−本州・北海道架橋の集い 東京講演会−
津軽海峡と青函地域の活性化
(株)ケイ・プランナーズ
社 長 川 端 直 志
1.津軽海峡が日本の命運を左右する
日本に海峡がいくつあるかとというと、この津軽海峡とあと関門海峡があります。ところがこの津軽海峡と関門海峡というのは基本的に違うところが一つあります。関門海峡というのは、日本海から瀬戸内海の方にずうっと連なってくる。これは日本の歴史の中でも千数百年間大事な海峡でありました。もう一つの津軽海峡は、それと違う意味で大事な海峡であります。
21世紀は日本の時代じゃなくアジアの時代というのが正しいと思うんですが、ただもう少し考えますとアセアンから恐らく上海を中心とする中国の経済圏、将来的にはそこから北東アジアの経済圏というように移っていかざるを得ない。
中国の食糧事情というのは、将来は徹底的に不足してくるというのは明らかになっております。そうすると、食糧でのアメリカのカ−ドが切り易くなる、もう一つ石油の問題にしてもそうです。早晩中国というのは石油の大量な輸入国になってくる、要するにエネルギ−とそれから食糧、この2つがかなり大きな問題になってくる、それがもうあと10年、それ位の時代に迫ってきているんです。
そうなると、もう少し広く、北米、アルゼンチン、南米です。それを含めて環太平洋圏で見て行かざるを得ない。日本の現在の物流から見てますと、殆どが太平洋側に面しておる。ところがこれから出てくるのは、恐らく北東アジアとなってくる、プサンが北東アジアでのハブ港の役割を段々担いつつある。
これは考えてみれば非常に自然な成り行きではあるんです。北海道とアメリカは世界地図のなかで見ますと非常に近い存在です。そうすると実際にハブがプサンあるいは上海となりますと、今現在通っている、例えば東京−横浜経由、伊勢湾の名古屋経由あるいは関西の大坂、神戸を経由というこの航路は、ぐるっと大周りをしちゃうことになるんです。そこで津軽海峡の重要性というのが出てくる訳です。
この環太平洋の時代というのは、所謂、環日本海経済圏と言われているそれよりももっと早く津軽海峡の重要性というのが出てくる時代だと思います。すなわち津軽海峡を通って日本海側の方に、資源あるいは物流のハブが出来つつある。そういうハブをうまくつなぐ部分が日本の中にどこかなければならないんですが、それが現在の日本の国土計画の中では位置付けられておられなかった。広い太平洋全体のなかでは、津軽海峡の国際海峡という位置付けは日本の命運を左右することになるんじゃないかと私は考えております。
特に北西太平洋のなかで日本を位置付けていくということになりますと、一つにシンガポ−ル、香港それからぐるっと周って上海を経由して日本にたどりつくという、S字カ−ブという発想がありました。これは名古屋大学の城先生や何人かの経済学者の方が提起されている考え方です。ところが現実にはS字カ−ブではなくして、インドからシンガポ−ル、香港、それからホ−チミン、上海、マカオ、プサンという様になってきますと、ジグザグの航路、ウェ−ヴの様な展開へ向かってくるだろう、それが北西太平洋地域の位置付けになってくる。そのなかでこの津軽海峡を挾みます青函地域の物流のあり方を考えて行く必要があると、いうことです。
日本とアジアと欧州を上からかぶせた地図がございます。日本というのは広いんですね。ヨ−ロッパは、何か狭いんじゃないかという感じがされると思います。日本の周りが全部海というのを無しにして香港から上海それからカムチャッカ半島まで、このエリアというのは殆ど一体となって当然。ところが、それが一体になれないのがこの日本海の存在、海峡の存在であると考えて頂けるんじゃないかと思います。香港から北海道までの、この斜めの軸というのがEUとして一体化しつつあるヨ−ロッパ、それにかなり近い存在になってくる。アセアンと北東アジアをどうやって結んでいくか、それを見て頂ければ良いと思います。そのなかで、北海道は何をやるべきかということが、次の問題でございます。
2.人口80万の州に本社移転
子供が幼稚園だとか小学校に通っている、東京のお母さん達集まって話します、今度どこどこへ転勤よ、一番人気のが北海道で、北海道に行ってみたい、住んでみたいというのが圧倒的に高いですね。ところが、住んでいる人が少ない、これからの新しいインフラと産業の関係を考えていく上で、大きな資源を持っておるというのが、感覚的なことでも言えるんじゃないかと思います。それを、理屈っぽく申しますとどういうことかというと、これはよくフットル−ズ産業という言い方をされます。
以前の重厚長大型の産業は北海道でもパルプとか石炭とか色々ございます。それはどちらかというと非常にフットタイト、すなわち足まわり交通、特に港湾整備がなければ材料は入らないと、かなり物流一辺例の産業。フットル−ズというのは、それがどこにあってもいいけど、環境あるいはその背後のいろんな資源を結び付けながらネットワ−ク型でなってくる産業のことをいいます。現在ICだとか色々ございますが、エレクトロニクス産業はかなりフットル−ズ型に移行してきている。これがあるんで、テクノポリスというがあっちこっちで出来た訳で、新しい産業雇用の場が展開されてきた訳でございます。
ものを離れながら、より付加価値の高いものをつくっていこうというのが、徐々に始まってきております。典型で申しますと、金融でございますが、金融意外にもいわゆるR&Dと言われているもの、一つはそれを消費する消費地に近い。そういう意味では東京の周りには人がいっぱいいますから、それが資源でございますが、ところがそれだけではないんですね。
アメリカのあるアウトドア産業ですけども、何とモンタナに本社を持って来たんです。モンタナ州というのは、人の数より牛の数が多い所で、人口が80万しかないんですが、面積は日本より広いという、そういう所ですが、世界で最も評価されているアウトドアの企業が本社を置いた。一体どうことですかと。その企業に聞きに行ったんです。そうすると、一つはアウトドアの場所がモンタナは何でもあると、だから研究開発としても非常に良いと。要するに製作決定と研究決定とは一致すべきであって、それで最適であった。もう一つは、環境の持つイメ−ジ、イエロ−スト−ンパ−クを始めといたしまして、環境の持つイメ−ジの方が大きいんだと。三つ目に言われたのは、実はここでは何にも造っていない。造っているのは全部マレ−シアですよと。まさに新しい産業の立地条件というのを示しておるんです。今は通信だとかそういう条件も考えた時に、新しい産業の立地条件が大きく変わってくるというのがあります。
3.フットルーズ産業には環境がウリ
海外の企業が実際に日本に立地して不満だったのが何かと申しますと、コミュニケ−ション、これは英語が通じない、ドイツ語が通じない、当たり前の事なんですが、事業コストと政府規制、この2つを別にしまして生活就業環境というのが非常に大きくでてきております。生活環境とか就業環境というのが、これから環太平洋全体の産業構造を考えますと、大事になってくるというのがかなり明解になっております。地震で被害を受けた神戸でP&Gというアメリカの洗剤の化学会社ですが、これが極東本社を神戸にもってきたことがかつてありまして、“何で神戸だ”。その時に大阪も東京も横浜も誘致に血マナコになったんですが、かなり良い住宅や業務ビルを出してどこも殆ど遜色がなかった。ところが神戸が抜きんでいたのは教育環境だった。カナディアンアカデミ−だとか神戸には外国人学校、インタ−ナショナルスク−ルが全部で10校程ございます。神戸と横浜だけが違うんですが、非常にバライティがあることです。勿論コリアンの系統、中華学校は大阪も他の都市も殆どあります。ところが神戸にはノルウエイ、カナディアンとかフレンチもあるしと非常にバライティがあったということです。それだけではなくて、そういう学校を六甲アイランドを造るときに全部に広い敷地を提供して集まってもらった。で、それは非常に高く評価された。結局、子弟を勉強させる学校の教育水準、教育環境が他より抜きん出ておったのがございます。これからの産業を考えてみる時に、インフラというのは勿論交通。ともう一つは教育、文化、医療をちゃんとしないかぎりは、いくら環太平洋の時代だ、あるいは北米アジアのハブデポになるといってもとても実現出来ないことを認識しておく必要があります。さっき神戸のことを誉めた後こういうことを言うのはなんですが、私は神戸の出身でして、函館へ参りますと実は故郷の神戸に帰ったような気分がするんです。写真屋さんあるいは中華会館ですかね。何かちょっと聞いたら神戸から来た中国人の方が多いという。長崎から来た人達が門司、神戸を経由して函館に来たという。そういう港町どうしのネットワ−クで、函館は、新しいインフラを創っていく核を既にお持ちだと思うんです。この新しいインフラというのは、単なる道路を造ったり、鉄道を造ったり、というのと全く違うインフラで歴史だとか、それともう一つ大事なのは外への開放性、そういったものを合わせ持たなければ出来ないインフラなわけです。それを後はいかにして育てていくかということが、大事になっていくんじゃないかとそんな気がします。
青森の方もそれとは違う意味で、大事なものが出てくるんじゃないかと思います。むつ小川原の新しい計画をつくろうという委員会で、私がご提案しているのはフットル−ズ産業の方に思いっきり切り替えていこう。ただ、それを今まで整備した港湾だとか、物流のものとうまくコネクト出来るような、要するに付加価値を付けれるものに変えていこう。しかもそのフットル−ズ型のものに変えていくためには、徹底的に環境を売り出さなければならない、そういう話を今しております。恐らく函館の持っている都市としての機能、青森の持っている日本の中では現在独特になっております自然環境、この2つがセットになったときには非常に強い力を持ってくると思っています。性格の違う都市がネットワ−クでつながっていきながら、機能的に充足し合う広域の地域開発がこれから大事になってくるだろうと思います。
拠点都市というのが、どうしても必要となってくる。拠点都市は必ずしも人口の多い都市でなくてもいいと思います。むしろ、教育、文化、医療、今までの日本にない様な例えば高度な医療都市もございますし、世界に通用するような医療の常識をわきまえた施設、医療。文化に致しましてもこれからの多文化、多民族、アジア全体にちゃんと応えるかなりオ−プンな所という意味では函館の港町だというのが非常に大事なものになってくるだろうと思います。
4.北米・アジアの時代のインフラ
橋あるいはトンネルについて、今までいくつかやってきたなかで、10年くらい前のことを思いだしました。スマトラ島の鉄道を再整備しようと、スマトラ島を一ヶ月位かけて北から南へずっと渡ったことがあるんです。その時にインドネシアの陸運総局の局長さんが、スマトラ島とジャワ島の間をトンネルでつなぐ計画を出せないものかと言われたことがあります。そんな需要はございませんと申し上げたところ、その時にズバ−ンと言われたのが、津軽海峡というのはトンネルでつないでいるようだけど、そんなに需要があるのか、と。需要とコストのパ−フォマンスからすると、あれは非常にお金がかかったんじゃないか、と言われて、それじゃ今度調べておきますよ、と言った。その後段々とスマトラの経済が変わってきて、メダンとシンガポ−ルを含む新しい新トライアングル構想というのが出て参りました。
スマトラ島というのはインドネシアのジャワ島とではなくて、マレ−半島の方と結び付いてくるようになっている。元々そういうところは一部にはあったんですが、インドネシアの国からしますと、それを今度ジャワ島の方に結び付かなければいけない。
橋だとかトンネルというものは、こういう国境を挾んだ所で考えて参りますと、この津軽海峡に橋をどうやって架けるかというのは、まさに津軽海峡の両方にある都市なり地域なりが日本の中心部とのつながりでない、対アメリカ、対ロシア、対中国それからアセアン、それといかにつながってくるかということが、逆に津軽海峡のこの橋の重要性というものを、創りあげていく、そういう構造になるんじゃないかという気がします。
橋ではないんですが、例えばベトナムのダナンからミャンマ−、インドに通るアジアハイウェイというのもございます。昔スカルノ大統領の時代にオ−ストラリアまで全部橋で通そうという、計画もございました。色々な計画がある中で、津軽海峡のこの橋というのはウエイブ展開のなかの恐らく10年後位にやってくる、北米・アジアの時代に備えたインフラだと位置付けるべきではないかと思っています。
青函地域の経済は、今までの重厚長大型のものからは離れていく。むつ小川原にしても、段々とフットル−ズ型のものに変わってくる。そういうなかで、新しい環境を創っていく。しかも人口が多いから良いのはではなくて、むしろその人口の一人ひとりがどれだけ幸せか、所得だけでなくて、むしろ暮し易さ、文化そういったものを含めた所で評価される時代というのがもう来ているように思います。
カルフォルニアも最初は資源だとか食料を追っ掛けてきたんですが、ゴ−ルドラッシュでバッファロ−を捕りつくして、そこで初めて新しい都市というものが生まれて来た訳です。ものの流れが、金の流れを生みながら同時に最後は人の流れを生んできた。それを今度は逆行して行く。都市の美しさ、あるいは地域の環境が新しいフットル−ズ型を中心とした産業を呼びながら、最終的にものの流れを造っていく、そしてそれを定着させていく。そのためのインフラを造っていく考え方で戦略をたてていかなければならないんじゃないかという気がしております。
臨海副都心のユリカゴメ、新交通システムで非常に混んでいます。誰もあんなに混んでいるとは思わなかったんです。実際乗ってみて、地下鉄であそこに行ってポ−ンと上に上がってこれが臨海副都心です。さあっと言うのと違って、上からずっと見れるんです。ああ、あそこで本当は都市博をやるはずだったのよねぇ、なんていうふうに家族で話したり、彼女と話したりしながらそこに着く。地下鉄なんかと違う魅力というのを、新交通システムというのが持っている。横浜のベイブリッジもそうです。橋の美しさ、あるいはそこから見る光景、それから行ってみること自体が目的になるようなもの、そういったものが新しい需要を産み出しつつあると思います。これはまちづくりのなかでも重要なことで、例えばカルフォルニアのサウスリッド、サンフランシスコの橋を渡った所にあり元々は何の変哲もない漁村です。それが橋詰にあって、今はマリブからの人達だとかアッパ−ミルの人達の一つのメッカになっております。橋詰の都市、橋詰のまちづくりをこの架橋と同時に進めていく、これがこれからのテ−マになってくるんじゃないかと思います。
函館は橋詰のまちとして今までの港町としての国際性をアピ−ル出来るようなまち、青森の側は、むつの方から出てくる下北の独特の自然をアピ−ル出来るようなまち、かつてファッションを函館から運んで魚を青森から運んだ、それまさに原点じゃないかと思います。橋詰のツィンシティ−というものを造っていく。そして長期的には国際的に激動期にある今、ハブではなくデポとしての機能がこれからのまちづくりの中で、大事になってくるんじゃないかなと思っております。
架橋は言われてもう永いんですが、ようやくそれが現実のものになってきております。環太平洋の時代にこれから10年後位をタ−ゲットにした新しい核造りとして、青函両地域が一体化していくということは、ほぼ戦略として間違っていないと思います。そのための架橋を推進しておるということは、私も非常に重要なことだというふうに今日改めて認識した次第でございます。
どうもありがとうございました。
(本文は講師の了解を得て、当研究会が講演の内容を取りまとめたものです)