気がひどく
悪くて、雷が鳴るような雨の日だったこと。
小学4年の遠足で、学校から2,3キロ離れた公園まで歩いていき、なぜか怪談話をし
たこと。
あのころは世界が広かった。
移動にかかる時間がいまの数倍です。
バイクや車は確かに便利だし楽しいけれど、世界を縮めてしまったような気がします。
小学生の頃は、旭川の街はとてつもなく広くて、だから札幌なんてずっと遠い街で、自
分の世界じゃなかった。
いまでも札幌の街は自分の街じゃないような気がしてならないのだけれど、きっとそれ
はそういう記憶があるからだと思う。やはりこの街は「僕の街」ではないと思う。
学生時代の記憶はまだ新しいから、札幌の街を懐かしむような追憶がまだないのです。
旭川での18年間が仮に美化されたものであったとしても、それでいい。
あのころあの街は自分の街で、とても広かった。
学校の授業の記憶はあまりないけれど、休み時間だとか放課後の記憶はいくらでも湧い
てくるのです。いまでも夢に見ます。
どういうわけか自分が高校生になっている夢が多いんですけどね。
記憶が今のままだから、「制服が見つからない」「教科書がない」とかしょうもない夢ば
かりなんですが。
きっとこうして人は老いていくのですね。
本当に、「もういいや」って思います。
思い出す記憶がつらくて。
それは「つらい記憶」だからではなくて、どうしようもなく光り輝いているから、もう
二度とああいう幸せだった時間は取り戻すことができないから、「もういいや」とふと思っ
てしまうのです。
いまが幸せじゃないとはいいません。
けれど、「無邪気に幸せだった」あのころと、いま過ごしている時間はまったく質が違う
のです。
あのころはみんないた。
それの違いです。
登場人物はもう増えないんだと思います。
増えない方がいいのかもしれない。
なんとなくそう思います。
(2004-05-03)