●HISTORY OF CONIFER●
1996年秋、大学の同級生だった森澤淳、碓氷俊之が意気投合、バンドをやりたがってい
た森澤が半ば強引にバンドを結成。名前は森澤の家の近所にあった喫茶店の名前から、
「CONIFER」に決定する。当時から碓氷はとてつもない腕を持つピアニストだったよう
で、結婚式などでアルバイトをした経験あり。音大生でもないのにめずらしいこと。
たった二人ではバンドにならないと文句を言い始めた森澤に、碓氷がギタリストを捜し
出す。それが積森未佳。当時大学1年生。「めちゃくちゃギターがうまい女の子がいるん
だよ。ちょっと今度連れてくるから」。碓氷はそう言ったが、積森はのちのちまで「だまさ
れた」と愚痴る。1997年1月に積森加入。CONIFERの原型ができる。
1996年秋………サークルの友人同士だった森澤、碓氷によりCONIFER結成。
1997年1月……碓氷に口説かれて積森加入。
1997年5月……新入生歓迎のイベントで、CONIFER初ライヴ。
ドラム・ベースがおらず、森澤が頭をひねって、「ドラム・ベースがいらな
い曲」を作るものの、失敗。
1997年10月…学園祭で、新入生歓迎イベントの雪辱をはらそうと、CONIFER第2回ラ
イヴ。今度は森澤がドラムとベースを探し出す。他大学の学生だった永井
公弘(ドラム)と、永井の友人の水谷明(ベース)加入。
このころから森澤、デモテープを作り始める。
また、札幌市内のライヴハウスに出没するようになる。このころの
CONIFERは、積森が「客寄せパンダ状態」だったという(積森談)。
1998年春……森澤・碓氷が大学4回生に。
「就職活動が嫌」でデモテープ作りに励み出す。ライヴハウス出没も繰り返
す。が、後に「まともに就職活動した方が絶対に楽だった」と森澤に言わ
しめるほどの忙しさに。
1998年夏……「家に帰りたくなる音楽をやろう」。をコンセプトに、CONIFERの方向性
が決定する。渾身の力を込めて作ったデモテープは、東京資本のレコード
会社に対しては全滅、なぜか「エクストリームレコーズ」の能勢の目にと
まり、デビュー決まる。
1998年11月…「月の森」リリース。
積森は大学卒業後、写真家を目指していたらしく、「ミュージシャンにさせ
られるなんて聞いてなかった」と愚痴る。
1998年冬……営業。全国数カ所を転々とインストアライヴ。これで森澤の大学の単位が危
機的状況に。
1999年春……北海道・関東地方でライヴ。
東京での知名度が低く、集客に苦労する。
森澤・碓氷、大学を卒業。
1999年11月…「オフリミット」レコーディング。
ベースの水谷明が就職活動のため脱退。
能勢が連れてきたのは北條次憲。パンクロック好きのベーシストというこ
とで、ややCONIFERの色が変わる。
1999年12月…アルバム「オフリミット」リリース。
結局、アルバム収録曲は水谷明のベースだが、直後のライヴは北條がベー
スという変則スタイルに。
このころからライヴアレンジが過激に。
2000年春……地元札幌のとあるラジオ番組を森澤が担当することになる。
「ミュージックホットスクランブル」。毎週土曜夜23時から30分。
およそミュージシャンらしからぬ番組としてスタート。
2000年5月…積森、体調を崩し一時活動休止。
能勢が北崎美香を連れてくる。積森と同い年。ジャズギタリストに憧れて
ギターを始めたが、気がついたらロック少女になっていたという。
アルバム「ポラリス」録音スタート。
2000年6月…積森復帰。北崎とのツインギター状態がスタート。
「いやー、別にどっちがリードギターってことないんじゃないですかね」
とは積森。
2000年8月…アルバム「ポラリス」リリース。
全国各地での学園祭ライヴスタート。
2000年秋……CONIFER、森澤・碓氷の母校での学園祭ライヴ敢行。積森は当然在校生の
立場で参加。
このころから積森の単位が危険になる。
2001年冬……アルバム未収録曲の「スーパーランナー」収録。
「ロック少女」二人の欲求不満をはらすような「CONIFERらしからぬハー
ドロック調シングル。
後に「ハードすぎてどのアルバムにも入れられない」と、結局アルバム未
収録になってしまう。
2001年2月…「スーパーランナー」リリース。
あまりに「CONIFERらしからぬ」音のため、ファンからも戸惑いの声相
次ぐ。このころから、積森ファン・北崎フリークのギター少女がくっつき
始める。
積森が「未佳ネエ」と呼ばれ始めたのはこの頃。
2001年5月…アルバム「架空線」のレコーディングがはじまる。
「なんとか秋には」と能勢があおるが、積森、体調不良で一週間自宅療養。
2001年7月…アルバム「架空線」完成。能勢のもくろみと大いにはずれて完成してしま
い、リリースの時期を逸する。
そのまま全国ツアー開始。といってもCONIFERだから小規模。
福岡・大阪・名古屋・東京・札幌の5カ所。
やはり札幌がいちばん盛況。
もっとも受けがよくなかったのが福岡。
「九州はわけがわかりません」(積森)
2001年10月…アルバム「架空線」リリース。
2001年冬……能勢が映画「夏の扉」の音楽の話を持ってくる。
森澤が乗る。
サウンドトラックではない形での参加となる。
2002年5月…映画「夏の扉」完成。ミニシアター系で公開。
こっそり北崎が出演している(らしい)。
2002年6月…アルバム「夏の扉」リリース。
映画からインスパイアされたという曲の数々。
実はいちばん乗り気じゃなかった積森が、アルバムではいちばん張り切っ
ていたという。
2002年10月…積森、体調不良で入院。
本気で心配したファンが、札幌市内の病院に電話しまくり、居場所を探る
という事件発生。
「よかったねツモリン、愛されてるよ、君」(碓氷)
2002年11月…積森退院。
2003年4月…北條、バイクで転んで活動休止。
幸い大事に至らず、ライヴに座って登場するという暴挙。
2003年秋……ライヴツアー「ミナモノミナミ」スタート。
2003年11月…ひそかに「マテリアル」のレコーディングが、ライヴの合間を縫ってスタ
ート。
「こんなスケジュールなんて聞いてない!」(北條)
2004年3月…アルバム「マテリアル」リリース。
(2004-05-12)