礼文空港の概要について
上 出 正 一
はじめに礼文島の概況について、申し上げます。礼文島は北海道の西北部に位置し、稚内港より59kmの日本海上にある離島です。島は南北に細長く問囲72km、面積83km2、人口6,500人余を有する一島一町の町で、開拓の歴史は古く、昭和55年には開基100年を迎えようとしています。古くから漁業の町として開発され町民の70%は漁業に従事しています。魚の宝庫として開発され、産出する水産物も昭和52年24億余の巨額に達しております。特に200浬時代の今日は、我が国の水産食料品の供給基地として、重要な位置にあることを如実に示しています。年々開発施設の基盤が拡充されると共に、昭和49年l0月利尻、礼文、サロベツ、国立公園の昇格に伴って観光客の往来も多くなって来ました。昨年の実績は40万人に達し、l00万人観光は夢でなくなリ、今後の飛躍的発展が期待できる点も、特筆に値する事実であります。国立公園の指定区域が全島に及び、然も一帯は極めて風光明姻で日本屈指の野島がさえずり、花の礼文、文化財指定の高山植物が散在するなどの国境の地として特殊な観光効果を有し将来を期待されています。
本島の経済は水産漁業の町であるため、中央の消費市場との流通によるところ大でありますが、地理的に遠隔で幾多の不便を忍んで参りました。このため魚価が不安定で漁業に不安を期たし転職を希望する方もありました。特に離島の場合、医療施設が完備されていないため、重患は随時本土の病院に入院治療することが常で、急を要する場合は、海上輸送のみに依存し、海上荒天の時には連絡船の欠航で交通が全く途絶され、人命の救援はおろか産業の開発をも阻害していたことは事実であり早くから航空路の開設を町民が、熱望していました。
早くから住民の強い要請を受け陳情して参りましたが、残念ながら詳しい記録がなく、昭和40年に稚内開発建設部が調査した礼文空港飛行報告書を基にして記憶をたどりながら、礼文空港の概要を綴って見ます。
昭和40年8月20日開発局の予算で当時札幌丘珠空港に支店がありました横浜航空所属のセスナ172C型機を借上げ礼文空港の飛行調査を行いました。調査の目的は、船泊地区の建設予定地(別図その1)の地形が、空港に適するか、否かでありました。調査の結果、滑走路延長600mが適する(当時は隣島の利尻空港が600mの滑走路のためと思われます)。滑走路の方向は158゜50'の一方に紋られる。風資料が香深地区における記録しかなく、船泊地区とは相当の差があると思われるので、気象資料を充分整備し、利用度を考慮したのち、決定することが望ましい。
以上のような結果が報告されています。
その後、昭和42年に空港整備5ケ年計画に礼文空港の建設計画が検討され、昭和40年の調査した子定地を計上したのですが、将来の拡張計画(1,200mを想定したようです)を考えて再度島内の適地を検討する必要がありと記録されています。
以後礼文空港建設計画は一時中断され、住民も絶望していましたが、国、道において道内の離島民の民生安定対策として、奥尻、利尻、礼文、の3空港の建設計画が重視され、昭和47年度の開発予算に礼文空港建設の調査費が認められました。この調査を開発局に依頼し、同年11月14日、航空局の千代田号によるフライトチェック調査が行われました。調査の概要は、滑走路800m、巾25m級のSTOL
機用空港の整備が可能であるか、また将来YS-11級航空機が就航できる空港に拡張することが可能であるか、否か、でありました。島内の候補地を選出して最終的には4候補地(別図その2のイ.ニ.,ホ.ヘ.地区)について、飛行検査を行った。調査の結果は結論として、飛行の安全性・就航率等を勘案して総合的な判断で(ホ)と(ヘ)に紋られた。(ホ)・(ヘ)案ともウィンドカバレッジが低く就航に問題はあるが、島内の適地は両案よりないため、報告書を検討して(ヘ)案(現空港の位置)に決定された。
この調査には私も町の担当者として飛行班に参画した一人ですが、地上での想定と実際に空から見た地形の凹凸は想像以上でした。住民の強い早期着工の要請もありましたので早速計画測量、概略設計を進めましたが、数年次に亘るため更に全体の詳細設計を行って年次毎の計画を樹立して昭和49年5月に空港設置の認可を申請しました。現地において公聴会等が開かれ、12月5日に設置認可され昭和50年3月14日政令第36号で第3種空港に指定されました。昭和49年度は補償工事の一部が予算化され、長年の念願でありました着工の実現をみた次第です。昭和50年から本工事に着手して昭和52年12月の完成まで4ヶ年に亘る事業でありましたが、昭和40年の調査から実に13年の長い期間を要したことになります。礼文島の地形から滑走路方向が限定され適地の選定に長期の調査を要したのも一つの原因と思われます。
本年6月1日開港され一番機の就航を見たことは、関係各位の離島に対する暖いご支援、ご指導、ご援助の賜ものと厚く御礼申し上げます。また工事中における難点は、工期の制約、土工切盛の均衡(離島並びに積雪地域のため)、土質の急激な変化など島特有の問題がありましたが、皆様のご理解と、設計施工業者の献身なご協力によって予定どおりの完成を見たことに対し謝意を表します。
以上礼文空港の概要について記述しました。また、開港後も空港の管理を担当していますので、一層のご指導を下されば幸と存じます。礼文空港の規模等は火のとおりです。
種 別 第3種 礼文空港 管 理 者 北海道 飛行場の位置 礼文郡礼文町大字船泊村字幌泊 標点の位置 北緯45度27分10秒
東経141度2分35秒
標高27・30メートル空港用地 11.06ha 着 陸 帯 長920m 巾60m 滑 走 路 長800m 巾25m 誘 導 路 長 30m 巾9m エプロン 2,000平方メートル 道路駐車場 1,500平方メートル ターミナル 1棟(264.6平方メートル) 道路駐車場 1式 飛行場標識施設 1式
参考までに空港建設地の地形、地質について記述して見ます。
地形、地質
空港建設地の礼文島北東端幌泊部落背后の台地は中生代礼文層郡に属する内路層(玉葱状集塊岩、角礫凝灰岩、扮岩質熔岩流、粗粒玄武岩)の分布する地域であり、金田ノ岬にわたる半島の主要部を構成するものである。
この台地は海岸線と平行に20m位の範囲に住居を構える幌泊部落(標高5m)の背後に高さ10m位の崖を接して接続する巾200m(標高15〜30m)の丘陵地でさらに高山(標高171.5m)より北へのびた尾根が台地と平行に北端(標高43m)までのびている。
このような地形は緩やかな丘陵地形を呈して居り、海岸線間近で段丘面を形成している。このうち台地部は洪積層の段丘堆積物に3〜4m程被われており、一部にはさらに洪積層の上位に3〜4m程の沖積層が被っている。
内路層は札文層郡の向斜軸(ほぼ南北性の向斜軸)をはさんでその東翼にはじめて姿をあらわすもので、北端金田ノ岬より香深井まで海岸線に添ってほとんど同じ層準で露出しており、傾斜は30〜40゜をなしている。
岩層は主として、暗緑色あるいは暗褐色の堤灰岩、集塊岩角礫礫岩などで、とくに集塊岩の玉葱状構造がいちじるしく内路層の特徴となっている。
この内路層は、上層部がかなり風化しており、変資が甚しく亀裂もよく発達しており、風化上及至は上部風化帯となって、丘陵地の尾根部では10m内外の層厚があるものと思われる。なお、海岸近くは洪積層が3〜4m程堆積している下部に3〜4mの風化帯があり、ほとんど風化土化しておりその下位に岩が露出しているが、その岩質も風化しており脆いものである。
表土は、有機質を含む有機土で黒褐色を呈しておりその層厚は1m以下である。
段丘堆積物は、低位段丘堆積物と高位段丘堆積物とに分けられ、低位段丘堆積物は台地部に最大4mの層厚で尾根部へ漸次薄くなっており、構成は礫交り砂質土が主要でシルト及び粘土分も含まれている。
高位段丘堆積物は、尾根部の局部に分布しており、礫混り砂質上から成る。沖積層は最新の堆積物で金田ノ岬に近い洪積層の上位に推積しており、これも局部的な堆積層であり、礫文りシルト質砂質土が主要構成となっている。内路層は前記の通り玉葱状集塊岩、角傑凝塊岩が主要構成岩であり、上部は甚しく風化しており、上部風化帯となっている。
(礼文町 建設課長)