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新しきものと古きもの

小樽臨港線と関連して

瀬 藤  智 雄

 

まえがき
 
この度小樽臨港線改修に伴い運河と倉庫群を一部取りこわしの問題が論議されているが、何故私がこの問題を取りあげようと思ったかについては若干の思い出があるからである。 もう20年も前のこと、昭和33年の夏の頃である。札幌〜小樽の高速道路について日本道路公団初代総裁岸道三氏にこの道路の視察をして貰ったが、岸さんは小樽が生んだ経済人でもあったが、小樽市民は.この道路の実現に、どれだけ期待を寄せていたか、私は岸さんとはその後時々お会いした経験から、身に泌みて市民の熱意を感じとっていた。それに当時のルートそのものが現在のそれに一致しているからなお更関心が高いのである。私は岸さんの来道の折道路視察の案内もしたのであったが倉庫群のたち並んだ所で“この倉庫群の移転については充分に考慮すべきだ”と注意されたことを、今でもに残って離れない。
 それが移転についての補償が難しいという意味であったのか、または、岸さんは小樽で生れ、小樽で育ったから、あの倉庫の歴史をよく知っての言葉であったのか、その当時の私には、いま考えても、真意をつかみかねない。その後、昭和38年頃と思うが、直接私に“来年は着手するから”といって別れたがその年の暮に岸さんは急逝された。私はこの道路の実現を心ひそかに待ち望んだが、それでも冬季オリンピック大会が札幌市で開催されるのに合わせて昭和41年の末に実現を視たのである。しかしこの道路と小樽港とを結んだ取付け部分は実現されなかったが、主要道々小樽臨港線として昭和41年において、将来の小樽市の街造りの一環として、都市計画街路に決定をみて、直ちに事業認可もされ着手されておったが、突如として昭和48年になって゛運河を守る会“が市民の中に発足されて以来工事の執行が頓座しかねない状態になった。それは今では全国的にも注視されることになって、一種の市民運動の様相を呈している観がある。私は当時のことを思い感慨の新たなものを感じて私見を述べたいと思ったからである。私は1日でも早くこのことが解決されて新しい小樽が生れてくるのを願ってやまないものである。

小樽の街と札幌の街
 
外国でもそうであるが日本列島は四方海にかこまれているので、都市は海に面した所に発達していった。わが国で海に面してない都市で大きい所では、京都と札幌くらいのもので、京都は至近な所に大阪港や神戸港があり、札幌も至近の所に小樽港をもっていたのでやはり港の影響が多分にあって発達して大都市になったのである。
 小樽港が天然の良港に恵まれたこと、石炭の積出港として逸早く発展したので港や鉄道は古くから計画的に立派にできあがったが、市街は後背地は山がせまって、平地もすくない丘稜地のため街路は道巾も狭く曲っていて、札幌のように整然として作られたわけではなく自然発生的な感があり、小樽市と札幌市とは全く対照的である。札幌の“しんとした巾広き町”としてうたわれた反面、小樽は雑然とした感がある。然しそうした町並から別な変った風潮が生れてきたのではないかとも思う。
 それはともかく、小樽は自動車の出現以前に発達したのであって、まさに荷車、馬車の時代である。その当時の市街はそれで繁栄していたのである。(表1参照)表でも判るように明冶、大正、昭和の初期いわゆる戦前において経済の盛衰もあっだけれど人口も札幌よりは少いけれど大差なく増加していった。 しかも馬車の数に至っては札幌を遥かに突破して2倍以上もあったことが判る。その当時の写真をみても運河に小舟が満ちあふれ、そのわきの道路上には馬車が連り、その背後に倉庫が見えて当時の繁栄を偲ばせるものがある。
 然し当時としては小樽は経済、金融、商工の都市として発展していったが、戦後になって、わが国の経済の高度成長とともにモータリゼーションの時代を迎えることになった。
 この表2においてみるように昭和25年から50年にいたる4半世紀において人口においては札幌が4倍にもなり自動車数においても、約100倍位にのびているのに対して小樽市は人口の延び率は1.03倍にもかかわらず自動車数にては37倍にふえていることは、その比率においていかに小博市の自動車が札幌に比べてのびていることを示してる。こうした現象はひとり札幌市や小樽市にみられる現象でなく全人口においてもみられるのであるが札幌市と小樽市は極端というべきであろう。
 ひるがえって小樽市と札幌市における道路に対する投資額については如何なものであるか、私の手元に資料はないが対人口比、車1台当りの投資額を調査したら明らかになるのであるが恐らく札幌市とは数段の格差があろう。更に札幌市は地下鉄に巨額の投資をしていることを見逃がせられない。かくして小樽市は戦前における馬車時代よりわずかしか交通に関して前進してないことが判ってきた。
 それにもって今回の臨港線に対して巨額の工事費を道が投下しようとしているにかかわらず昔の倉庫群と運河を守ることに専念していることはどうであろうか。この馬車時代から自動車の交通革命ともいえる時に、自動車を考えないで経済は考えられない。自動車の増加は必然に道路の整備を伴う。その結果経済、ひいては文化面においても向上される。かくして市民の繁栄が期されるのである。小樽市が斜陽化しているのは何故か、人口が増えていないのに何故自動車のみ急増したか。
 日本の道路が“これ程の工業国でありながら信じられない程悪い”とアメリカの視察団のアドバイスもあって道路改革に入ったのは昭和29年からである。当時は2,600億円の5ケ年計画はその後の物価の変動もあるが現在28兆5,000億円となっている。その規模は100倍以上に達している。戦後欧米の道路に追いつけ、追いこせと努力した結果でも未だ整備率からいってその半ばにも達してない。このような時代に小樽市の国道は渋滞の極に達している。その代替線ともいうべき臨港線の改修に凡ゆる努力をすることこそ小樽市民の責務ではないか。
 附言したいことは臨港線のみでなくこれに続いて長橋地区の国道改修がある。これも現在交通混雑で渋滞を起こしている。このことについても、小樽市広報l1月で報じている、現在地区で協議中のことであるがこれまた種々困難なことに面しているようであるが、ここには歴史的な構造物がないので臨港線のようなことにはならないと思うが、ともかく、西には長橋地区の改修、東には臨港線の改修があって初めて小樽市内の幹線の交通がスムーズになるのであって両者の問題の解決が望まれるわけである。然しここでは臨港線の方に重点がおかれていることは片手落ちになるけれどお許しを戴きたい。

 

古きものと新しきもの
 
人には懐古的趣味がある。特に郷土の風物には愛着を感ずる。小樽の倉庫群と運河は絵画の材料にもなり、また文学者のよき題材でもある。あの古びた倉庫は小樽の繁栄を伝えるに、ふさわしいものものに違いない。また特に都市における水面は住んでいる人にも旅行者にも、うるおいを与えてくれるものである。東京の濠端の水面は近代化された東京にとっては、あの宮城と共に索漠とした東京の風景に何という安らぎとうるおいを与えてくれるであろうか。
 余談になるが、戦後、宮城周辺の交通混雑のため、宮城の中に道路を作ったら、交通緩和に役立つではないかという案もあったが、それは、戦後の荒廃した一部の人々の意見であって、これは沙汰やみになったが、これは、あの宮城とお濠の世界的にも誇りうる風景に対しては、そのようなことは、できなかった理由である。そういう意味では小樽の倉庫群と運河は何としても残しておきたい。
 例えば札幌市においても由緒ある創成川がある。私はかつて川の部分を高速道路にしたらという案を出したところ、たちまちにして葬られたことは、やはり小樽市とおなじく、あの水面に対する郷愁に外ならない。その後札幌市の交通機能増進のため現在みるような構造になってしまった。あれでは折角残した創成川は市民とは迂遠なものになって近親感がうすれてしまった。あの計画にはもっと市民が参加して自然を生かしたものにすべきであったと思い残念である。
 また別の例では札幌駅前のアカシヤ並木を伐り倒したことがある。実際交通事故も発生していたし、当時は電車軌道もあって、冬では軌道が除雪した細い道を辛うじて自動車が動いていた。並木伐採の話を聞いて、市民の代表者、知識人などが来て“あの並木は道路管理者のものではない。市民のシンボルである。パリのマロニエ、ベルリンのぼたい樹と同じである”といってこられたことがある。私は事故も多発しているし、交通の内滑化をはかるべきことを説明し“貴方がたの街路樹を愛する気持ちは解るが、人の命と並木と、どちらが大切か”と尋ねたら代表達も納得して帰ったことがある。
 同じような例に全国的に有名になった日光街道の太郎杉の例がある。数年前通ったことがあるが無事残されてあったのを見て喜びを感じた。
 また橋についても私は札幌の豊平橋は原形をとどめた形で残しておきたかった。(このことについては昭和41年1月北海道新聞の随想として一文を草した。近く札幌市の教育委員会発行の“札幌の橋”にのせる予定)、今はその面影もなく、近代的な橋に生れ変った。釧路の幣舞橋については市民が慣れ親しんだ愛惜の情を釧路市が窓口になり架替に伴う市民の声を10回にわたって討論会を開いて、これを取りいれられた好例である。新橋には日本の代表彫刻家4名の“道東の四李”という題でブロンズ像がとりつけられ、近代的な橋が計画的に完成されたことは住民の協力の結果である。
 最近このように住民の意見がとりいれられるようになったことは喜ぶべきだ。地域住民のコンセンサスを取りつけることが必要であってこの点の考慮なしには住民運動が起きることは当り前である。特に公共事業は建設者自身の判断で実施されていた傾向があった。人間の尊厳さ、情緒性を重視する傾向があらわれたことで、地域住民の意向が反影するようになったことは喜ばしい。最近の物の評価法にも単なる物理現象でなくもっと人間性、情緒性をとりいれた総合的な評価を公平に行うべきである。特に注意すべきは地域住民のエゴイズムが、ややもすると起りうるからこれには注意すべきである。大局的見地にたって公平に行うことである。小樽市の場合は、充分今の運河を守る会の運動を公平な立場でしかも小樽市の発展に寄与する立場から判断すべきものである。

港湾の近代化傾向について
 
港湾の情況についても・戦前とは全然様相を変えてしまった。私も昔話になるけれど20年も前にニューヨークのポート・オーソリティを訪ねた時に、岸壁でコンテナー輸送をやっているのを見て認識不足で不勉強のためもあったが驚いたのである。
 これも余談ではあるが、当時のアメリカ人の説明では、現在各国から自動車が陸あげされているが、日本の車は未だ1台も入ってこないと皮肉めいたことを、言われたが、今日日本製の自動車が、全世界を走り廻り、各国で、日本製の自動車の輸入制限をしようとしていることと思うと、この10年間位の間に、いかに日本の工業生産が、恐しい急テンポで発達して来たかが判るのである。当時としては、考えられない程、日本の成長ぶりが、判る気がするのである。小樽市の広報(53年12月)にも次のように説明している。港湾貨物の輸送の流れを、昔と今で図式で説明している。
 上の図ではいま倉庫はふ頭に移転している。従って運河までハシケで輸送する必要性はない。従って倉庫群と運河は昔の機能性を失ったことを示している。事実現在の埠頭は近代的な設備で埋っている。
 次に船舶輸送の近代化である。現在北海道では日本海ルートと大平洋ルートがある。

これを図式で示すと

a(日本海ルート)東京→新潟→小樽港→(もしくは石狩湾新港)→新港基地
b(大平洋ルート)東京港→苫小牧→大谷地基地

 a)とb)とを比較した場合、海上は船で運び、陸上をトラックまたは鉄道で運ぶ場合、日本海ルートの方が大平洋ルートよりトン当り運賃が安いという結果が出ている(神代氏の調査から)
 そうすると小樽へ揚ってくる貨物は増加するわけであるから小樽港の使命は増加することになる。そうすれば小樽港にあがった貨物はこの埠頭に近い臨港線を通って流れていくことになる。これもコンテナーで連びフェリーボートの発達があったので輸送の近代化が行われ昔と今では一変している。小樽にあがった貨物は直ちにトラックで運ばれる。(この際鉄道輸送と比べる必要があるけれどトラックの運送シェアが大きいことに注目すべきである)この際附言したいことは、この図式が示すように関東地帯の貨物が新潟港に集るように北海道としても関越高速道路の工事促進をはかる必要性があって、道内の高速道路促進は勿論のこと、関越高速道路の早期完成を望みたい。

おわりに
 
運河を守る会は道路を改修するのには反対しているのではないことが判る。運河を守るために道路をどうしたらよいか検討をしている。小樽市の公報も別案として6案を用意し検討したが何れも難点のあることを指適して、結局原案が良いことを結論づけている。 しかも倉庫の一部を残し運河も一部は残るといっている。私は今まで道路の重要性、古きものの重要性も説明してきた。港の輸送形式の変化、フェリー、コンテナー化にもついて説明した。
 新しい重要性のある道路を狭い土地に造築するには、倉庫群と運河の一部とり壊す必要が生じている。それは市民にとっては耐え難いものがあろう。私は1日でも早く結論を出して貰いたい。それは小博市だけのものではなく全道に影響を及ぼすものであるからだ。国道(この際臨港線もその分身と見なして)の1部分のため全部の国道が迷惑することになる。しかもこの線は札樽高速道路に直結するからである。
 道路は交通機能のみを有しているのではなく国土利用の誘導、並に通風、採光、緑の空間、防災空間及び都市施設の収用空間といった巾広い空間機能をもっている。この点に注目して立派な道路を早急に完成するように、市民が協力すべきであることを強調する。
 終りになったが町田後志支庁長も云っている。特に小樽市内の交通渋滞がひどいので、倶知安−赤井川−小樽(小樽の終点は札樽自動車高速道路の朝里インターチェンジ)線を作って、後志圏と札幌都市圏を結ぶ道路を早期に整備促進したいと。これは小樽市内の交通渋滞の結果から生れた考え方だ。勿論この道路も多額の工事費も要するが是非必要だし、今後第2、第3の臨港線の必要性が起きてくることは必然である。いま議論することも結構だが、早く結着をつけないと小樽市はとり残されて、運河と倉庫群のみが残ったさびれた街になってしまうだろう。
 私は信じている。小樽市の腎明なる市民が大局的見地にたって小樽の繁栄をはかるため現在の臨港線の実現を期することを。
 北海道はまだ若い。しかし100年〜1l0年もすぎているから古いものも残っている。こうした小樽市のような例が起りうる可能性が今後とも起りうるであろう。そうした時に賢明なる指導者が北海道発展の方向を見あやまることのないように大所高処からの見地にたって解決を与えられることを希望してやまない。 (本会会長)

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