自宅を出ると、甲高い金属音と、何かが爆ぜるような音がした。通りに出ると、札幌駅
へ向かう鉄北線の電車が、北24条の電停を発車したところだった。先ほどの音は、電車の
パンタグラフが爆ぜた音だったのだ。通りの角の果物屋では、トマトが緑雨にうっすら雫
を散らしていた。
傘をさすほどでもなかったから、僕は手ぶらで出てきていた。足元は濡れていたけれど、
電車に乗ってしまえばどうってこともないだろう。そう思った。Kとは、札幌駅南口で午
前十一時。いい時間だった。僕は電停に立つと、セブンスターに火をつけた。JRの駅から
は軒並み灰皿が撤去されつつあったが、ここはまだ安全地帯だった。これくらいのささや
かな楽しみくらい、奪わないで欲しい。そう思う。
レールが軋む。
札幌駅からやってきた電車が、北24条交差点で信号待ち。ふと振り向けば、緑雨に映え
るグリーンの車体にヘッドランプを輝かせ、三連接の札幌駅行きの電車が、北34条の電停
を出発するのが見える。札樽自動車道の高架の真下にある北34条停留所は、雨が降っても
高架が屋根になる。僕が利用する24条の停留所にはささやかな屋根があるだけで、ラッシ
ュ時は埒外だった。
地下鉄があれば。
そんな声もあるにはあった。けれど、1972年の冬季オリンピックが旭川で開催されて、
そしていまだ豊平市・手稲市との合併問題で決着がつかない札幌に、いっ
たいいつ地下鉄が走るのかはまったくわかったものではなかった。三年前に着工した北海
道新幹線が開通するより先に地下鉄が着工するなんて、僕には到底思えなかった。それに、
僕や大部分の市民は、いまさら地下鉄など不要だと感じていた。階段を上り下りする必要
のない市電の生活に、すっかり慣れてしまったからだ。そして市の財政は決して潤沢とは
言えなかった。道央圏の人口が100万人を突破した1970年代、道央圏都市高速道路整備公
社なる特殊法人が要となって建設が続く都市高速道路が、豊平市、そして札幌市の財政を
圧迫していた。
なんてことを考えたりしてました。
興味のある方、路線図でもごらんくださいませ。
路線図は、市電路線を全部省略しちゃってますけど。
1972年、旭川でオリンピックが開催され、札幌はいまだ、北海道庁が設置されているだ
けの「道庁所在地」、ちょっと大きな田舎町で、豊平川をはさんで、豊平市、そして現在の
西区・手稲区は「手稲市」として独立しています。
きっと今頃は、「平成の大合併」問題で大騒ぎしていることでしょう。
札幌市・豊平市・手稲市・江別市・北広島市・石狩市の四都市で合併協議中、かな?
●道央圏都市高速道路整備公社●
●札幌近郊鉄道路線図●
(2004-10-04)