小樽港マリーナの開港とその背景
斉 藤 忍
小樽市港湾部長
小樽は,東西に36.5km,南北に20.1kmと長広く,山と海と坂を中心とし,
特に海岸線が57.95kmと云う,うなぎの寝床と云う表現に相応しく,また,年間を通し四季に大変恵まれた街であります。
このような街が, 明治時代, 北海道の開拓が進んで行く中で,
時の政府は工事資材や,生活必需品などを本州方面からの移送と併せて,北海道で取れた物産関係品を本州方面に送るために北海道の中心地に港を建設する必要性が生まれて来たことから,自然の良港の中にあった小樽に,港を建設することになり,その時点から北海道開拓の玄関口として,多くの小樽市民は、歴史的に海の深い恵みを受け継ぎながら今日迎えて来ているところであります。
明冶初期,
海岸線を中心に木造住宅の集落が生まれて来る中において,海運荷役に伴う,回漕店,倉庫業,
商社, 銀行など,多くの企業体が小樽に集まって来たところでありますが,
明冶中期から大正初期にかけ, 失火による大火災が続発し,多くの市民が被害を受けた中で,
とりわけ商人の方は多大の財産を失った訳でありますが、当時の小樽商人は,
国内はもとより樺太、中国,朝鮮などとの貿易も活発におこなっていた時期でもあり,また,コンドンの穀物相場を動かすだけの財力を有していたと云われる時期でもありましたことから、これらの財産を火災から守るため港や運河周辺に石造りによる倉庫,店舗,銀行などが多く建てられ,その後の戦争による被害も少なく,文化的にも価値の高い建物が現在でも数多くのこっている街でもあります。
一方, 海と直接関係のある運河の計画についても,明治32年,海面埋立方式による手法や,
その他の問題について,さまさまな議論をくりかえし,約20年の才月の中で,大正12年完成したところであります。
また終戦後、樺太沿岸を初めとし対岸貿易の場を失ったことにより、往年の盛況もかげりを見せていた折り港湾荷役形態の変化と合せ,
交通手段の変化による市内の交通量の増加にともない道路網の整備拡充を図る必要性から,昭和41年に、運河の埋立計画を立てたところ,
市内の文化人の中から,『小樽の最も小樽らしい歴史が無くなる』と云う反対意見が出て,
運河を造った当時と同じように色々な議論を呼び,計画を手直しをしながら.約20年におよぶ才月を要し,昭和60年に臨港線と現在の小樽運河の完成を見たところであります。
このようにして,小樽市民にとって海との縁は,日常生活の上において切っても切り離せられない歴史があり,また、将来においても同じような市民感情が生まれつながれて行くものと受け止めているところであります。
また、海と歴史的つながりのある背景の中で,小樽には他の都市にあまり類のない石造りによる建物として,旧日本郵船(株)小樽支店,日本銀行小樽支店など多くの歴史的建造物が,
市内に点在しておりこれらを軸にした歴史的景観や,小樽運河など多くの素材が現存することから,小樽市の将来に向け街全体の中で,これらとの調和のとれた街づくり、施設造りが必要となってきています。
また,港勢については,昭和45年に,新日本海フェリー(株)が,小樽〜舞鶴間に就航して以来,
貨物の取り扱い量も毎年顕著に増加を続けてまいり,平成元年には,21.35万トンまで延び、また懸念されていた対岸貿易の方も,近年は特にソ連船籍の入港が増え,昭和63年を境に91隻,平成元年106隻,平成2年には229隻と大幅な延びを示して来ており,全体的にも外航船が大正6年の680隻につぐ500隻の大台に乗る勢いで,昔をしのぶ面影も形を変えながら生れ変ってきている感じを与えて来ている今日であります。
その反面,インドネシア,フイリッピンなどの南方方面から輸入のあった木材関係も,昭和47年頃から輸出国において,丸太輸出禁止等法律により,昭和49年の33万m2を境に,昭和60年には,
10 万m2まで輸入の減少が続いて来たことから,重要港湾内にある23万m2におよぶ材木水面殺菌場としての施設も利用度が極端に落ち込み,一
部が遊休化して来たことと合わせて,小樽市民を始め,近郊の札幌市民のヨット,モーターボート愛好者の艇が,
小樽運河を中心に港湾施設内で係留も多くなり姶めて来ているかたわら,道内における海洋性レクリェーションに対する重要の方も急激に増加して来ている面から見て,将来に向けて海洋空間の秩序ある利用の促進を図る方向で,マリーナ建設が一番良い方法ではないか,
と云うことと,御承知のとおり, 小樽には, 明治, 大正,
昭和にかけて建てられた石造りよる歴史的建造物や,由緒ある多くの文化遣産などが,全国的に文化的価値感の見直しムードの高まる中で,近年は,商業,港湾都市に加え観光都市としても脚光を浴び始めて来ており,昭和62年には,2495千人の観光客が訪れるようになってきて以来,毎年50万人近くにおよぶ増を見せて来ているところでありますが,計画当時、小樽市では,街の活性化の推進方策として,文化財を活用した観光面にもカをそそいでおりましたことから,マリーナ建設については,これらの背景を充分考慮した上で,通年型の観光マリーナを建設し,一般市民並びに観光客の方々にも.親水機能を開放できる施設をと云うことで,基本的な考えをまとめたところであります。
昭和60年11月、この計画が小樽港港湾計画の中で位置付けされたことにより,マリーナ整備計画の背景,整備方針,基地施設の施設配置計画などの基本計画策定に必要な基本資料を得るため,社団法人,日本マリーナ協会に調査を委託する一方,昭和62年3月〜12月にかけて,地元小樽商工会議所,小樽市漁業共同組合及び関係者の方々に対し、計画の概要をご説明申し上げご協力を求めたところであります。
また,同時にこの計画を現実的に進めて行くに当り,管理,運営,物販などについての知識が皆無のため,全国的に販売シェアの高いヤマハ発動機((株)系列の北海道ヤマハ(株)と接触し,
小樽市のマリーナ計画を説明し,
協力方を求めたところであります。
その結果,
北海道ヤマハ(株)側では独自のマリーナ事業開発計画を検討され,昭和63年1月にその計画書が小樽市に提出されたところであります。
小樽市並びに北海道ヤマハ(株)との間で.
ヤマハ側から提出された,小樽港マリーナ事業開発計画書と,先に市が(社)日本マリーナ協会に調査委託をした小樽港マリーナ整備調査報告書を,それぞれ検討し,基本的な原案を策定したところであります。
これに基づき,昭和63年10月にヤマハ発動機(株)側から,小樽市に対し事業参加についての意向が伝えられたところであります。
平成元年2月,整備計画について,基本的に合意に達するとともに,管理運営については.
第三セクターを設立し,整備計画の進め方ついては,小樽市,北海道ヤマハ(株)、第三セクターの三者共同で総事業費25億円を,それぞれの役割責任分担をきめ実施する運びとなったところであります。
平成元年6月,小樽市、北海道ヤマハ(株)、北海道中央バス(株)、西條産業((株),
(有)祝津マリーナの出資による一市四企業による、資本金2憶円の第三セクター,(株)マリンウェーヴ小樽,が設立されたところでありますが,平成2年3月には,増資と合せて新たに(株)九井今井の参画により,資本金3億円となったところです。
以上,工事並びに管理運営面における基盤が出来上ったことも有りましたが,公共による防波堤などの工事は,昭和63年より着手していたところでありますが,平成2年10月より民間によるセンターハウス.駐車場,
固定桟橋,ボートヤードなどの一連工事を平成2年4月のオープンを目指してスタートしたところであります。
その一方, 管理運営面において,北海道ヤマハ(株)より,社員1名が出向,現地で3名を採用し,計4名の職員体制を取った上で、5年間で陸上保管100隻,
海上係留200隻を目標に10月より使用申込の受付を開始したところであります。
この間、オープンに向け6ヶ月,民間側による工事の方も計画以上に進め、公共の工事を一部分をのこし、管理運営並びに運航に支障をきたさない状態で平成2年4月27日オープンしました。
艇の係留及び保管申込状況は,オープン当時123隻と,一応マリーナとしての景観も出来上り,関係者一同ホット胸をなでおろしたところでもありました。
その後, 5. 6月頃から,
マリーナも一応の完成を見たと云うことから,多くの愛好者が訪づれ.現況を確認し施設が大変立派であり,全国でも有数のマリーナではないか,と云う認識を持ったことと,合わせて,この近海はニセコ,積丹,
小樽海岸国定公園と云う自然環境に恵まれている上に,大都市札幌市が隣接にあり、車で約40分足らずと時間的に大変近いことなどの有利な条件が重なり合って,
6月頃から毎日申込が続き、7月末には海上係留が, 8月末には陸上保管の方がほぼ満隻と云う状況になり,
9月以後の申込の方は,現在空き侍ちと云う現状であります。
次ぎに,施設面で他の施設から見て特徴のある部分について若干ふれて見ますと,
第一には,重要港湾の中にレジャー施設が造られたこと、第二には日本海側は,干満の差が非常に少なく小樽港マリーナも約30糎程度であることから,マリーナとして全国的に非常にめづらしい固定桟橋を採用することが出来,
施設としての美観をより一層高めていること,第三には,センターハウスが管理事務所以外に,観光客が利用しやすいようにレストランを初め物販店などが,多く入居していることなどが上げられます。
つづいて、管理面について申し上げますと,小樽市,北海道ヤマハ(株),(株)マリンウェーブ小樽の三者管理であります。
また,この施設を利用する全オーナに対し,全所属艇に損害保健並びに指定無線機の搭載が,義務づけされていること,第二には,陸上保管の艇には美観上の関係から指定された船台しか使用させないこと,
第三には,海上係留の艇は,ゲートが暗唱番号で,陸上保管の艇は赤外線センサーで管理されていることが上げられます。
更に,運営面で申し上げますと,モーターボートの操船につきましても,初心者の方々が多いことから,当社では,水面に関する予備知識を多く持って貰らえる様に吸収されたく,研修会を海上保安部,測候所,漁業共同組合などのご協力をえて実施しているとともに,色々な情報を文書でも提供し,小樽港マリーナのイメージダウンにつながらないよう,安全対策について万全を期するよう心がけているところであります。
このように,当初小樽市で考えていた通年型観光マリーナとしての目的もある程度達して来ている状況になって来ているところでありますが、市では,
現在艇を持っておられない市民の方々や,観光客の方々に,広く親水機能を会報するため,散策路の中に遊び場としてのスタンドや,夜間レストランから見える散策路の一部に,星座夜景をはめこむなど,他の施設には無い,独自の特徴のある施設造りにカをそそき,
観光客の誘導と小樽のイメージアップに努めているところでしあります。
この施設もごく最近まで,木材,製材置場の中に小樽港マリーナが存在しているような感じでありましたが,
隣接地に小樽に大変ゆかりの深い俳優の石原裕次郎記念館の建設がきまり、平或3年7月オープンを目指し,現在工事を進めているところであります。これらの施設が完成した暁には,小樽運河周辺と並んで,小樽港マリーナ周辺も小樽を代表する観光の核となるものと考えております。
幸にオープン後,道内はもとより本州方面から,関係者による視察と合せ多くの観光客が訪づれていただいたところでありますが,とりわけ,全オーナの8割におよぶ札幌市民の来樽が目を引き,特に夏期間の土曜,日曜は,かなりのオーナが家族づれ,友達づれで艇に泊り込みをするなど,水上ホテルと云った雰囲気をかもしだしているところでありますが、これからの冬期間、雪国の北海道で初めての通年型の観光マリーナとしてスタートしたことから,
越冬するにあたり、船には防雪用のテント, 除雪,
艇の事故防止策など、すべてが初体験となることから,非常に神経を使っている状況であります。
最後になりますが施設設備の概要は次のとおりです。
| 陸 域 面 積 | 2.3ヘクタール |
| 海 域 面 積 | 7 ヘクタール |
| センターハウス | 726坪 |
| 海 上 係 留 | 2oo隻 |
| 陸 上 保 管 | 100隻 |
| ゲストバース | 50 隻 |
| 固 定 桟 橋 | 水道及び電気設備あり |
| 上下架施設 | 最大荷重, 20t |
| 整 備 工 場 | 1ケ所 |
| 船舶給油所 | 1ケ所 |
| 斜 路 | 平成3年度完成予定 |
| 駐 車 揚 | 150台 |
| 散 策 路 | 3200m2 |