今冬の雪の教えるもの
瀬 藤 智 雄
ま え が き
前回三度にわたつて“雪寒道路の成立経過とその後に来るもの”と題して一応成立経過について記したものの、
まだ“こぼれ話”といつた形でその当時の人々に依頼して回想録のようなものをまとめたいと思つたけれど、あまり過去について語りすぎたきらいもあり次の機会にゆづり、“その後に来るもの”については未だ整理もつかないまま今年の冬をむかえた。札幌地方は雪が少く寒さは近来稀な程きびしかつたが、
2月に入つて、冬季オリンピツクを二年後にひかえての数日はひどい降雪があつたり暖気にも見舞われて、
さんざんな目にあつた。また道内各地にもひどく雪に悩まされた所も多くあつた。更に3月に入つて今冬特に“春のあらし”ともいうべき近来希な大吹雪がそれも10年に1度とか20年に1度とかという規模で本道全体を荒しまくつたのであつた。しかしこの自然の猛威に、いどんだ交通関係者は等しく風雪のなすがまゝにまかせて耐えていた数年前とは異り敢然としてこれに立ち向つたのであつたが、数々の被害を各地にひき起こしてしまつた。しかしそれはそれとしてそれらの事実はみな今後の対策の資料であり、
また反省材料でもあるので特に3月に入つての雪は忘れ難いものを残して去つた。のどもとを過ぎれば熱さも忘れるし、災害も忘れた頃やつてくるといつたといわれるように、忘却の彼方にすてゝこしまうことは勿体ない気もするので、この3月のあらしについて手もとにある新聞記事の記録や個人的に耳にしたことなどを整理して、いさゝかとりまとめて後日の参考に供したい。記事のなかには多くの誤りもあろうが叱正を願えれば幸いである。
気 象 条 件
春の3月ともなれば長い長い冬も去って、 この北国にも漸く春の息吹きに似たものを感ずるのであるけれど今年の冬は寒さもきびしく3月も半ばすぎになつてこのような事態になろうとは思いもよらぬことであつた。
札幌管区気象台は16日の朝能登半島沖と静岡付近に990ミリバールに発達した低気圧があり日本列島を両方からはさみ打ちして〃二つの低気圧〃となつて勢力を増強し乍ら本道に接近中との情報をだしている。16日夕には一つは渡島半島の南にかゝり、同夜半には、本道の西側を980ミリバール前後で抜ける見込み、また一つは本道の東側では970ミリバールであつたが、前者は、留萌沖西海上にやゝ移つた低気圧となり網走沖の低気圧に勢力を移して同所において一つになり、980ミリバールで時速100キロで進行中かにみえたが、18日に到つても前日の低気圧が停滞した。そのため吹雪は止まず、19日に到つてこの低気圧はオホーツク沿岸と西部海岸地帯で弱り吹雪が残つたほかは、 ようやくおだやかな天気になつた。結局、低気圧のために北海道は三日間大あれにあれたわけであつた。低気圧のエネルギー源ほ水蒸気を含んだ大雨が雪として放出される。“二つ玉低気圧”は結局日本海側に発達した低気圧に南海岸から水蒸気をたつぷり含んだ太平洋の低気圧が養分を送りこんで相乗効果で発達して大雪となり吹雪となった。
降 雪 惰 報
いずれ、このことについては気象台より報告もあろうが、ともかくそれぞれ異なつた二つの低気圧のはさみ打ちのためである。
17日には特に道央、迫北では15メートル前後の強風によつて吹き溜りか各所に生じた。また17日朝まで帯広では112センチという帯広測候所始つて以来の降雪畳の新記録を作つた。札幌は16日朝から降りだした雪が夕方からドシヤ降りの雨に変つた。 このため同日朝から午后9時までの降水量は雪雨を含めて57.5ミリでこれは3月の降水量としては明治11年の46.7ミリをしのぐ記録となった。札幌を中心とした石狩後志地方はいつたん止まったようにみえた吹雪が20日に到りぶり返し5日続きの雪で、20日午前9時現在の積雪量は
札 幌 100センチ 倶 知 安 280 〃 留 雨 172 〃 岩 見 沢 164 〃 帯 広 155 〃 羽 幌 144 〃 小 樽 104 〃 旭 川 111 〃
xとなつた。降雪もひどかつたが視界のきかない程に降った。それに暖気を伴い湿雪となり除雪に困難をきたし又雨に変つた札幌市内等調子の狂つた天候の連続であつた。
道路の交通について
低気圧の接近した16日には既に黄金道路になだれがありバス路線も各地方で運休があり、中山峠も不通その他の道々にも不通箇所があつた。国道は10路線おもな道々150線が吹雪やなだれのため不通となつた。特に道北地方は稚内を中心に風.速10メートル前後のふぶきがこれら不通の原因となつた。深川地方は6粁にわたり国道1号線が午後3時頃より視界がきかず通行不能となりその間に100台の車が立往生した。同5時頃から車をUターンさせて迂回路に誘導した。又車が途中で運転不能のためガス中毒者が標茶では70台が立往生して、運転者や乗客が車内に閉じこめられて、車のヒーターでガス中毒になり道々は各所で寸断され帯広では大半の55路線が不通となつた。札幌近郊でも豊羽元山線が不通となつて除雪車も出動して開通は雪崩の危険もあるので同線は午后5時から運休した。そのため乗客は豊羽鑛山の寮や市内の旅館など分宿をして一夜を明かした。新得町の念仏峠では先頭の丸太を満載したトラツクが70センチの雪のため動けなくなりこのため後続のトラツクが全部動けなくなり、このため後続のトラツクが全部ストツプとなり、15、6人の連転手が先頭のトラツクの救出作業をやつていた所雪崩がきて11人かまきこまれたがそのうち2名が自力で雪の中から脱出して、 3.5粁離れた新得の農協へたどりつき、新得町役場に電話で急報した。そのため除雪車と自衛隊から雪上車の応援もあつて無事救出された。今度の大雪で一酸化炭素で中毒にかゝつたのは帯広でも稚内でもあり、帯広1人は死亡、稚内では4人が中毒になり3人はごく軽かつたという。最近ドライバーは車が完備したため冬の間も軽装しているため外に出ると寒いし、 いきおいヒーターのつけ放しのまゝ過ごしがちになつている。又各地とも孤立した部落があり穂別町福山では40世帯150人が救援をまつたり、知床の宇登呂地区でも280世帯1,000人余りが住んでいる所もあつた。
17日の朝には風速20メールの暴風雪となり午后3時40分頃から江別大橋から江別橋の石狩川左岸堤防上の12号国道線で2.5粁にわたつて80台の車が立往生して昨年おきた400台の立往生を思いださせた。開発局と警察署は同日夕道警機動隊に100人の出動を要請した。このため道警は2台の雪上車をくりだした。ところがこれも視界ゼロの猛烈な地吹雪に見まわれ1粁進むのに1時間以上もかゝり現地に到着したのが同夜8時頃になつた。早速ジュズつなぎになつて動けないでいた車の中から子供づれの婦人や老人、立往生のため長時間になつたため暖房のヒーターで軽い貧血になつたりした遭難者から先に救出、避難所にあてられた江別市の農協の会議室に収容した。雪上車の救出はスムーズで1時間半で100人を運び出した。同地方は同日夜になつても、しゆん間最大風速37.2メートルの吹雪が続いた。今回は湿つた雪で重いのでいつ開通できるか見通しがつかないといつた状況であつた。開通か遅れたのは猛吹雪とベタ雪で除雪車が能力を発揮できず除雪機械の作業能力が大巾に低下していた。開発局は道内129箇所に除雪ステーションをおき総数591台の除雪車を出動させており、道でもステーシヨンを122箇所おき除雪機械479台を総動員しているが吹雪と見とおしがきかないためステーシヨンで待機している時間の方が多くまた無理に出動しても湿つた重い新雪のため除雪機械の活動力が半減した。又札樽国道にも小樽市張碓地方において約100台の車が身動きがとれなくなり地吹雪のため、たちまち車体か雪に埋つてしまう。ドライバー達は車をおりて右往左往しているたけであつた。 18台の車が雪の中にジユズつなぎに閉ぢこめられた車内から赤ちやんの泣き声もきこえる。開発局のクレーン車やダンプカーが出てストップした車が約5時間ふりに救出された。路面状態の悪化、視界困難のため道開発局は午后9時半すぎ札樽国道において13.5粁間を18日の午前6時半まで交通をストップした。札幌側からは交通止めの看板をだし又警察署がストツプのバリケードを築いた。 12号線が交通止めになつたのは17日午后4時半頃はじめ江別、岩見沢間だけだつたが夜9時頃には札幌市の厚別以北がストップ、道開発局は検問所を設けて車の通行を一切禁止した。昨牛2月始めの大雪につづいて二年連続のことだつた。国道12号線が全線開通したのは19日午后1時除雪が完了した時でこれは江別、岩見沢間で雪の吹きだまりに突込んだ車が200台動きがとれなくなつたのが最大の原因で道開発局ほ18日夜9時半からこれらの車を排除する作業を続けたためである。
市 内 交 通
札幌市は16日の降りだした雪のため交通局はラッセル車を動員して電車の軌道の確保につとめた。タ方から雨に変つて道路は歩道車道とも雪まじりの水たまりでグシャ、グシヤ、下水がつまつた四ツ角や低い所では水深50センチ近い池のような水たまりもでき交通は各所で混乱した。エンジンをぬらした車が続出してタクシーが故障するなどノロノロ運転、サラリーマンはすねまで冷い水につかりながら家路を急いだ、ベタ雪からドシャ降りの雨に変つた札幌市内は各地に浸水した。札幌管区気象台では同日朝から午后9時までの降水量は雪雨を含めて57.5ミリになつたことは前述の通りである。これらの雨で故障車が続出してエンコ車ができでこれが交通の邪まになり排車(?)するのに手間どつたため各路線とも交通渋滞を起こした。17日に至っても市バスは運休折返しが随所でおきた。市内の中学校では子供の安全をはかり、とくに危険地区に住む生徒たちは校内に宿泊させ“学校ホテル”が出現した。札幌市内は地形の関係から中心部が晴れていても郊外は吹雪く日が多い。それ故郊外部の都心部への通勤策が望まれる。特に北部地区が特にこの状況が著るしい。大麻や下野幌などの団地は百万都市札幌の中心部から20粁の距離であるのに孤立状態になつた。これは先にも述べたように12号線が交通止めを行つたためで通勤者のベッドタウンも文通遮断をうけた形になつた。
鉄道について
これは又大変な記録を作つた。特に鉄道に封じこめられた乗客が2泊も3泊も車内で救援を待たなければならない事態が各所で起きたため本道始まつて以来の記録を作つてしまた。乗客の不満もその頂点に達した。 しかしこの稿において鉄道について記すことは筆者の本意ではないので別の機会にゆづりたい。
お わ り に
今回は以上のいろいろな事態をできるだけ集めてみた。本州方面では夏季台風.によつてこの程度の災害をうけることは、よくあることでこんなに騒ぐこれはないかもしれない。冬も北海道で道路交通を確保することは、雪寒、道路法ができる以前においては予想することもできないことであつたのに、こんなひどい猛吹雪においてさえ万全対策をとることは不可能であろう。しかし、最悪なこのような天候のもとで冬季の交通はいかにあるべきかという問題を沢山に提供してくれた。
われわれは今回の情況下にあつても批判がましいことをいうのではないが反省資料を提供することに止めたい。
(筆者は本会理事、副会長)