MATERIAL → → → → → → →



Absolute ice

 
 結局イライのノスリがある程度元通りになるのには、さらに十日を要した。その間イラ
イは一度として飛ばなかった。この基地ではパイロットが乗る戦闘機は固定されている。
だから、自分の乗機が故障あるいは定期点検に出ている期間、パイロットは飛べない。時
に複座型の戦闘機の後席に乗り込み、若手パイロットのしなんやくに駆り出されることも
あったが、まれだった。イライが所属する基地は最前線であり、まだ二機編隊長資格も取
れないようなパイロットは、まず配属されてこなかった。配属されたとして、イライたち
ベテランが指南する前に、敵機が撃墜してしまうだろう。
 その日、誘導路は溶けた雪で黒々としていた。雑木林はすべて葉を落し、残っているの
は針葉樹だけだった。草地には雪がうっすらと載り、吐く息は白い。イライは宿舎から二
十分かけて掩体まで歩いた。いつもの場所だ。いつも、イライの戦闘機が格納されるシェ
ルターだ。そこにはホガリがいた。久しぶりに顔を合わせた。
「予想外に重傷だった」
 ホガリが口を開く。吐く息は白い。
「どこが」
「左主翼に被弾しただろう。あれが予想外に傷が深くてね。それに、あんたは主翼にしわ
が寄るほどの無茶をした」
「垂直尾翼よりもか」
「垂直尾翼は交換した。それで済んだ。主翼を交換するには、ここの設備では無理だから
な」
「主翼を交換するほどの傷だったのか。だったら交換してくれ。気分が悪い」
「一枚翼だからそう簡単にはいかない。共食い整備をするわけにも行かないし、大丈夫だ。
そこまでは重傷ではなかった。外板がめくれて、中の桁に損傷があった。それを治すのに
時間がかかったのさ」
 ホガリはこざっぱりとしたツナギを着ていた。彼が油にまみれた格好をしている姿を見
たことがない。もっとも、イライがホガリたち整備員の作業過程を見る機会がほとんどな
いから、彼らはパイロットと会うときは、よそ行きの格好をしているだけなのかもしれな
い。
「まあ、表向きにはそういうことだ」
「表向きってどういうことだ」
「あんたになら言ってもいいかな」
 もったいをつけるような口調だが、ホガリの顔はいつもと変わらず、音楽堂の入り口に
おいてある彫刻のような表情をしていた。つまり、彫り込んだような作り物の微笑だ。
「なんだ」
「戦闘機が補充される」
「ここにか。何機だ」
「向こう側、ほら、空いてる掩体がかなりあるだろう。あれを埋めるくらいにだ」
 いつかの夕食を思い出す。ヨノイが言っていたことは本当だったか。
「一個飛行隊分、十八機。くらいかな」
「全部新型か」
「GDBも来る。大半はY型だ。レシプロ機の数を、タービン機が上回るというわけだ。そ
のための準備でね。整備員が交代で教育にぶち込まれている。それでこいつの修理に時間
を要したのさ」
「いよいよ俺が飛ぶ機会が減りそうだな」
「聞いていないのか」
「何を」
「機種転換の話を」
 ホガリの言葉に、イライは顔をしかめる。
「今更俺にか。そんな話は聞いていない」
「まあ、俺も聞いていない」
「なんだ」
「あんたはX型で敵の新型を二機撃墜だ。押しも押されぬエースじゃないか。英雄だよ」
 そういうホガリの口調はまるで真剣みがなく、けれど嘲笑する向きもなかった。淡々と
していた。まるであたりを漂う初冬の空気のようだ。
「相手が間抜けだったんだ」
「ハスミはしばらく飛べないぞ。あれは、機体の損傷よりもパイロットのダメージの方が
でかい。もっとも、機体は新しく造った方が早いかもしれないが」
 ハスミはあれから医務官の診察を受け、基地の外の病院に入院してしまった。前線基地
とはいえ、ここには空軍病院並みの設備がなかったからだ。
「身体よりも、精神的にね。けれど、一緒に飛んだのがあんたでなければ、ハスミは墜と
されていた」
「そうかね」
「謙遜は無意味だよ。二機のノスリでよく戦ったさ。しかもハスミの機体は戦う前から手
負いだった」
「エンジンがぶっ壊れやがったからな。誰が担当だ」
「今となっては、どこが壊れていたのか、原因もわからない。機付はヤダだ。奴はここ一
週間、げっそり痩せた。ハスミの機体は、あんたの機体とエンジンのロットが違う。アク
チュエータの作動不良くさいが、いまとなってはわからん。それより、その状態で敵と遭
遇して、帰ってこられたのが奇跡だ。あんたがいたからだ」
「敵を墜としたのは、ハチクマだ」
「最後はね。GDBは最高速に到達すれば無敵に近いが、ノスリのようには行かないのさ。
瞬発力が決定的に欠けている。ハスミはあんたが助けたんだ」
「そうかね」
「そうだ」
 言うだけ言うと、ホガリは「煙草を喫わないか」とイライを掩体の外に連れ出した。飛
行場地区は禁煙だが、ホガリはときおり、掩体の外の猫の額ほどの空き地を見つけ、そこ
で煙草を喫っていた。コーラの赤い空き缶を灰皿代わりに、掩体にもたれ、火をつけた。
「GDBのパイロット、知り合いだそうじゃないか」
 二口ほど無言で喫ったあと、ホガリが言う。誰のことかは言外に目が語っていた。
「どこまでの知り合いかも、あんたは知ってそうな気配だな」
 イライも外套のポケットから煙草を取り出し、喫った。禁煙なのはわかっている。けれ
ど、咎める者はいないし、ガソリンの匂いもしない。オイルの匂いもしない。ひたすら寒
かった。
「血縁者だってことはもう知ってる。俺だけじゃない。みんな知ってる」
「みんなって誰だ」
「みんなだ、みんな」
「パイロットみんなか」
「基地中みんなだ」
 イライは身体を折り曲げ、吹き付ける風から身体を守る。
「だからなんなんだ」
「血は争えないものなんだな」
「そういうものか」
「さあ。俺には子供はいないからわからない。……あんた、一度も家族がいるなんて話を
しなかったな」
「俺だけじゃない。あんた、ハスミに家族がいるかどうかを知っているか」
「知らない」
「俺もだ。だから、なんだっていう話だ」
 ホガリは小さく笑う。しかし声がない。煙草を指先に挟み、「それにしても寒いな」とつ
ぶやく。イライも同意する。
「それに、彼女は家族じゃない」
 イライが言うと、ホガリはやや目を見開き、そしてまた笑った。
「家族の定義ってあるのか」
 イライが言う。
「知らない。ただ、あのパイロットはあんたの娘だそうじゃないか。娘は家族じゃないの
か」
「血縁はあるが、最後に顔を見たのがいつなのか覚えていない。まともに一緒に暮らした
こともない」
 その通りだった。風が吹く。冷たい。冷たさよりも疼痛を感じる。空は雲量が増えてい
る。
「一緒に飛べたじゃないか」
 ホガリは空き缶に煙草をつぶし込み、顔をイライに向けず、言った。
「そうだな。……ハスミまで助けてもらったしな」
「そう思っているのか」
「ハスミをすんでのところで助けた新型戦闘機のパイロットが、たまたま彼女だっただけ
の話だ。それ以上の意味なんてない。そうじゃないのか」
 だんだんと、イライは会話が面倒になっていた。それにしても寒い。仕上がった機体を
見に来ただけなのに、なぜ身の上話をしなければならない。煙草を空き缶に放り込み、両
手を外套のポケットに突っ込んだ。
「この話は、あまり愉快そうじゃないな」
 ホガリが空き缶を拾い上げ、イライに背を向けた。
「わかっているならしないでくれ。それより、飛べるんだろうな」
「ガスを入れれば飛べる。が、戦闘は無理だ」
「なぜだ」
「ハーモニゼーションが終わってない」
「機銃を降ろしたのか」
「あんたは知らなくていいことだが、こいつは一度ほぼバラバラに分解されてる。とうぜ
ん機銃も降ろす」
「どこからどこまでの部品を交換したんだ」
「修理報告書でも必要か」
「そんなものはいらない。あんたの口から聞きたい」
「さっき話したとおりだ。エンジンも降ろしたが、交換したわけじゃない。圧縮比も混合
比も過給圧もなにもかも前と同じだ。ただ、スロットルワイヤは交換した。左主翼は交換
こそしていないが新品同様だ。使える部品は流用したが」
「飛んでみないとわからないか」
「違いに気付くほど違うなら、俺に言ってくれ。が、今日は飛べない。飛行許可は俺が出
すわけじゃない。むしろあんたがキリウやレンダに上申するんだな。大尉殿」
 ホガリはもう掩体に戻り、灰皿代わりの空き缶を工具箱を収納しているスペースにしま
い込むと、移動用のトーイングカーに乗り込んでいた。
「置いていくぞ。それとも歩いて戻るのか」
「置いていくならそれでいい。ここまで歩いてきたんだ」
「飛べないパイロットは哀れだな」
「あんたがさっさと修理をしてくれなかったからだ」
 ホガリはトーイングカーのエンジンを派手な黒煙とともに始動させ、再度イライを誘っ
た。イライは断り、ホガリはまた小さく笑った。声を上げたかどうかは、トーイングカー
の排気音に紛れてわからなかった。おそらく無言だったろう。
「行くぞ。残るのは勝手にするがいいが、飛ぶなよ」
 ホガリが言い、イライは了解と両手を上げて伝える。ディーゼルエンジンの排気煙をも
うもうと吐き、ホガリは掩体から誘導路に出、去った。
 イライはひとり、ポケットに手を突っ込んだまま、自分の戦闘機を見上げた。機体は整
備に伴い、きっちり洗浄されていた。機関砲付近のススもない。そっと近より、機首に手
を触れる。冷たかった。エンジンをかけられず、かけられたとしても、ガスが十分ではな
い。飛べたとしても、機銃も撃てない。こいつはいまは戦闘機ではない。ただの飛行機だ。
いや、飛行機の形をした機械だ。
 イライは短く嘆息すると、掩体を出、重い防護扉を閉めると、すっかり曇り空になった
天を仰ぎ、歩き出した。


(2005-08-20)





●つまらん、戻る!●