千歳空港とターミナルビルの今後の課題
秦 巌 夫
千歳空港ターミナルビルが営業を開始したのは昭和38年4月1日で、それは防衛庁所管の千歳共用飛行場の東側の一部が運輸省の民間空港地域に所管替えされた時であった。それから、15年余りが経過したが、その間プロペラ機はジェット機になり、更にジェット機も大型化し、航空旅客の飛躍的な伸びと相挨って昭和52年の千歳空港利用客は650万人を越え、千歳空港を起点とする定期路線は四国を除いて全国各地を結んで居り、便数も1日140便に達して居る。
然し乍ら一方空港ターミナル施設に就いて見ると15年前に建設したターミナル地域は余りに空港の東北の隅に片寄って居り、ターミナル周辺の地域も狭く、今後増設拡張を必要とする現状に於て数多くの問題を抱えて居る。これらの問題点を一つずつ取り上げて今後如何に対処するかと言うのが本稿の主題であるが、その基本にあるのが千歳新空港であるので先ずそれとの関連について真先に触れて見たい。
千歳新空港は幾多の曲折を経てから昭和48年l2月に運輸大臣の設置告示がなされ、昭和53年即ち本年の12月1日に供用開始の旨が公告されたが、現在用地買収を9割近く終えて今日迄滑走路その他建設の為の準備工事の為に約50億の投資がなされたが現在進行中の昭和55年に終る第三次空港整備5ヶ年計画では3割前後の進歩率が予想されるだけで昭和60年に終る第四次空整でもその完成は覚束ない。
このままで推移すれば何れ新空港が完成した暁には現空港ターミナルはその機能を終って凡て新空港地域に必要な施設を建設してそれに移ることになって居るが果してそのことに問題はないのであろうか。
千歳空港ターミナルビルの管理運営をして居る北海道空港株式会社では、4〜5年前に米国シアトルのボーイングエアロシステム会社に依頼して「千歳空港1990年」と言うマスタープランの報告書を作って貰ったことがある。日本では閣議決定とか運輸省告示などはそれを修正することはタブーで、批判など思いもよらないので自由に物の言えるボーイング会社に意見を求めたのであった。
ボーイング会社は新滑走路を作ることは賛成で、新滑走路の位置も政府の案で大体結構だと言うことであった。問題は軍民分離で、運輸省告示の様に現千歳空港に隣接して、その東南に新空港地域を作り新滑走路を作るなら、何も新空港を第二種空港として防衛庁所管の今の空港と分離して別のものとするより、滑走路を3つ及至4つ持った空港に拡張して共同施設をフルに利用した方が得策であると言う考え方である。
私は今でも此の考えの方が勝って居り、運輸省も新空港などと言う考えは止めてしまって、真剣に拡張後の空港を一本化した運用について専門家を集めて再検討し、必要に応じて閣議決定の修正なり、運輸大臣の告示の改正なりをしたらよいと思う。此の点現在千歳空港を使用して居る日本の民航三社の幹部は、努力も足りないし消極的に過ぎると思われる。
さて千歳空港のネックと言うか障害になって居るものの大半は、一向に見通しの立たない新空港の遅々たる建設の進捗ぶりに依るものである。第一に狭溢なエプロンである。現在大型機が駐機出来るスポットは11位あるが、数年前に建設した新エプロンは600米位南方に離れて居り、電気も水道もなく殆ど使われて居ない。
ハンガーに就いては、東亜国内航空の第ニハンガーが此の程建築に着手したが、全日空のハンガーは防衛庁から運輸省に用地の所管替えがもたついて居た為今以って建設されていない。ハンガーの無いことから大型機のナイトスティが出来ない為、冬ダイヤと夏ダイヤとでは旅客の利便に大きなハンディキャップが出て来る。
毎年伸びて行く旅客増に対応したターミナル施設の拡充等に於いても思い切って計画を立て難い。凡ては新空港の建設との兼ね合いから当面の急場を凌ぐ改造に落着くことになり兼ねない。
唯今の拡張の指針は昭和55年度の需要を頭に置いて一昨年から昨年にかけて運輸省航空局と航空三社並びに当ビル会社と相談して作った暫定計画がある。此処一両年中に、此を基にして逐火計画を実行して行くことになって居るがその大要を記すれば火の通りである。
第一はターミナルビル本館の機能を出発と到着に分けることである。
一咋年日航と東亜国内航空の二社の使用する為の所謂第二到着ビルを拡張し全日空と三社供用の到着専用ビルとする一方、現在のメインビルから全日空の到着施設を除いた部分を改造して三社の出発専用ビルに直すことである。此の改造は段階的に進めて行かなければならない。現在本館二階にある食堂売店等は何れも昭和45年、今の半分位の旅客を頭に置いて作ったままであるので、これらのテナントに対しても相当のスペースを用意しないことには旅客の満足を得られないと思う。
次は国鉄空港駅との連絡問題である。今から7、8年前に千歳空港駅の新設が問題になったことがある。千歳空港の前を北海道の東海道線と言うべき千歳線が走って居る。空港前に国鉄駅の無いのが不思議な様なものだがそれが此の程漸く具体化するに至ったのである。
色々な調査段階を経て陸運局が道路交通の緩和対策と言う面から航空旅客の一部鉄道輸送を考えたのであったが、当時空港ターミナルと千歳空港駅の間の200米区間に動く歩道を設置することを条件とし、その設置者を誰にするかで暗礁に乗り上げ、国鉄の北海道総局は此の計画から降りてしまったと言う経緯があった。
それが一昨年昭和51年7月、国鉄の高木総裁が北海道に見えた時千歳空港前に国鉄駅を作り東京からの旅客は千歳まで航空機で運び、千歳に降りた航空旅客は鉄道で道内各地に運んだらよいと言う考えが打出され、それから2年して漸く此の構想が具体化することになった。それには石勝線の開通、千歳線の電化ということもきっかけになって居るが、何れにしても昭和55年の10月石勝線が開通する時までに国鉄千歳駅を開設し、千歳駅からターミナルビルまでを連絡橋で結び、ターミナルビルの二階に連絡橋を取付けることになった。
国鉄の輸送ダイヤをどうするか、動く歩道をどうするか、未だ問題はあるけれど、此で方向だけは決った訳で空陸一体の輸送体系と言えるものが具体化に踏みだした訳である。
最後は国際空港化の問題である。当初新空港が動き出した時、新空港は国際空港にしたいと言う考え方が道の総合開発計画の中で調われて居た。然しさっぱり新空港が捗らないままに堂垣内知事は昭和53年の正月千歳現空港を国際化しようと言う提唱を行ない、その為樫原副知事を会長とし板垣札幌市長、東峰千歳市長を副会長とする協議機関が発足し、早急にCIQ施設を常設したいと言う方向に進んできた。
空港ビル当時者としては近く関係当局に、国際線施設のマスタープランを出すことにして居るが、差し当りは大型機一機分として、官庁部分と併ぜて2階建5,500平方メートル位のものを考えて居る。千歳を起点とする国内路線は益々増えるであろうし、その上国際線も入って来るとなると、航空機のスポットをどうするか、これらは新空港と絡んでこれから急速に検討を始めなければならない問題である。
(北海道空港株式会社 取締役社長)