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時計仕掛けのワタシ@

 
 冬の朝。呼び鈴が私を呼んだから、もぐりこんでいた布団からたいそう苦労して抜け出
して、私は玄関ののぞき穴から外をうかがった。
 小包?
 鍵を開けた。チェーンをはずした。郵便屋さんが立っていた。外は雪だった。とたんに
冷気が流れ込んできて、私はすくみあがってしまった。送り主も見ないで私はさっさとサ
インを済ませ、半ば郵便屋さんを追い返すようにして私はあわててドアを閉めた。
 そのあとで私が真っ先にやったのは、小包を開くことではなくて、ストーブに火を入れ
ることだった。再び私は布団にもぐりこんだ。自分の温もりが心地よい。半身を布団に突
っ込んで、私は北海のラッコがするみたいに、お腹の上に小包を載せ、爪で引っかくよう
に小包を開けようとした。けれど梱包が開かなかった。半端に伸びた爪が、クラフトテー
プの終端に引っかからなかったし、寝起きの私の握力では、クラフトテープごと外梱包を
開くことができなかった。
 ストーブに火は入ったが、息は白かった。外が雪だなんて、昨夜の天気予報は嘘だ。明
日は晴れるって言ってたのに。
 机の引き出しに、カッターナイフが入っているはずだ。私は震えながら布団から這い出
て、机の引き出しを探った。
 凍える思いでようやく開いた小包の中身は、時計だった。
 何の変哲もない、目覚まし時計だった。
 それも、新品じゃなかった。
 私はそこでようやく送り状を、カッターナイフで裁断されてしまった送り状を見た。
 懐かしい名前だった。
 神南千夏。
 カンナミチカ。
 カンナミチカカンナミチカ。
 名前と顔が一致するのに、それほど時間がかかるはずもなく、彼女は学生のころの知り
合いで、けれど「友人」と呼んでいいのかどうかためらわれる程度の交友関係しかなかっ
た子。
 カンナミチカ。
 私はもう一度送り状を見た。
 私によって裁断された送り状は、彼女の名前を上下に分断してしまっていた。私はそれ
をパズルを組み合わせるようにしてつなげた。筆跡を確かめたかった。
 神南千夏。
 変な子だった。
 一言で言うなら、彼女は変わり者だった。
 私が彼女と「友人」と呼べるほどに親しくなかったのは、きっと彼女に要因があったか
らだと思う。なぜなら彼女は、他人と積極的に関わろうとしなかったからだ。講義の合間
になるとひとり席を立ち、ベンチで煙草を吸っていた。そして私は彼女の吸っていた煙草
の銘柄も知らなかった。ようするに私は彼女の詳細を何も知らなかった。
 小包から取り出した時計は、動いていた。しっかりと時を刻む音が、ストーブが盛大に
燃える部屋の中であっても、ちゃんと聞こえていた。
 カンナミチカ。
 私にとってその名前は、奇妙な印象とともにあった。
 彼女は、こう言っていた。
「あたしはね、時間の流れから外れているんだよ」
 言っている意味がわからなかった。
 いま思い出しても、真意はわからない。そして、彼女が私にいつ、どこでその言葉を投
げかけてきたのかももう覚えていなかった。冬だったのか夏だったのか、秋だったのか春
だったのかもはっきりしない。けれどあれは夕方で、斜陽に翳る彼女の横顔だけはよく覚
えていた。
 断片が断片を呼んで、やがてゆっくりとその全体像を自ら形作っていくように、私はカ
ンナミチカの記憶を、ようやく息が白くならなくなった真冬の部屋の中でぼんやりつむい
でいた。あの時、彼女はコートを着ていただろうか。だとしたら、あれは春か秋だったの
だろうか。雪はなかったはずだ。ススキが揺れていたような気がする。ススキ? ではあ
れは秋だったに違いない。
 秋の日。そう、あの秋の日、カンナミチカは私に言ったのだ。
「あたしはね、ユーコの五分先に生きているんだ」
 ストップモーションの風景。音だけが、カンナミの声だけがいまよみがえってくる。
 ススキの穂が揺れる中、風はひどく冷たかった。晴れていて空は怖いくらいに青く、け
れど西の方向に傾いた太陽はまぶしすぎる電球のようで、流れる雲がやや赤い。そんな世
界に私たちは二人立っていた。なぜそこにいたのかは覚えていないが、情景だけは先に戻
ってきた。カンナミと私は、そこにいた。
「五分先?」
 私が訊いた。
「うん。五分先」
「どういうこと?」
「あたしはね、ユーコの五分先の世界にいるの。ユーコが見てるあたしは、五分後のあた
し」
 あのときカンナミは笑っていたような気がする。笑いながら、いや、微笑みながら私に
言ったのだ。
「種明かしをしてあげようか」
 カンナミの言葉に戸惑いを隠そうともしなかった私に、彼女は笑って私に歩み寄ってき
た。そうして見せてくれたのは、彼女の左手首だった。
「なに?」
「ユーコ、いま何時?」
 カンナミは自らの左手首を私に向けたまま、笑顔も私に向けたままで、そう訊いた。私
はカンナミの左手首の腕時計を見て答えた。
「……時……分」
 あれか何時何分だったんだろう。もう思い出すことができなかった。
「だね」
 私が答えると、カンナミは満足そうに、目を細めて笑った。
「だけどね、ユーコ」
 笑ったあと、カンナミは私に向けていた左手首も笑顔も引っ込めて、そして沈んでいく
太陽を向いた。
「ユーコの時間で、いま何時かわかる?」
 言われて、私は意味を捉えられず、だから彼女の言葉にも応えられなかった。
「ユーコ、時計持ってる?」
 持ってる。腕時計に携帯電話のディスプレイ。常時私は二種類の時計を持ち歩いていた。
それは真冬の、雪の降りしきる部屋で布団に包まっているいまも同じだ。
「何時?」
 カンナミが訊く。
「ユーコの時間で、いま何時? ユーコの時計は、いま何時になっているの?」
 私は私の左手首の腕時計を一瞥した。
「……時……分」
 あれは何時だったのだろう。何時何分だったのだろう。
「あたしの時間ではね、いまは、……時……分だよ」
 結論からさっさと言ってしまおう。
 私の時計とカンナミの時計は、きっかり五分ずれていた。
 たとえば。
 私の時計がたったいま、午前八時五十分ならば、カンナミの時計はそれからちょうど五
分先の、午前八時五十五分を指している。
「ほら、わかる? あたしはね、いつだってユーコの五分先にいるんだよ」
 まるでタチの悪いなぞなぞだ。そのとき私はちょっとだけ不機嫌になってしまったよう
な記憶がある。だから黙り込んでしまったのだろう。風の音ばかりが記憶の底で鳴ってい
た。
「…………?」
 カンナミが何か言っていたような気がする。
「…………」
 私も何か応えたような気がする。
 思い出せなかった。
 秋の日。
 思い出せなかった。
 私のあの日の記憶は、いったんそこで閉じられる。小包の中身、この目覚まし時計が気
になったからだ。
 ラッコのような格好のまま、私はカンナミが送ってきた(と思われる)目覚まし時計を
取り上げた。そして、枕元に置いてある目覚まし代わりの携帯電話を取り上げた。
 午前八時五二分。
 それは私の携帯電話のディスプレイ。
 自動時刻補正機能付きだから、これは日本標準時。グリニッジ標準時から、マイナス九
時間。
 午前八時五七分。
 それはカンナミの目覚まし時計。
 私の時間から、ちょうど五分、五分だけ進んでいた。
 アラームはセットしてあるのだろうか。
 私はようやく暖かくなってきた部屋の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。




(2004-10-15)



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