西 欧 研 修 雑 感
堂 野 賢 冶
ドーピー建設工業株式会社札幌支店技術営業課長
はじめに
この度,思いもかけず仕事に関連した技術研修でヨーロッパを旅する機会を得ました。
今回の研修はPC工法で有名なBBR社の招へいによるものであります。日本の技術屋を招き技術研修を通してBBRV工法の拡大化の糸口をさがそうというねらいがあったようです。昨年秋口に日本の協会にこの話がありまして,加盟会社のうち3社から1名ずつ選任とのことで,私のところへは9月末に話がきたものです。11月10日の出発を前に,残務整理や渡航手続きに追われあっという間の数週間のうちに,何とかなるだろうという開き直りの心境にもなったのですが,幸い同行の1人が海外渡航経験者でもあり、多少英語に通じていると聞くに及んでむしろ気が楽になりました。
ともかく, スイス, 西ドイツ, オランダを3週間の旅程でまわってきた訳ですが,
その間橋梁,建築等の現場見学,工場見学,
ディスカッション等と研修の目的を達するべく余念がなかった(というよりも余裕がなかったという方が適切かも知れませんが)ので,本会の意図するところにそぐわないかも知れないと思いつつ.感じたままを以下につづりたいと思います。
スイスにて
スイスでは, BBR本社のある関係でチューリヒに最終日を含めて計8日間滞在しました。標高411mのチューリヒ湖畔に位置する,人口37万程のスイス最大の都市として商工業,教育文化の中心地であり,
同時にヨーロッパにおける金融の一大中心地でもあります。また石器時代からチューリヒ湖畔には住人がいたとかで,歴史的にも最も古い町といわれています。
8世紀には商工業の中心地となり, 12世紀以後は十字軍遠征の通路として繁栄,
14世紀半ばスイス連邦に加盟, 16世紀には宗教改革の中心地となっていちやく有名となり,
それ以後ピューリタンの町として発展,現在市民の大半がプロテスタントとのこと。スイスの言語はドイツ語65%,フランス語18%,
イタリア語12%でロマニッシュ語が少々で.
チューリヒはドイツ語地域です。
搭乗した日航機は北廻りで,
ロンドンのヒースロウ空港にてスイス航空機に乗継ぎ,
チューリヒのクローテン国際空港に到着する迄, 延べ17時間を要しました。空港税はかからず,
空港から市内迄の約12kmは国鉄で結ばれており,所要時間12〜3分程で,料金6.6フラン(1フラン≠98円)でした。
市内の交通機関は, 中央駅を中心に市電とバスが良く発達し,市内交通の大半をになっています。路線図はホテル,旅行案内所で入手でき,切符は停留所の自動販売機で料金は1〜5駅(約30分間〜1フラン)と6駅以上(1時間以内〜1.6フラン)に分かれ,24時間有効(5.0フラン)の切符もあり,主な見どころは徒歩とバス,市電で十分(町中を見るだけならば1日あれば十分)とのこと。中央駅からチューリヒ湖迄の1kmは,
リマト川に平行してバーンホフ通りという繁華街があり,途中からリマト川の方へ曲がったサンクト・ぺーター教会の周辺がオールド・タウンで細い裏道の散策もなかなか趣きがあります。バーンホフ通りには,あらゆる経路の市電が集まっていると思われる程、支線が流出入しており,歩車道は美しい街路樹によってごく自然に仕切られています。
ビジネス街であるとともに世界有数のショッピング街でもあり,
並木路の両側には有名ブランドの一流店,デパートが立ちならび, 4〜5階建ての重厚な感じのビルの1階のショーウィンドーは,
人目を引かずにおかないものです。また通りからかい間見える教会や寺院の姿が,
一種独特の空気のにおい(カビくさいが澄みきったというか)とあいまって,何とも古めかしく荘厳な感じをかもし出していました。
電車に乗って気がついたことが1つ。 2輌〜4輌編成の電車には,
ボタン一つでどこからでも乗り降りできるようになっていて,
しかも運転手以外に乗務員がいないので,
買った切符を持ったまま降車できたことであります。
これならタダ乗りをされてしまうのではないかといぶかってみましたが,
そこはチューリヒ市民のモラルというか, スイスの国民性というか,
そんなみみっちい考えはみじんも起きないのであろうことが,
だんだんに理解できるようになり,さすが先進国の心髄ここに有りなどと感心し,神士淑女に内心万歳を唱えたものです。
話し変り,
スイスは山がまた格別に高く美しいところであることは衆知のことでありますが,週末に1度だけチャンスがあって.
チューリヒから鉄道で1時間余りのところにエンゲルベルグという標高1050mの町があり、そこからケーブルカーでティトリス山(3239m)へ登る計画を立てました。チューリヒからルツェルン迄は普通の鉄道で,
そこからエンゲルベルグ迄は高山電車に乗継ぎました。車窓からは,傾斜面の牧草地でのんびり草を食むひつじの姿や山々のすそ野に点在する農家の風景がながめられ,
さながら絵はがきを見ているような錯覚さえ覚えました。エンゲルベルグではあいにくとティトリス山向けのケーブルカーは,修理中とかで休止しており,
やむなく反対斜面のブルニー (1860m)迄ケーブルカーに乗り展望台へ行きましたが,
周囲を高い山に囲まれたここの眺望は意に反してすばらしく,特に眼前にそびえるハーネン山(2606m)の奇抜な情景は.
日本では全く見られないであろうと思わせるに十分なものでありました。展望台から続く散策路をゆっくり歩いて10分程行ったところに丸太小屋があって,
その前のベンチで休んでいた親子連れ(14〜15才位の男の子と母親)との会話は思いもかけず時間を忘れさせたものでした。スイス人ではありましたが幸い英語を話す人達で,
このころになってようやく聞き取りができるようになってきたように思います。
西ドイツにて
11月16日,
西ドイツのビュルツブルグという町へ移動しました。チューリヒから鉄道で6時間余りのところですが,途中の国境越えは,
車中を巡回してきた検察宮にパスポートを提示するのみで済みました。西ドイツとオランダの国境でも同じでした。
ビュルツブルグの町の中央部には,
ライン川に注ぐ支川としてのマイン川が流れ,有名なマイン橋がかかっています。橋面は歩車道の区別はあるものの全面石だたみとなっており,数基の立像(モニュメント)が見晴らし台に立ち並ぶ姿は中世の名残りそのままに,
とても橋の上にいるとは思われないほどでした。向う岸の高台にはマリエンベルグ要塞が威風堂々とそびえ,夕イムトンネルを抜け出て来た思いでした。
ビュルッブルグから南ドイツの中央部をほぼ南北に走り,
アルプスの麓にあるフュッセンに達する250kmの街道をロマンチック街道といい,
沿道には中世の城門や家並が,
のどかな田園風景と調和をなし旅情をかきたてずにはおかないと聞きます。この道は古来,
ドイツ中部と南部,
さらにアルプスをこえてイタリアのヴエネツィアやフィレンツェを結ぶ重要な通商路の1つであったようです。
11月17日, ビュルツブルグから鉄道で4時間程のところ,
デュッセルドルフヘ移動。デュッセルドルフは日本人が5000人も住むといわれる商業都市で,
これまで通ってきた町とは少々趣きを異にしていました。至るところ日本人と思われる人を見かけ,なるほどと思わせましたが,たまたま同行の人とみやげでも物色しようと,日本人の営む店にはいったところ,
あまりの愛想の悪さに皆気分を害したものです。ホテルでの朝食を一緒にした日本人の1人は,
この町での転動3年目を迎える商社マンとかで, その話しの中で,一般にこの町の日本人はモラルに欠けるのだそうです。
オランダにて
11月20日, 鉄道にて3時間程でアムステルダムヘ到着。デュッセルドルフを出発して西ドイツとオランダの国境を越えたところで異常に気がついたのですが,
山谷の多いスイスや少くとも小高い丘がある西ドイツの風景に比べ,
見渡す限り平たん地なのであります。ときどき鉄道と併走する運河には,
輸送船と思しき船が往来し,
運河の水面が地面より高いと思えるところもあり,
さすがオランダの感を強くしたものです。
オランダの主要部は, ライン川(オランダ名ヴァール川)とムーズ川(オランダ名マース川)に発達した三角州で,
海抜5m以下の低地帯に位置します。オランダの諺「神は海をっくり,人は土地をつくる」にあるように,紀元前から今日に至る営々たる水との戦いにより,
オランダ人は湖沼や海面の干拓を進めてきました。その結果,現在では国土の四分の一が干拓地(ポルダー)となり,牧草地としてオランダの酪農を支えてきたとのことです。
アムステルダムは,
中央駅を円心として町中に半円形の水路をめぐらし, 沿岸には17世紀ころに活躍した大商人たちのレンガ造りの家々が水面に影を落す様は,大変ファンタジックです。水路の延長は18kmで,
そこにかかる橋の数は900余りということです。
もともとはアムステル川の河口にダムをつくり,避難所が設けられたことに起源を発するといわれ,
その後, 北海運河が開通されたときに埋立地に鉄道駅を建設し,
昔のダムは今日、 町の中心となったものです。
市内の交通は,市電, バス,地下鉄とあり,特に市電は時速60kmと速く,
大部分の路線は中央駅が起点となっており旅行者の足として大変便利です。また,
今までの町に比べ,
自転車族が多いのが目にっきました。坂がない上, 町が狭いので,
自転車は大変重宝であり,
中央駅や大きな公園で借りられるそうです。タクシーは,
日本のような流しはなく,市内各所にあるタクシースタンドから乗車するか,
ホテルやレストランから電話で呼べばすぐ調達できるようになっています。ほとんどの運転手は英語ができるそうですが,
それに比ベチューリヒの運転手は英語が苦手のようでした。
ところで,
見学した数ある現場のなかで最も感銘を受けたのがオランダの防潮提であり,
大規模な国家的プロジェクトを形成し,湾口の各所に数kmに及ぶプレストレストコンクリート製の防潮提を設置するものであります。ライン川の河口に位置するロッテルダムから西へ約50kmの北海に面した三角州地域は,
ハリケーンの時期には高波が発生し、広大な低地帯に大規模に浸水することが多く,特に1953年には20万ヘクタール以上の地域が浸水し,
ぼう大な被害をもたらしたこともあり.
それを防止するための大工事である訳です。今回のプロジエクトは,1192m+1265m+1965mの3区間に分かれており,
約20m〜30mの海底に,幅20m×長さ15m ×高さ42mの超大型PC構造物(重量1万8千トン)の総数66基をドライドックで製作し,水中を双胴船でえい航し約50m間隔に据付け,
その大型ケーソンに昇降装置のついた防潮用壁板とPC箱桁を架設し道路橋ともなっているものであります。このP
C箱桁(標準部桁長45m) はロッテルダムで製作され,
ポンツーンにてえい航し,
フローティングクレーンを用いて架設されたとのことです。設計に3年,工事に7年をかけ,総工費70億ギルダー(日本円に換算して5460億円)とのことで,
ほぼ完成の状態でありました。白壁の外装の資料館も,完成まじかとはいえ既に公開されており,観光バスで乗りつけた一般客が大勢見学にきていました。
おわりに
研修の課題については,私なりにそこそこの成果をあげたと自負するも,
つれづれに書いた本文が会誌の趣意にはずれているのではないかと,
いまだに危ぐするものであります。
しかしながら顧みて,
素通りに近い旅程のなかで最も感銘を覚えたのは,
私達の通ってきた町のどれもが, 実に良く調和のとれたなかで,古いものと新しいものが共存しているということです。チューリヒ繁華街にあるギルドの家しかり,
アムステルダムの王宮やレンブラントの家しかり,
ビュルツブルグのマイン橋しかりであります。機会があれば.
それらの町を今度はじっくりと歩いてみたいと考えます。
最後になりましたが,
この貴重な経験を被る機会を与えていただいた関係諸氏に,紙上をお借りして心より感謝の意を表するものです。