▼BUMP OF CHICKEN 「アルエ」
誰でも心を閉ざすことはある。むしろ、心は閉じているもので、誰かが外から開くもの
ではないと思う。まして、自ら扉を閉ざしてしまった人間に、「こっちへおいで」と言った
ところで意味はない。僕は、心を閉ざした人間の「心の扉」を無理にこじ開けようとも思
わないし、誘い出そうとも思わない。閉じこもるのには理由があるからだ。第三者が扉を
開けようと思うのは傲慢であり、もっと端的に言えば思いあがりだ。
けれど、閉じた扉の向こうに興味を示すのは、人間としては当然なのかもしれない。見
てみたい。こっちへおいで。
自分がそうした性質を持っている人間だからこそ、この曲の歌詞に対してはそういう印
象を持つ。批判ではなく。
この曲で歌われている「アルエ」が誰かというのはこの際問題ではなく、嬉しいときに
笑えなくても別に問題ない。きっとこの歌で歌われてる女の子は、「あなたには関係ないわ。
放っておいて」。そう言うに違いない。もちろん自分が誰かに自分の扉を開けられそうにな
ったら、きっとそう言う。
極度の人間嫌いになりつつあるのかもしれない。
昨夜、旧知の友人と久しぶりに会うことができた。
夜中の2時まで話をした。
散漫な話題の中、思った。
自分はひどく人間嫌いになっている。そして、感情が欠落し始めている。もしかすると
感性も錆びつきはじめているのかもしれない。
誰かにそばにいて欲しいとも思わないし、誰かのそばにいたいとも思わない。そんな存
在は邪魔だ。障害でしかない。Kがいつか言っていた「Better half」なんて言葉、もう意
味を持たない。自分は一個で完成しているからだ。余剰パーツもないし、失ったパーツも
ない。
寝る前に考えた。
ずっと昔、好きだった女の子のこと。
不思議だな、顔が思い出せない。
クラスメイトだった女の子。初めてふられた女の子。
顔が思い出せない。声も思い出せない。
そして、また思いをめぐらせた。
ずっと昔よりもうすこし最近、好きだった女の子のこと。
二つ年上だった女の子のこと。僕にYMOを教えてくれた女の子。
ずっとずっと好きだったけれど、どうして好きだったのかを思い出せない。
時間が下って、またちょっと最近。
二ヶ月年下だった女の子。メガネかけてたあの子。
二年くらい好きだった女の子。好きだったけれど、同じ時間を共有したことはなかった。
同じ意識を共有したこともなかった。同じ風景を同じ時間に見たこともなかった。ただき
っと、(かわいい)と思っていただけだったんだと、今は。
その子のことも、今思いだすとどうして好きになったのか、なぜ好きだったのかを思い
出せない。当時の意識が戻ってこない。戻ってくるのは、叙情的に書いてしまえば、ちょ
っとした痛みだけ。そして、放課後の斜光が伸びる廊下を思いだす。心のまぶたを閉じる。
するとまた、ちょっとだけ時間が進む。
自分が十代だった最後の年に好きになった女の子。
宮沢賢治の故郷から北海道に渡ってきた女の子。声を上げて笑った姿は、ほとんど見た
ことがなかった。けれどときどき、笑ってくれた。淡々とした口調の果てに、ときどき笑
ってくれた。その子の顔は、今でも覚えている。でも、きっと覚えているその表情は、自
分の目が見たものではなくて、印画紙に焼き付けられた画像。のぞいたファインダーの中
で、あの子は自分に笑ってくれた。何に対して笑ってくれたのかはわからない。けれど、
僕の方を向いて笑ってくれた。たった一枚だけ僕が持っていた笑顔の写真。
やはり、どうして好きになったのか、どこが好きだったのか、なぜ痛みを感じるのか、
もうわからない。
もう少し時間が進む。
また一人、思いだす。
人と群れない女の子。本当に心に扉があるなら、頑丈な鍵がついた女の子。一風変わっ
た子。傾いた陽射しの中、芽吹いたばかりの草っ原をひとりで歩いていた。その姿はよく
覚えている。でも、どうして好きになったのか、どこを好きになったのか、もうまったく
わからない。好きだったのは覚えてる。けれど、どうして好きだったのかがわからない。
だんだん、鮮明な記憶を手繰れるようになる。時間が進む。
眠くなる。
一緒に歩いた港街の運河沿いの道も、僕は今は一人で歩く。ガラス工芸の店も折るゴー
ルの店も、僕は一人で歩く。
一人の記憶が増えていく。
Nと時間をつぶしたモエレ沼公園も、今ではもう「昔話」。ちょっと遠くなってしまった
色。あの公園に女の子と行ったことがあっただろうか。思い出せなかった。
ひょっとしたら、もう二度と誰かを好きになることはないのかもしれないと思った。
気温40度のラスベガスの街路を少し離れて歩いたあの子とも、きっと二度と会うことも
ないだろう。
メガネが似合っていた目の大きなあの子とも、きっともう会うことはないと思う。
どうして好きになったんだろう。
あの痛さを、今の僕はもう感じることがなくなった。何かにせかされるような、苦痛に
似た焦燥を感じることもなくなった。
年を重ねたからなのか、僕はもう女の子のことを考えて胸が痛くなることはなくなった。
この曲を聞いて、そんなことを考えた。
寂しい。
けれど人はひとりで生きていくんだよ。
この悲しみも絶望も何もかも、全部僕のものだ。誰にも渡さない。
だから、誰も僕に悲しみや絶望を投げてよこさないで欲しい。
(2005-01-20)