欧米旅行雑感
一都市交通とニュータウン計画一
小 野 道 弘
はじめに
私は、昨年の9月13日から10月17日までの35日間、海外研修の機会に恵まれ、欧米8カ国13都市の都市交通計画、ニュータウン計画を中心に視察してきました。
この私の海外視察旅行において、見聞した事を思いつくままに取りまとめたいと考えていたところ、本誌への投稿依頼がありましたので、皆様方への研究並びに海外旅行の一助になればと思い拙文を顧りみず本誌ヘ投稿させて頂いた次第であります。
私にとっては、今回が初めての海外旅行であり、 しかも単独旅行で英会話が全然駄目という悪条件下の中、不安と期待を胸に抱きつつ、21時30分発スカンジナビア航空にて成田空港をあとに機上の人となった。
飛行機は、出発してから約6時間後に、アンカレッジ空港で、給油とクルーの交替のため約1時間30分休憩した後、出発し、北極圏経由で約10時間後の14日の朝7時にコペンハーゲンのカストロップ空港に到着した。
1. コペンハーゲン
最初の訪問都市は、スウェーデンのストックホルムヘ行く途中、数時間立寄ったデンマークのコペンハーゲン市であった。
不安と期待の中、コペンハーゲンに到着後入国手続をすませ、持参した20usドルを現地通貨のデンマーククローネ( 1Dkr≒3 5円) に両替えしてから荷物をコインロッカーに預け市内見物に出かけた。その時、私は、外人に英語で「コインロッカーの料金はいくらか」と聞かれ、「5クローネである。」 と教えてあげるというハプニングがあった。私のへたな英語でも通じた事により、今まで抱いていた不安が一遍になくなり、なんとかなるとの"くそ度胸"がついた。今思えば、この事が、35日間の海外旅行を大過なくこなし、無事日本に帰国した事の大きな原動力となったと思われる。
デンマークのカストロップ空港から市内までは、連絡バスが出ており、若い女性ドライバーの巧みなハンドルさばきにより、15分余りでコペンハーゲンの中央駅に到着した。
途中の道路という道路には、車道と歩道の間に自転車専用道が殆ど設けられており、ちょうど朝の8時過ぎであったため、あちらこちらに自転車で出勤する姿がみられた。
コペンハーゲンの中央駅で、サンドウィッチとジュース及びりんごで朝食をすませたあと、ヨーロッパの歩行者空間計画の手本となつたストロイエ(str get )の歩行者専用街路を見にいった。
ストロイエは、コペンハーゲン市の歴史的都心部の狭い街路(巾員4〜8m)では、増加する自動車をさばききれなくなったため、1964年に、都心部の交通規制策として作られたものであり、その両側の古い石造りの建物にはびっしりと商店がたち並んで、人々の目を楽しませており、そのやや曲りくねった街並みと適度に配置されている広場や、歴史的文化的な教会等の建物によって歩行者空間に変化を与え、楽しい歩行者空間を作り出していた。
カストロップ空港への連絡バスが発着しているコペンハーゲン中央駅では、ホームの階段の真ん中にベルトコンベアが設けてあり、重い荷物をその上にのせてあげられるようになっていた。
又、市内には、低床バスが走っており、バス停には、殆んど風よけのついた待合室が設けられているなど、利用者の立場にたった配慮がなされているのには感心した。
4時間余りのコペンハーゲン市内見物をあわただしく終えて、15時5分発のSK418便にてスウェーデンのストックホルムに向った。
2. ストックホルム
ストックホルムのアルランダ空港には、14日の16時15分に到着し、 2両連結の市内行きの連絡バスで、高速道路を快適に走り、約30分程(約40km)でストックホルムの中央駅に着いた。バス料金は、千歳〜札幌間の600円より高く、 2 2クローナ(約1,100円)で、駅からホテルまでのタクシー料金も約3kmで28クローナ(約1,400円)と日本の約2倍の値段にはちょっと驚いた。
やはり、高福祉高負担のお国柄、人件費が高いことにより、全ての面で高値となっており、空港からの連絡バスも、人件費節約上、大型化(2両連結)されているのも、当然と思われた。平均的なスウェーデン国民の税金の1入当りの負担割合は、地方税と国税(間接税と一般消費税を含む)の両方で40〜50%の負担とのことであった。
ストックホルムには、 1日しか滞在しなかったためCBD(Central Business District)のノルマルムの再開発地区とファルスタニュータウンの一部しかみることができなかったが、さすが都市計画の先進都市だけあって、欧米の都市計画手法の良い所を大胆に取り入れて、古いものと新しいものとの調和を保ちながら人間優先の街づくりを進めている事に強い感銘を受け、滞在期間の短い事が非常に悔まれた。
ストックホルム市内の道路計画には、フランスの都市計画手法が取り入れられており、道路網は、環状道路と都市軸を形成している何本かのブールバール(並木を持った大路:Boulevard)等によって構成されている。このブールバールを放射状に集めた所には、星形広場や公園等が配置され、そこには、モニュメントとなる搭や噴水などがあって、日本ではみられないゆとりのある美しい都市空間を作り出している。
その代表的な、ストックホルムのCBDのノルマルム地区の再開発地区には、スベアベーゲン(Sveava gen)のブールバールがあって、その始点であるセルエルストリの市民広場には、モニュメントとなっている噴水と搭があり、その北側には、再開発のシンボルとなっている18階建ての5棟の近代的高層建築物があり、西のクララ教会等の占い建物との共存により美しい都市景観を作り出している。
又、ストックホルム南々東約10km、地下鉄(郊外部は高架又は地表面を走っている高速鉄道)で約20分のところにあるファルスタ(Farsta) ニュータウンは、ぺリーの近隣住区理論が取り入れられ、1住区5,000〜7,000人で、6住区構成で計画人口35,000人となっており、低層住宅地の細街路は、クル・ド・サック方式となって、通過交通が排除されており、団地内の人と車は、立体交差によって完全に分離されて、ファルスタ駅及び学校等には車に出会うことなく行けるようになっていた。
駅前には、無料の大規模なパークアンドライド用の駐車場が整備されており、殆んどの地下鉄駅には、道路整備と同じように都市基盤整備として、身障者及び乳母車の人が利用できるエレベータ―が設置されているのには感心させられた。札幌でも、地下鉄駅に、エレベーターを設置してほしいという要望があり、主要駅には、設置する方向に向っているが、管理上の問題が云々されていて、全ての駅に設置するまでには至っていない。 ヨーロッパ諸国に共通して言える事であるが、 ヨーロッパでは、自分の行動には、自分が責任をもつという思想が徹底しており日本のように、すぐ管理者責任が間われる事はめったになく、地下鉄の車両のドアも、降りる人が自分であける事となっている。従って、地下鉄駅に設置されているエレベーターにしても、ビルの中のエレベーターと同様に、利用したい人がボタンを押して利用し、よほどのこと以外、事故があっても利用者の責任であり、日本のように、管理の問題云々という事は、ヨーロッパではありえない。
これらは、国民性の違いによる事であるが、日本人の公共施設管理について完壁性を求める国民性が、ある面では、公共施設整備に、ブレーキをかけているように思われた。
3. イエテボリ
イエテボリ市は、人口43万人のスウェーデン第2の都市で、自動車"ボルボ"の工場があり、都心交通対策として、かの有名な"トラフィック・ゾーン・システム"が実施されている都市である。
イエテボリ市では、都心部の通過交通量の増大によって、 1960年代には、公共輸送機関(路面電車・バス)の速度は8km/h以下に下がり、交通事故、騒音、排気ガス等多くの問題が生じていた。この都心部の交通渋滞を改善するため採用されたのが、 トラフィック・ゾーン・システムである。
これは、都心部(約1km2)を、 5つのゾーンに分けて、公共輸送機関以外の車は、異なるゾーン間を直接移動する事ができず、一度ゾーンの外の環状通に出てから各ゾーンの出入道路からゾーンに入るように交通規制を行い、各ゾーンの内部への流入、各ゾーンからの流出を最小限に抑制するシステムであり、 1969年のこのゾーンシステムの採用により、大いに都心交通渋滞は改善され公共輸送機関の機能が回復された。
この成功は、実施地区が都心部で、常住人口が少なく事務所、商店が大部分を占めており、外周に環状通があった事等、この地域に、ゾーンシステムが、適していた事が最大の理由と思われる。
イエテボリ市では、このゾーンシステムを、今後拡大していく構想を持っており、現在考えられている所は、住商混合地区であるが、このゾーンシステムによって、かえって車の騒音、大気汚染の被害が増大するとして、一部の市民に反対の動きがあるとの事である。
近年、重要視されてきた市民参加の街づくりについては、イエテボリ市でもその実施に苦慮しているようであり、市庁舎内に都市計画の模型を常時展示し、現在計画中の計画内容も公表し、それに対する意見は誰でも述べる事が出来るようになっているとの事であった。 しかし、説明してくれた交通計画部長のビィヨン・レフネス氏は、「市民からその計画内容について意見があった場合、人の考え方は、人の年代によって変わるものであり、又、意見を述べた人が市庁舎内の展示室で偶然計画内容をみて意見を述べた人なのか、持論を持ったグルーブの人なのか、によっても異るもので、又、ある調査のように、 "車を制限してほしい人が80%いる。"のに又 " 自分の車は都心まで乗り入れたい人が80%もしいる。" というように、市民の意見を聞く事は非常に難しい。」 と話しておられた。従って、市としては、政治家の意見を聞き、計画内容についての十分な分析を行って決めているという事であり、イエテボリ市も日本と同様に住民参加については、苦心しているようであった。
イエテボリ市には、市交通局が運営する路面電車とバスの公共輸送機関があるが、これらの運営費は運賃収入と税金によってまかなわれている。運営費を全て運賃収入でまかなうなら、車を利用するのと同じ位の料金となり車の利用が増えるので、車の抑制を図る意味も含めて、運賃を低く抑え税金で運営費を負担しているとの事であった。
しかし、通訳をしてくれたカールスティン嬢(マイカー通勤者)の話では、ガソリン税は国税として徴収され福祉政策に使われ、所得税の10%が公共輪送機関の運営費に回されているため、特に若いマイカー利用者には、高い税負担に対する不満が出てきているとの事であった。
昼食時に、最近建てたばかりの庁舎内を案内してもらったが、全ての廊下、執務室等は、 じゅうたん敷で、会議室には、オーバーヘッダーが用意されており、他の会議室では若い都市計画担当者が図面をみながら熱心に議論を重ねてし、た。スウェーデン人は議論が好きな国民との事であった。
特に驚いた事は、 10年前からは、 コンピュ_ターの活用により計画策定の前提となる地籍測量図の作成を自動図化機で行っており、市内の地下埋設物等の情報管理は、メノシュ毎にコンピューターに記憶させており、必要なデーター及び図面を瞬時に取り出せるように管理されていた。
又、都市計画関係図書については、スウェーデンは戦災を受けていないため、 1600年代からの資料がきちんと整理されている。又地区計画制度が古くから実施されているため、家の新築改築を行う時には市の許可を受ける事となっているため、全市内の家の許可図が100万枚マイクロカード化されて保存されており、自由に市民は閲覧し、図面を複写( 1枚1,000円)してもらう事が出来るようになっていた。
イエテボリ市では、教会を除いて、建物の高さは、 5階までしか建てる事が出来ない事となっているとの事であり、街全体としては、整然とした感じをうけた。
又、市庁舎横の裁判所も見学したが、中は日本のように”ひな段”になっておらず、普通の会議室の中に机が円型に並んでいた。
案内者の広報担当官のスベン・ヘンリクソン氏の話では、原告、被告、裁判官(陪審員)が同一レベルに座る事は、古きバイキングの精神が受け継がれ、同じ人間として平等であり、円形に座る事は争いを丸く収めるという事を意味しているのであるとの事である。
この話を聞き、ストックホルムの地下鉄駅に都市装置として当然なように設置されていたエレベーター等の都市基盤整備がわかるような気がした。
スウェーデンのストックホルム市、イエテボリ市については、初めての調査都市という事もあってか、都市づくりに強い感銘を受け、調査日数が少なかった事を悔みながら次の訪問予定であるオランダのデルフト市に向った。
4. デルフト市
デルフト市は、アムステルダムから車で1時間余りの所にある人口9万人余の小さな都市であり、陶器のデルフト焼及び交通計画上"ボォーネルフ" (Woonerf ;生活の庭)で有名な都市である。
ボォーネルフは、住居地域において、従前の生活道路をジグザグの形にして造園をほどこしたり、駐車スペースや子供の遊び場を確保したりして、人と車との共存を図りながらよりよい居住環境をつくるものである。
市担当者の話によると、ボォーネルフのそもそもの発想ほ、コミュニティのために、交通計画とあわせて計画されたもので、その計画に当っては、あくまでも、住民からボォーネルフ化をしたいとの要望がなければ、市は手伝いをしないとの話であり、いくら良いものでも地元住民の理解と協力なくして整備はなされないとの事であった。
デルフト駅裏側のボォーネルフを見学したがブランコや鉄俸等の遊具も設置されており、鉄棒の下には落ちても怪我をしないようにラバーマットが敷いてあった。
駅周辺には、自転車駐車場が整備されており、私営の有料駐車場をのぞいてみると、上下2段式で、 1回の駐車料金は100円、月決は2,000 円との事であった。
5. パ リ
パリには、 9月19日に到着した。パリの地下鉄は、札幌と同じゴムタイヤ方式で、駅間距離は、600〜800 mと短かく、市内には、よく地下鉄網が整備されており、旅行者にとってはとても便利な乗り物である。夜12時以降も1時間おきに幹線バスが走っており、パリの交通機関は、とても便がよいという事である。
パリの地下鉄には、 1等と2等があるが、昨年政権を取った左派の運輸大臣は、「地下鉄で1等と2等の差別をするのはけしからん。」 と、昨年末までに、1等を廃止する予定であるとの事であった。
地下鉄の改札は、札幌と同じ方式の自動改札であり、地下鉄に乗る時と降りる時は、自分で開閉ボタンを押さないとドアはあかない事になっている。これは、自分の行動には自分が責任を持つというヨーロッパの個人主義思想によると思、われる。
パリ市内の道路という道路には、車があふれており、至る所の道路端に車を駐車してあった。話によると、事故については自分が責任を持つという事になっており、道路の占用についても、特別な規制を必要とする所以外、他人に迷惑をかけなければ歩道でも1/3までは使用が可能という事であった。
そのため、 日本では考えられないような歩道に乗り上げて駐車している車をよくみかけ、都心部のレストランでは、テーブルと椅子を歩道に出して路上でコーヒーを飲んだりしている姿をあちこちで見受けた。
「レ・ミゼラブル」の主人公ジャンバルジャンが養女コゼットの恋人マリウスを背負って逃げたというパリの下水道を見学したが、とても大きく、その整備の先見性を再確認した。
パリの下水道は、現在、1日130万m3の下水を集めて排水しており、すべての下水道は内部を歩く事が出来、雨水と汚水を同一管で運ぶ合流式がとられている。現在は、二水、圧縮空気、電話線、郵便局の気送管が、この下水道空間を利用しており、現在の共同溝としての役割も担っていた。
ガスと電気及び地域暖房の配管や線は、安全上の理由で敷設されていないとの事である。
パリ市内では、毎朝セーヌ川の水をポンプアップして道路の側帯に流して、道路清掃を行っており、路上のゴミは側帯に設けられている下水溝から下水道へと流れていく事になっている。
フランスの国家的事業である、パリのラ・デファンスの再開発計画は、歴史的なパリ中心街の保存と人口増大への対応策を同時に達成させる
新しい商業副都心建設計画として1958年に発足した「テファンス地区整備開発公団」によって現在進められており、事業は総面積約750ha のうち、中心のA地区約150haから着手された。このA地区の建築建設計画の殆んどが完成して、超高層ビルが林立しており、現在、ショッピングセンターが建設中であった。
フランス全体について言える事かもしれないが、ビルの建物は、どれ一つとして同じ形態のものはなく、一つ一つのビルが一つの顔を持った芸術品として意匠がほどこされており、見ていても楽しさを感じさせている。
地区内には、パリからの地下鉄と国鉄が乗り人れており、長距離バスのターミナルも設けられ、更には、大規模な自動車駐車場が高速道路と直結して設けられているなど、デファンス地区へのアクセシビリティは非常にすぐれている。人工地盤の歩行者専用道からは、一直線に、パリの凱旋門がみえるように設計がなされており、都市美についても配慮されていた。
6. ローマ
ローマにほ、パリから国際特急列車に乗って、スイスを経由して9月28日の朝到着した。
市内の道路という道路は車の洪水で、小型自動車とバスが人と建物の間をぬうように走っていた。商店等は、13時から16時までが昼休みで、人々は昼食時に自宅へ帰るため、ローマには、 9時、 12時、 16時、 20時と1日に4回の交通ラッシュがあり、その時の交通渋滞は大変なものである。
以前、この交通渋滞を緩和するため、曜日と車のナンバー(奇数、偶数)によって、都心へ乗り入れる車の交通規制を行った事があったが利用者の不満が強くて廃止し、現在は、一方通行、車両進入禁上等の交通規制によって円滑な交通の確保を図っている。
市内の公共輸送機関の主流はバスであり、一方通行の道路では、バスの逆行レーンなどが設定され、輸送機能の確保に努力していた。
バスの運賃は均一制で、 1回200リラ(約50円)と今回まわった諸都市の中では最も安く運行もフリークエントサービスでバスの後部人入口から乗ると自動販売機で切符を購人し(回数券を車外で買う方法もあり、この方式しか乗れないバスが多い)、日付と時刻をタイムレコーダーで打刻しないとたまにしかない不正乗車のチエックの時に高い罰金を支払わなければならない。従って、日本のように運転手から切符のチェックをする必要よなく、時々しかやらない不正乗車チェックの人件費のみみればよく、非常によい方式であり、この方式は殆んどのヨーロッパ諸国で取り入れられている。
私が、自動販売機で切符を購入して日付と時刻を打刻しなかった際、乗っていたイタリア人は皆親切に、チェックの時罰金を払わなければならないので打刻せよと親切に教えてくれた。イタリア人ほ特に親切であるが、ヨーロッパ諸国の人々も、日本人に比べると、非常に親切で、例えば、地図を広げて、何かを探していると必ず"Can I help you ? "と声をかけてくれ、道や乗物の乗り方などを教えてくれたのは、本当に助かった。
北方圏の拠点都方を目指している札幌市においても、そのような場合には、我々から進んで助けてあげるようにしたいものと感じた次第である。
ローマでは、地下鉄の建設を進め、現在、2路線29kmが整備され、通勤通学輸送にその威力を発揮していた。その地下鉄に乗って南東約18kmのところにあるエウルニュータウンを見に行ったが、そのスケールは非常に大きく本当の新都市という感じで、大学、行政機関、事務所、ホテルなどが計画的に整備されており、道路も広いブールバールと広場とのコンビネーションにより美しい街並みを作り出していた。
7 ミュンヘン
ミュンヘンには、フランクフルトを朝8時15分発のバスで、ヴュルツブルグ、ローテンブルグ、ディンケルビュールなどの中世都市がそのままの状態で残っているロマンティシュ街道を通って夜の7時に到着した。
途中の道路は、アウトバーンをはじめ2車線の地方道においても交差点では、車の円滑な走行が図られるよう左折車線を設けるなど、非常によく整備がなされており道路標識も大きくてわかり易く快適なバス旅行であった。
翌日、市の過密を防ぐための南東9kmのところに開発された計画地域面積1,000ha、計画人口8万人のペラッハニュータウンを視察したが、単なるベッドタウンとしてではなく、ペラッハ自体、都市機能を持つように、商工業施設、行政府、大学等の教育施設、医療施設等が整備されており、 ミュンヘンから地下鉄が延びてきて団地内には高速道路が走っており、非常に利便性の高いニュータウンを形成していた。
団地内の幹線道路には、緩衝緑地帯が設けられ自転車専用道路も歩道とあわせて設けられており歩行者と車との分離が図られていた。
中高層住宅地では、車の駐車場は殆んど地下に設けられており、一部路上駐車場があってもその周囲に植樹し、車を遮へいするなど美観上、緑の保全上、十分な配慮がなされていた。
ミュンヘン市のブレンデル氏は、中高層住宅地でお金がかかるのになぜ地下駐車場を作っているのかとの質問に次のように答えた。「お金はかかるが、地下駐車場にする事によって、貴重な緑のオープンスペースが確保され、エンジンの始動音等の騒音防止にも効果があるので地下式にしている。」 とかく経済的合理性のみによって街づくりを進めがちな我々にとってこの説明は非常に考えさせられた。
ドイツ人の合理性と人間生活にとって大切なものはどんなにお金がかかっても確保していく精神を大いに我々は学ぶ必要があると思った。
ドイツの市町村の大きな収入源は、工業税であるため、 ミュンヘン市でも、工業用地の提供を行っているが、工業用地の提供は又、住宅難をもたらし、大きな社会問題となっている。そのため市では、 1980年に、その住宅問題を解決するため、働いている人に住宅を提供する"ボーンプラン"を設け、計画的に住宅供給を進めているが、現在では大きな経済的負担となってきている。
それは、 l年間に7,500戸を供給する事となっており、その内1,500戸は低所得者用で、近年の年に40%も上る地価上昇等によって、土地代を含めると低所得者用の住宅は3,000万円/戸もかかり、この50%を市が負担しなければならないからである。
住宅問題については、 ドイツでも日本と同様、サラリーマンは家を持つ為に一生懸命働いているとの事であり、一戸建て住宅を指向しつつあるとの事であった。
8. ロンドン
ロンドンには、ミュンヘンからBA便にて、10月7日の18時ヒュースロー空港に降り立った。
ヒュースロー空港から、市内までは"チューブ"と呼ばれる地下鉄ピカデリー線を利用し、夜8時頃ホテルに無事到着した。ロンドンの地下鉄は、車両の断面がまさにチューブのように小さい円型になっていて、喫煙可の一部の車両ではすいがらが床に投げすてられており、ジェントルマンの国に似合わずその汚さには驚いてしまった。
地下鉄車両には、 日本のように、老人専用席の指定表示はなく、 "Please give up this seat if an eldly or handicapped person needs it " の表示があり紳士的配慮も見受けられた。
ロンドンの地下鉄もパリと同様、駅間距離が短かく市内を縦横に地下鉄が走っており、旅行者にとっては大変便利な公共輸送機関である。
街の中を歩いて感じた事の一つに、主要な所には道路下に公衆便所が設けられていて、必ずペーパータオルが置いてあるのにはさすが、お国柄と、おそれいった次第である。
バービカン地区の再開発計画地は、ロンドンの中心部(シチー)に位置しており、第二次世界大戦前までは、中心商業地区として発展してきたが、大戦時にドイツ軍の爆撃で荒廃地区となった。
「バービカンというのは、城壁都市の門の上の望楼の意味で、そこを通るバービカン通の名前のもとになったローマ時代の城壁の一部でありこれらの歴史的文化施設は現在も保存されている。
その地区の再開発計画は、 1959年に決定され、全体面積24.8haのうち、北側の16.0haには、43〜44階の超高層住宅3棟、その南に低層のミゾネット、テラスハウスの連続住棟が3棟、市立女学佼、アートセンター、 コンサートホールなどの公共、文化施設が配置され、南側の8.8haは商業用施設が配置されている。地区内は、歩車の分離が完全に行なわれ、 2階部分には、歩行者専用路が設けられて各施設と結ばれており、1階と2階の事務所の賃貸料は殆んど変わらないとの事であった。
このような歩車分離の思想は、ニュータウン計画にも取り入れられており、ロンドンから約50kmの所にある最も古いスチーブネイジのクルドサック方式の道路型態、歩行者専用道路と車道との立体交差、タウンセンターでのペデストリアンプレシンクト等の採用などにその原型をみることができる。
スティブネイジのタウンセンターのペデストリアンプレシンクトは、中心のペデストリアンに向って商店が立ち並び、その周囲に、大規模な駐車場が整備されており、商店への荷物の搬入は、裏側の道路から行うようになっていて、車の危険にさらされる事なくショッピングが楽しめるように工夫がこらされている。
9 アメリカ
アメリカのミネアポリスには、 10月11日、ロンドンのヒュースロー空港から12時発のTWA(Trans World Airlines)便にて、シカゴに向い、そこでミネアポリス行きのRC(Republic Airlines)便に乗り換える予定であったが、ロンドンの出発が1時間近くも遅れたため、シカゴのオヘア空港でトラブルがあり、ようやく飛行機に間に合うというアメリカへの第一歩であった。
オヘア空港は、 1981年6月の交通研究会々報の荻原英三氏の 「道内空港の概況」でも明らかなように、東京国際空港(羽田)、新東京国際空港(成田)の発着回数が、各々135千回/年、 65.8千回/年であるのに、シカゴオヘア空港は、 737.7千回/年と世界の中でも最も大きい空港で、その規模の大きさには、実際車で走ってみてびっくりした。
ミネアポリスでは、かの有名な歩行者専用道路であるニコレットモールとスカイウェイシステムを視察したが、 ミネアポリスでは、 1950年をピークに主要企業の流出、都心部自動車交通の激増、大規模ショッピングセンターの郊外への進出等の理由から、都心部の衰退と人口の流出が始まり、この傾向は今なお続いており、このような都心部の衰退に歯止めをかけ、人口を呼び戻そうと都心部再開発が行なわれ魅力ある歩行者空間として整備されたのが、かの有名なニコレットモールとスカイウェイシステムである。
街路をまたいで、建物の2階を結ぶスカイウェイシステムの歩行者専用路は、積雪寒冷地にふさわしい歩行者空間として非常に人気があり、スカイウェイシステムの計画のあるコンドミニアム(日本のマンション)は、分譲価格も高く売れゆきがよいとの事であった。
このミネアポリスのスカイウェイシステムは、冬季の気温が氷点下30℃にも下がり、 5分と顔を外気にさらして歩けないという気象条件を克服する都市づくりの英知として必然的に生まれてきたものであり、 ミネアポリスでは、このスカイウェイシステムの拡大を計画的に進めているとの事である。
現在のスカイウェイシステムは、整備途上にあるため、若干既存のビルの建物用途の関係から、ジグザグと迂回したりしているが、将来的には、まっすぐ連続性のあるスカイウェイシステムが出来る事となっている。北海道のような気象条件下の都市においては、厳しい冬を克服
して魅力ある快適な都心部を創出するため、寒さに負けない歩行者空間の網形成を図る必要があると思われた。
一般的なサラリーマ/は、自宅の車庫から事務所の駐車場ヘ殆んど外気に触れる事なくdoor to doorの通勤方法を取っており、屋内に車庫のあるアパート等は、賃貸料が高いとの事であった。
ミネアポリスでは、市財政収入を増やすため(固定資産税)都心部への人口呼び戻しとして、コンドミニアム(分譲マンション)の建設を促進しており、 日本の企業の参加もみられた。
又、歴史の浅いアメリカでは、 100年余りしかたっていない歴史的建造物を保存しようという気運が高く、 ミネソタ州法では、歴史的な倉庫や馬小屋などは外観を変える事が禁じられているため、内部のみを改造し、ホテルやストアにして使用していた。
又、ニコレットモールの中心的ビルとなっている51階建てのガラス張りのIDSビルの中には人々が寛げる広場があって、ニコレットモールのインフォメーションセンターがあり、そこには"Touch me"というインフォメーションテレビが配置され、テレビの画像の知りたい所をさわる事によって、画像に次から次へと情報が写し出されるようになっていた。
ミネアポリスの祝察を1日ですませたあと、ロスアンゼルスヘ向い、 2日程、ディズニーランド見学などで休養を取った後、 10月16日PAにて一路日本ヘ向い、翌10月17日には非常に長かった海外旅行の幕を閉じた。
あとがき
欧米の各都市を短期間にかけ足で回り、街づくりのほんのうわべだけしか見れなかったが、欧米と日本の街づくりをこの目で比較し見比べる事が出来た事は、何事にもかえがたい貴重な体験であった。
この旅行で強く感じた事は、最近日本で唱えられ始められた人間中心の街づくり思想が、欧米では古くから徹底して行なわれており、絶えず、その目標に向って地道にストックのある街づくりが進められているという事である。
今後は、この貴重な体験を生かしながら、住みよい街づくりを目指して努力したいと考えている。
札幌市企画調整局計画部
都市計画課住区計画係長