茨戸貯木場と石狩港湾計画
原 省 三
−はじめに−
石狩町は1968年(昭和43年)開基300年を迎え、この年の秋、町をあげて開拓者の労苦をしのぶと共に、未来への希望をこめて盛大な記念式典を挙行したのであった。
ところで石狩町の歴史の中で、おそらく最近10年間の変化ほど激しい変わりようをみせた時代が、果たして過去のいずれの時期にあったであろうか。即ち、経済的には開基以来収穫量を誇った鮭中心の漁業への全面的依存、やがて漁獲量の減少によるゆるやかな農業への移行、このようにして町は約300年を経過したのであった。
勿論その途中には、高岡地区における鉱物資源の開発など、特殊な事業の展開をみる時期もあるが、全体としては、やはり漁業から農業への移行の中に、町の歩みを把握することが妥当であると思う。
さてこの10年来、石狩町は道都札幌市の隣接地区として注目され、従来考えられなかった計画的な工業開発がはじまり、これと前後して住宅地帯の開発、交通施設(道路、橋梁等)の整備が急速に展開したのである。そして、これ等一連の開発事業の総仕上げとも目されるのが、石狩湾新港建設計画の具体化であろう。まことに目まぐるしい10年間の変わりようである。
しかしこのような大きな変化も、決して一朝一夕にして現実となったものではなく、永い産みの苦しみの時代があったのである。たとえば、石狩湾新港建設計画を例にひいてみても次の事がらが考えられるのである。
新港計画が町の歴史にはじめて登場するのは1879年(明治12年)であるが、引き続き1887年(明治20年)にも計画がたてられている。これらふたつの案はいずれも開拓史の外人雇工師と、道庁の外人工師の手になるもので、河口改良計画として現われるが、新らしい港づくりの芽ばえを感じさせるものがある。更に1898年(明治31年)1906年(明治39年)には、はっきりと石狩築港の名を付した計画図面が、道および民間会社等によって作られ、1940年〜42年(昭和15年〜17年)には石狩工業港並びに工業都市計画図が道によって発表されているのである。
この度の第3期道総合開発計画の中における石狩湾新港建設計画も、こうした歴史的背景を抜きにしての、正しい把握はあり得ないと考えられるのである。
また大切なことは、こうした一連の築港計画の歴史は、いずれも石狩川との関連において問題を解決しようとしている処に、一つの特色をもっているようであり、この点が重要であると考えるのである。つまり幾多の先人達は、石狩川の豊富な水―――、時には洪水という名の猛威をほしいままにするこの川の治水対策をかねて、時にはその水の一部を港域として活用することも考えて、築港計画を企画立案したのである。
この度の新港計画はどうであろうか。新聞の伝える処によると、新港は埠頭が数基海岸線から沖へ向かって築設されることになっている。これは一見した処従来の計画のように直接石狩川との関係はないようにみえるが、しかしこの度の計画も、新港と川との有機的関係は過去のどの計画にも増して強いものがあると考えるのである。その最も大きな理由として挙げねばならないのは、開発が計画されている新港後背地は、石狩川ショート・カットによって生まれた茨戸川に達し、その水面の一部はすでに貯木場としての許可を受けており、新港の利用開始によってその機能を全面的に発揮することが期待されているのである。
以下、この水面貯木場と新港との関連等につき、若干ふれてみたいと思う。
−ショート・カット−
前述の石狩川ショート・カットは、現在の生振地区をとりまく蛇行状の水路に係るもので、石狩町が1968年(昭和43年)に発行した“石狩川河口地区開発年表”によると、治水対策事業として1917年(大正7年)着工、1931年(昭和6年)に至って新水路3.7キロメートルの通水をみたことが記されている。この工事の規模を幅200メートル、原地盤から10メートル堀り下げたとすると、総土量は740万立方メートルに達することとなり、当時の土木事業としては相当大規模かつ難工事であったことが想像されるのである。
こうして蛇行部分の両端をふさぎ、河を直線状に切替えた結果、河口付近一帯はそれまで半ば慢性化していた洪水禍から解放されることとなり、同時に幅200メートル、平均水深6〜7メートル、延長19キロメートル、面積380ヘクタールに及ぶ広大な遊休水面を持つこととなったのである。
人々はこの遊休水面を旧川(ふる川)と呼んだが、1965年(昭和40年)に国の直轄河川となり、呼び名を正式に石狩川水系茨戸川(ばらと川)と改められ今日に至っている。
−茨戸川水面の占用許可−
1961年〜62年(昭和36〜37年)は外材輸入が増加し、全国的に貯木水面が不足した時期であった。
石狩開発株式会社はこの茨戸川の遊休水面を原木貯木場として(とくに北洋材を中心とした外材)活用し、木材需給および価格の安定に役立て、合わせて業界の発展に寄与しようと計画、取り敢えず56.4ヘクタールについて、国から占用許可を受けたのである。
この占用許可と前後して1963年(昭和38年)石狩木材工業団地促進期成会(沢田成爾会長)が発足して、茨戸川水面貯木場隣接地帯における総合建材コンビナート建設が提唱され、翌64年(昭和39年)にはこれらの計画の実施機関として石狩開発株式会社(設立当時の払込済み資本金2億円、手取貞夫社長)の設立をみるに至ったのである。
引き続き石狩町当局、地元住民の全面的協力のもとに、茨戸川水面貯木場隣接地区120ヘクタールの工業用地買収が実現し、造成・企業誘致開始という具合に急速に工業開発が進められてきたのである。
当時、第2期北海道総合開発計画実施途上の時期に当っており、民間の開発投資も多いに期待されていたのであったが、何といっても、茨戸川水面貯木場の有効利用を促進するためには、至近地点に港を有することが必要であることが関係各方面から強力に叫ばれ、幸い1971年(昭和46年)度スタートの第3期北海道総合開発計画の中に、石狩湾新港を流通拠点港湾として建設することが明確化されたのは周知のとおりである。
従がって、これら一連の事業や計画の強力な推進力となったものの一つに、石狩開発株式会社が確保した茨戸川水面貯木場のあったことは、極めて重要な事がらとして注目されるべきであろう。
−貯木能力等−
前述したとおり茨戸川水面の総面積は、380ヘクタールで、これは小樽港の港内面積とほぼ同程度ということになるが、実際に貯木水面として活用できるのは、現在のところ次のとおりと考えられる。
札幌市の最北端茨戸地区と石狩町生振(おやふれ)地区との境界にかけられた茨戸川観音橋の西方1.5キロメートルの地点から、下流全域を対象とした場合、中央水路等をのぞいて160ヘクタールが貯木可能水面となる。この水面に北洋材70パーセント、南、米材30パーセントの割りあいで貯木すると、全体で200万立方メートルの貯木が可能となる。なおこの場合の単位面積当りの貯木数量等の計算は、下記の運輸省木材港湾整備基準によるものである。
輸入量(t)× 25
南・米材
365
×1.0+0.8
0.6t
水面貯木場の所要面積
輸入量(t)× 2(貯木月数)
北洋材
12
+0.8
0.2t
(利用率)
(単位面積当り収容能力)
輸入量(t)× 2
南・米材
12 +0.8
0.6t
すでに前述した石狩工業団地の茨戸川貯木場沿々には、12社(うち3社稼中)の製材あるいは木材加工企業が立地決定し、貯木場を活用する体制をととのえると共に、港湾荷役業界関係者等による現地視察も次第に活気をおびつつある。
−札・樽圏の木材需給と新港−
さて現在、道内一円の木材需給を考える場合の資料は、知事の諮問機関である北海道林産物対策協議会の需給対策専門委員会で作成したものが、もっとも権威あるものとされているわけであるが、その道内で最大の消費市場である札・樽圏(この場合の範囲は札幌市、小樽市、江別市、千歳市、恵庭市、広島町、余市町等を含む)に関する資料となると、まとまったものは、ほとんどないのが実状である。次の表はこのような状況の中で、業界が中心となり1975年(昭和50年)時点における同圏内の需給を推定したものである。
ところでこの表の中で注目されるのは、何といっても推定年次における需給のアンバランスであろう。つまり最下欄が示すように、不足量は87万立方メートルに達し、これは札・樽圏内港湾の輸入材に期待せざるを得ない結果となっているのである。
年度分 |
38〜40年度平均実績 | 50 年 度 | 摘 要 | ||||||
N |
L |
T |
N |
L |
T | ||||
| 需 要 量 |
製 木 | 615 |
287 |
902 |
1,988 |
457 |
2,445 |
建築着工面積の推移による 建築着工面積の推移 江別1社の生産動向による |
|
| その他一般材 | 49 |
18 |
67 |
49 |
18 |
67 |
|||
| ボ ー ド 用 材 | − |
− |
− |
− |
− |
− |
|||
| 坑 木 | 2 |
7 |
9 |
2 |
7 |
9 |
|||
| 合 単 板 用 材 | − |
86 |
86 |
165 |
165 |
||||
| パ ル プ 用 材 | 292 |
145 |
437 |
328 |
224 |
552 |
|||
| 移 出 用 材 | − |
− |
− |
− |
− |
− |
|||
| 需要量計(A) | 958 |
543 |
1,501 |
2,367 |
871 |
3,238 |
|||
| 供 給 量 |
管 内 生 産 | 138 |
149 |
287 |
145 |
202 |
347 |
当年度伐採量 |
|
| 管 外 |
生 産 | 331 |
174 |
505 |
467 |
339 |
806 |
||
| 製材入荷 (厚木換算) |
428 |
110 |
538 |
972 |
243 |
1,215 | |||
| 供給量計(B) | 897 |
433 |
1,330 |
1,584 |
784 |
2,368 |
|||
| 不足量(A−B) | 61 |
110 |
171 |
783 |
87 |
870 |
小樽、石狩湾新港輸入期待量 | ||
この傾向は、道都札幌市の目ざましい発展と併行して、75年度以降もますます強まっていくものと予想されるのである。
いまの処、1975年(昭和50年)時点において石狩湾築港には、45万立方メートルの外材(とくに北洋材を中心とした)輸入の実現を期待する向きが、関係方面の一致した声であるが、とくに新港後背地の一部とも言える石狩工業団地に進出を決定している木材企業12社の事業計画にとって新港の外材輸入実現は、緊急を要する問題であり、また今後札幌市内等の都市再開発地域、あるいは国鉄高架計画区域からの、分散疎開が要請されるであろう各製材企業筋にとっても石狩が有力な立地候補地であることから、新港→茨戸川貯木場→外材利用は、極めて重要な課題として真剣に研究されているのである。
また単に、新港後背地に製材企業がはり付くだけではなく、茨戸川水面貯木場は、北洋材はじめ各種外材の流通基地の役目も果すにちがいない。すでに業界の資料では、1975年(昭和50年)時点に新港に入ることが期待されている45万立方メートルのうち、15万立方メートルが道内各地への中継用原木となっているのである。
| 所 要 原 木 | 内 訳 | ||||||||||
| 加 工 用 | 中 継 用 | ||||||||||
輸入材 |
道 材 |
北洋材 |
南・米材 |
道 材 |
計 |
北 洋 材 | 南・米材 | 計 |
|||
道 外 |
道 内 |
道 外 |
道 内 |
||||||||
|
千m3 450 |
千m3 230 |
千m3 200 |
千m3 100 |
千m3 230 |
千m3 530 |
千m3 − |
千m3 50 |
千m3 − |
千m3 100 |
千m3 150 |
昨今、林産関係者の間で言いならされているように“原木は海から”の時代に入った。我が国の山林はもはや従来のように厚木供給源ではなく、むしろ今後は国土保全が最大の任務となり、従って伐採量はますます限定され、良質材の供給はのぞめなくなることが予想される。当然の結果として海の彼方の原木に期待することとなり、工場の臨港地帯への進出、港湾の原木受入れ設備の整備が急務となってくる。石狩湾新港建設計画について、第3期北海道総合計画は、これらの点にふれ次のようにいっている。
(以下関係個所抜すい)
(港 湾)
(1) 工業港湾の整備
鉄鋼、非鉄金属、石油、肥料、飼料、紙パルプ、木材等の臨海性工業の発展と工業用原材料、製品輸送の増加に対処して、既存の工業港湾の整備拡充をはかる。
(2) 流通港湾の整備
産業経済の発展にともなう港湾取扱貨物量の増大と物資流通合理化の要請に対処するため、地域の特性に立脚して近代的な埠頭の建設など流通港湾の整備拡充をすすめる。
また、札・樽圏における物資流通の増大、消費財工業の発展、北方圏との経済交流の進展に即応して、石狩湾沿岸に、流通港湾の整備をはかる。
−む す び−
過日開かれた第2回定例道議会で、石狩湾新港後背地開発についての論議が展開され、石狩開発株式会社は、いわゆる第3セクターとして、国・道の指導のもとにその任に当ることが決まった。
新聞報道によると、流通拠点港としての新港の扱い品目は、原木、セメント、それに石油を基幹とし、後背地にはそれらの集積基地、加工工場および各種都市型工業がはり付くことになるという。一方、茨戸川と海岸線の最短部を結ぶ放水路も施工の構想がかたまったと報道されている。
以上幾つかの項目にわけて、茨戸川が貯木場として出現するまでの背景とその概要、更にはその必要性等にふれたわけであるが、何といっても茨戸川水面貯木場は、石狩湾新港との連繋によって、その効果を100パーセント発揮するのである。しかも今やそのための準備が急速に進められているのである。
(石狩開発株式会社 企業誘致担当)