部屋がどうしようもなく散らかっているのです。
しかし片付けようとする意思もまた低いのです。
意欲がありません。残念です。残念極まりないですね。
翌朝の惨状を考えれば、さっさと片をつけてしまえばいいものを。しかし放置プレイで
す。それでいいのかもしれませんよ。
午前五時の風を感じようとしたものの、それは失敗だったのです。
すでに午前五時という世界は真昼間で、ひそかに午前四時には夜が明けているのですよ。
それは驚くべき変化でした。
何も見えないはずの世界は、本当のところ見ようとしないからこそ見えないのであって、
見ようと欲すればすべてが見えてくるはずなのです。
それが闇の中で目をこらそうとしても見えない何かのように、強く念じてもどうしよう
もないこともあります。
ようするに、見たい、と願うこと。
それがすべてです。
そうすることによって、私たちを取り巻く世界が変わるのです。
ある日、私が白いもの見て、「これは白い」と言ったところで、あなたはそれを「黒い」
と言うかもしれません。共通項として、私が思う「白」と、あなたが思う「黒」が実は同
じ色かもしれないのです。
自分にとっての基準が、他人にとっても同じ基準かどうかはわかりません。
しかし、社会はそれをある一定のルールとして許容しています。
おおむね流通している紙の大半は白いのです。
誰が見てもそれは「白」という色の名前によって形容されます。
しかしもしかすると、私が「白い」と思っているその紙は、あなたにとっては、私が思
うところの「赤」かもしれないのです。それはわかりません。私はあなたではないからで
す。
価値観は多様化しています。
文化や文明が果てもなく複雑化していくにあたって、価値観は多様化し、そしてたがい
に理解することが難しくなっているはずです。
ガソリン一滴と水の一滴が、いったいどちらが大事なのか。
紙幣一枚と木葉一枚のどちらに価値があるのか。
それはその場その場で多様化した価値観が決定します。
そんなことを考えながら生きていくのは愚かなことです。
(2004-05-04)