晋州仮面劇フェスティバル出演報告

 6月4日、5日と韓国は慶尚南道の晋州(チンジュ)という町で行われた「晋州仮面劇フェスティバル」にMICABOXとして出演するために行ってきた。国内線の乗り継ぎの関係で入国した日と出国前の日にソウルに泊まらなければならなかったので6日間の滞在になったけど、なかなか濃密な日々であった。
 韓国の仮面劇は民衆によって伝えられてきた風刺色の強い伝統芸能だが、日本による占領などで何度か途絶えかけた。それを民主化運動とも連携して70年代くらいから復興させてきたもので、韓国国内各地から様々な伝統芸能のグループが集まるこのフェスティバルはそのひとつの成果と言える素晴らしい内容のものである。僕は2001年の「おひらきまつり」で細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットが韓国を代表する舞踊家、金梅子(キム・メジャ)さんのダンスグループの「日巫2001」という作品でコラボレーションをするための準備で訪韓した時に、初めてこのフェスティバルを訪れてムーダンの「クッ」を見ることが出来たのだが、その時にこのフェスティバルの主催者代表の鄭炳勳(チョン・ビョンフン)氏とも出会った。
 彼は韓国の伝統芸能に失われたものが日本の神楽の中に見いだせるのではないかということで日本の神楽に強い興味を持っていて、その後は一緒に各地の神楽を見て歩くフィールドワークの仲間にもなった。そして神楽の中にある古い信仰〜アニミズム、シャーマニズム〜をもとにした「土俗」的な部分には日韓でかなり共通するものがあるという印象を持ち、当初、今回のフェスティバルには私達とともに日本の神楽を招待して仮面劇としての文化交流を計る予定だった。
 ところが3月に島根県議会が作った条例により噴出した「竹島問題」での反日感情の高まりで、この神楽の出演は見送りとなってしまった。招待していた神楽が島根県の神楽だったことと、晋州市はかつて豊臣秀吉が攻め込んで多数の犠牲者を出したところだったために、市民感情を考慮しての苦渋の決断だったのである。神楽の韓国公演は初めてのことではないが、今回はこれまでのようにただ披露するだけでなく、民間レベルでの文化交流としての意義があったので残念だった。
 そんな難しい状況の中でMICABOXのライブがプログラムに残ったのは、私達の音楽が日本やアジアの「土俗」的な伝統をベースとして、それをエレクトロニクスなどの手法を使って現代的に表現していることを、「こういうやり方もある」ということで韓国の若い世代に紹介したかったからだということである。鄭氏は常々「西洋文化と東洋文化、科学技術の文化(世界レベル) と伝統文化(地域レベル)をどううまく融合させるかが私達の課題だ」と述べていて、伝統を復興させるだけでなく、取り戻した先のことも考えているのである。

 そういうわけで初の「海外ライブ」に向かった我々(僕と連れ合いのめぐる)はまずは仁川に着き、手配してもらった金浦空港近くのホテルへと向かった。ホテルのサイトでは「シャトルバス」が出ているという表現をしていたが、そんなものは見あたらない。なんてことはない、電話をすればワゴン車が来るということだったのだ。でも金浦空港のインフォメーションのおねえさんはまことに親切に対応してくれて電話までかけてくれた。僕の前回の訪韓はワールドカップの直前だったが、その頃はこんなホスピタリティーはなかったような気がする。
 ホテルにチェックインして、先に着いている高遠彩子と連絡を取る。「そばオタク」を自認する彼女だが、他にも好物は多く、基本的に「食べるのが好き」なので、来る前に日本でコングクス(豆乳麺)についてネットで徹底的に調べたようで、一人で市内中心部に向かい目的のコングクスにありつけたようである。店の名前のハングル文字をホテルのスタッフに書いてもらい、地図とその字を頼りに「初めての韓国初日」に突入したらしい。最初は「韓国で私をひとりにするなんて〜」などと言っていたが電話したら「すっごーく楽しーい!!」ということだった。
 夜、一緒に食事に出たのだが、やはり「おいしいものを」ということでホテルに聞くと「このへんにはないけど、隣の駅まで行くとレストランがいろいろある」とのアドバイス。三人ならタクシーの方が安い、とも。ホテルスタッフの英語、日本語も前より上手くなっている感じだ。そういうわけで隣のバルサンへ。たしかにレストランは多いが、大きな店ばかりで、もうひとつ惹かれない。イギリス疲れを取るためにソルロンタンが食べたいという気もあったので裏通りへ入りいろいろ迷ったが見つからず、雰囲気の良さそうな地元っぽい店に決めて入ってみる。なんの店かもよくわからずに入ったのだが、魚のクイ(焼き物)の店だったようで、ウナギの焼いたのとか写真を見ながら注文。中心部の店ならたいていメニューに日本語が書いてあるが、ここいらでは見あたらない。当たりかハズレかと言えばハズレだが、美味しかったし安かった。コンビニで買い物をしてまたタクシーでホテルに帰る。

 
 翌朝、9時の国内線で晋州へ。ネットカフェでコーヒーを飲むが薄い。機内でコーヒーを飲むが薄い。話は飛ぶが、友人宅でのコーヒーも薄かったしスタバのコーヒーもやや薄かった。博物館の自販機に「日本コーヒー」というのがあったのでそれを飲んでみたら「普通のインスタントコーヒー」だった。どうやら韓国では「日本のコーヒーは濃い」ということになっているらしい。
 10時に空港へ着く。軍の施設の片隅にある感じのローカルな空港だ。ロビーには鄭さんの奥さんとグリーンユニバーシティーというところの関係者がピックアップのために出迎えてくれた。実は当初、神楽が招待されるはずだったため、この日は神楽についてのシンポジウムを開いて僕も参加するはずだったのだが、神楽がなくなったためにシンポジウムのテーマも変わり、僕は参加しないことになった。それではもったいないということで別会場で神楽の話やミニライブをしようということになり、その会場が咸陽(ハミョン)という町のグリーンユニバーシティーだったというわけである。
 グリーンユニバーシティーは、10年前に僕とめぐるが気功関係の仲間と一緒に韓国を訪ねた時の受け入れ団体だった「自然学校」の流れの先に出来たもので、伝統的でエコロジカルに生きるための勉強をするためのフリースクールのようなものだろうか、自然食や自然医学を中心に学んでいるようで、郊外の廃校の建物を利用しているようだ。ピックアップをしてくれた人も、普段は最先端の航空技術のエンジニアをしているが週末はここに通って自然医学を学んでいるという。日本の自然医学から学ぶことが多いと言っていたが、10年前訪ねた僕らは韓国の方が豊かだと思っていた。このあたりはもっと連携が必要かもしれない。
 まずは食堂で手作りのランチをいただく。自然食である。ステンレスの仕切りのある大きなトレイに好きなものを盛って食べるカフェテリア方式だが、この食器が実に合理的で10年前にも感心した。市場で何度か見かけたがやはりそれなりに高く、まだ購入していない。同じステンレスのビビンバの丼や飯椀は重宝しているが。
 普通の韓国の食事は野菜を豊富に食べるが、ここでもいろいろ美味しかった。食後教室へ移り、集まった人たちと会う。あとでわかったことだが、どうも「音楽会がある」という情報で集まってきた人が多かったようで「話をしてもらって少しライブを」と聞いていたのとちょっと違っていたようだ。そしてすごく驚いたのは通訳がいなかったことだ。さいわい、偶然にも日本人の留学生が彼女に誘われてソウルから来ていたので、急にお願いすることが出来た。彼にはむずかしい内容だったが頑張って通訳してもらった。
 嬉しかったのは、ここに10年前に出会った「自然学校」の人たちもかけつけてくれたことだ。最初、見たことのある人がニコニコしているなあ、と思ったのだが、すぐに思い出すことが出来た。わからなかったのは10代の兄妹だったが、高遠彩子のところへ駆け寄って「りん? りん?」と声をかけたらしい。10年前に訪ねた時、当時5才だった娘も連れて行ったのだが、その時によく面倒を見てくれた兄妹で、高遠を娘と思いこんでいたのだ。15の娘と間違われた高遠はフクザツな思いだったであろう。そんなこんなで、全部で7人の友達が各地から駆けつけてくれた。本当にうれしかった。実はアルバム『ひねもす』のSpecial Thanksに二人の韓国人が入っているが、二人ともその「自然学校」のメンバーだった人たちで、彼らからインスパイアされてできた曲があったのである。そのうちの一人ヤン・ドンチュンさんはこの日に来てくれ、もう一人のチェ・ソンヒョンさんとは帰国前のソウルで逢うことができた。
 話はアイヌの話を少しと神楽の紹介、そしてミニライブ。韓国では伝統的な自然生活を学ぶ時、農、食、医、に加えて音楽・芸能が必ずあり、ここにも太鼓がたくさんあったので、それを借りて演奏をした。印象的だったのは、ノートPCで神楽の映像を見てもらったら「我々と同じだ!」と言われたこと。似たようなことは、このあともいろいろなところで言われたが、神楽を見てもらえば日本のことをわかってもらえると思っていたので、これは本当にうれしかった。そして、名残を惜しみつつ咸陽から晋州へ移動、夕方から始まった仮面劇フェスティバルの会場に向かった。

 このフェスティバルは、伝統文化を子供達にも見せたいし、お年寄りには思い出して欲しいということで町の中心部に近い野外ステージで行われる無料イベントにしており、晋州の町の中心をゆったりと流れる南河という川の川岸にある、土手に観客席が常設されているイベントスペースがその会場で、観客は老若男女の一般市民である。千人以上は集まっていただろうか、道路脇には露店も並び、お祭りのようでもある。
 儀式的な仮面舞踊からプログラムは始まり、創作の仮面劇なども交えて、いろいろなグループの演目が上演されていた。僕は用意してもらったキーボードが本部にあったので、そこで音色のチェック。キーボードに希望の音色が入っていなかったので、別の音源とつなげて使う。初めての機種だったのでけっこう時間がかかってしまい、あまりステージを見ることが出来なかった。
 近くの食堂がこのフェスティバル関係者専用の食堂として貸し切りになっていて、一段落したあとこの日の夕食はここで食べた。どうやらスープがメインのメニューのようで、スープをとった後のゆで肉もおかずにするという無駄のない料理、まずはこの肉(内臓も含む)などをつまんだあと、ソルロンタンみたいなスープでごはんを食べるという感じである。もちろん、メッチュ(ビール)に焼酎は欠かせない。ありがたや。
 初日のプログラムが終わったあと「一軒行きましょう」ということに。嬉しいことに前回連れて行ってもらって気に入った「平壌ピンデトク」という店で、鄭先生達が学生の頃からのお気に入りの店ということである。小さな店だがすでに関係者が来ていて、我々もやっと入れたという感じ。入れ替わり立ち替わり関係者が来ていた。ピンデトクは緑豆の粉で作ったチヂミのようなものだが、挽肉や野菜も入っていて、餃子の餡に似ているといえば似ているが、これが美味い。 大邸から来た仮面劇のリーダーの大学教授にパワーブックに入っている神楽のビデオを見せたらとても驚いて、非常に興味を持ってくれた。ノートPCはこういう時には便利なツールである。
 翌日の昼食は「ユッケビビンバ」。高遠彩子が「晋州が発祥地」ということを調べていて、盛んに口にするので連れて行ってくれたという感じ。僕はなんのリクエストもないままに知らない料理にぶち当たるのが好きだが、彼女は行く先々の名物をチェックしていて、まずはそれからクリアしていくタイプなのだ。 入った店は大きくて有名店らしく、結婚パーティーまでやっていて、アメリカンスタイルのウェディング・カー(っていうの?)が駐車場に泊まっていた。入り口には輸入ワインがずらりと並べられ、「韓国も変わったなあ」って思う。 ユッケビビンバの味は日本で食べるのとさほど変わらないかな。キムチとズッキーニのジョンが美味かった。

 少し遅刻して会場へ行ってリハ。すんごい晴天で照りつける日射しが暑い。キーボードの音が出なくてみんなで「あーでもないこーでもない」とジタバタする。まぶしくて液晶が見えないのもやりにくく時間がかかったが、なんとか音が出て一同ひと安心。大太鼓は日本から宮太鼓を持っていこうかと思ったが「国家神道」のイメージをもたれてもと気を使い、現地の太鼓を借りた。音が高かったので低いのを探してもらったが、最後は皮面を水で濡らしていた。スタンドを竹を組んだ手作りだったのが嬉しかった。
 僕らのリハが終わったあとに二日目のプログラムがスタート。出番は夜なのでしばらくは観客として見ていられるが寝不足もあり、しばらく公園で横になっていた。ドラと太鼓のにぎやかな音が聞こえるが、野外のせいか非常にのどかだ。 あまりにもいい天気なので屋台で缶ビールを買う。韓国のビールはおいしい。350ml2500ウォンだったから今のレートだと280円くらいか。屋台でこれだからコンビニで買うともっと安い。イギリスが高すぎたのでよけい安く感じる。マッコリにいたっては(記憶があいまいだが)720mlで200円くらいだろうか。どうして日本の韓国料理店のマッコリはあんなに高いの!!
 出番は7時20分の予定だったが7時頃に早まり、少し慌てる。7時と言っても経度が沖縄と同じくらいで時差はないからほとんど夕方の明るさ。韓国の民俗芸能ばかりの中に、突然日本の音楽のライブが入るのだからちょっと場違いな感じもある。 そんな中で我々の音楽がどのように受け止められるか、日本語の歌が拒絶されないだろうかなどという若干の不安を持ちながらライブを始めたのだが、その不安はたちまち消えてしまった。ここのところのニュースをにぎわしている反日感情の高まりで、韓国に来る前までは高遠彩子も「卵を投げられるんじゃないかしら」などと心配をしていたんだけど、お客さん達の多くがすぐに曲に合わせて手拍子を始め、はじめて聞く歌なのにまるで一緒に歌っているかのような楽しみ方をしてくれたのだ。本当に韓国の人たちは歌と踊りが大好きで素直にそれを表してくれていたのだ。
 「燕」のハングル語訳を友人に頼み、高遠彩子が必死で覚えてきたのだが、それも喜んでもらえたようである。途中、ところどころで鄭さんに通訳をしてもらったが、訳す前に拍手が起きたりしたので、日本語のわかる人もだいぶいたようだ。 頭にかんざしをつけゲタを履いて、適度に「和」の雰囲気で登場したボーカルの高遠彩子も終演後は大人気で、お客さんやスタッフに取り囲まれて携帯で写真を撮られていた。警備の「若いお巡りさん」まで順番待ちしていたのがほほえましかった。鄭氏も実際のところは始まるまでは心配だったらしいが、想像以上の良い反応で満足そうだった。
 前日にグリーンユニバーシティーに駆けつけてくれた友人の中から、この日も来てくれた人がいて、例の兄妹も来てくれた。皆でスタッフ用の食堂で乾杯と軽い夕食。高遠はスタッフの若いコたちと一緒に写真を撮ったりしているが携帯で撮っているのは日本と同じ光景である。基本メニューは前日と同じだが、今日はスープを辛い方にする。高遠も辛い方を注文。皆の注文の様子で意外と韓国の人で辛いのが苦手の人もいることを知る。
 一休みしたあと会場へ戻ろうとしたら、過去二回来た時にすっかり仲良くなった釜山の蔡先生とはち合わせ。この先生は民俗伝統芸能復興のリーダーの一人でこの世界ではカリスマ的存在なのだが、非常にものごし柔らかく、神秘的かつ愛らしい人で、僕には韓国式酒の飲み方を朝から仕込んでくれた人である。この時も片手にワンカップのようなものを持ち、「これは特製の酒で、大切なものだがちょっとだけなら飲ませてあげる」と言って、結局は飲ませたいのだが、もったいつけて路上で酒盛り。高遠彩子は先生のキャラを「手塚治虫の漫画に出て来るみたいだ」と大喜び。しばらく思い出し笑いのネタにしていた。
 さて、会場では最後の仮面劇が行われていた。最後のところで柱を立て、そこに五色の布を巻き付けていくのだが、このあたりから観客を巻き込みそのままフィナーレへとなだれ込んでいった。柱を立てるというのは神事色の強いものだから、皆がその意味を理解しているのだろう、ステージ横の広場にその柱をかついで行ったあとは、綱引きが待っていた。これも信仰的要素の強いものだが、そのかけ声が僕らには「おっしょい、おっしょい」と聞こえる。「わっしょい」みたいだと言うと「いや、そんな風には言っていない」とのこと。聞こえ方が違うのかもしれない。
 最後は数百人で狂喜乱舞といった感じで大いに盛り上がり、フェスティバルは終了した。ステージではPA、照明などが早くも片づけはじめられている。これはいい方法だ。
 片づけが終わって打ち上げまでにはまだ時間がかかるということで、まずはアヤしい裏町のウナギ屋へ。すでによその町から来た仮面劇グループがプレ打ち上げをしていた。韓国のウナギ料理は日本の蒲焼きとは違ってコチュジャン系のタレが塗ってあって辛い。白焼きのようなものもあった。そして「海のウナギ」と「川のウナギ」が出てきたが、「川のウナギ」の方が脂がのっていて高いという。「海のウナギ」はアナゴではないかという疑問もわいたが、そうではないという。でも海でウナギが捕れるのか? ここでは韓国で今回唯一、一口でギブアップの食べ物に出会う。それは「サナギ炒め」。信州の蜂の子やザザ虫は食べれるがこの臭いは苦手だ。実は屋台でも売っていてなんだろうと思っていたのだが、サナギだったとは。屋台の周りに覚えはあるが思い出せない変な臭いが漂っていたのだが、このサナギの臭いだったことがこの時点で判明。子供の頃、釣り堀で使った練り餌に混ぜていた「サナギ粉」の臭いと同じだったことも一緒に思い出した。晋州はシルクが特産品なので、サナギは必然的に出てくる副産物なのだろう。
 ウナギ屋から、正式な打ち上げ会場の店へ。入ったら蔡先生達が飲んでいたので「やあやあ」と一緒に飲もうとしたら、会場は別の部屋だということでみんなで座敷へ上がる。スタッフや各地から来たグループのメンバーでぎっしりの打ち上げでメニューは「豚とジャガイモの鍋」だという。鍋を見てみたら豚は背骨を縦に割ったようなもので、肉は少し付いているだけという感じ。スープを味わうもののようだ。さすがにここまで来たらつまむ程度しか食べられなかったが、なかなか美味しかった。なんでも利用して美味しいものに仕上げる韓国食に脱帽。これがメイン料理の店がある文化に感動。
 打ち上げは、主催者代表の鄭先生の挨拶に続き、カリスマ蔡先生の挨拶なんかがあって関係者は感激している様子。そして蔡先生の奥さんも「伝説の女優」だったらしく、彼女が余興で歌い踊った時は「こんなことめったにない」とみんな大喜びだった。我々も何かひとつということで「真室川音頭」をアカペラで。 するとスタッフの若い男どもがここでも携帯で高遠を撮りまくり。ビール瓶にスプーンを二本刺し、それで焼酎の瓶を挟んだ「マイク」まで登場して盛り上がった。 高遠彩子はどこへ行っても人気者になるのでありがたいことである。彼女のキャラにも感謝。
<  打ち上げが終わったのが二時近く。韓国にいるので緊張しながらだが、ライブも無事終わり、フェスティバルも成功して安心したせいか、けっこう酔っぱらってこの楽しい夜は更けた。

 多少不安もあった韓国ライブだったが、結果的には大成功。おそらく竹島問題や靖国問題を持ち出せば顔色は変わるだろうが、人々は日本での韓流ブームのことも知っている。反日感情というのは反日本政府感情であって、市民のレベルではお互いのことを知りたがっているし、親しくなりたいと思っているのだと感じた。
 今回、神楽公演を強行していたらどうなったかはわからない。しかし、政治やメディアによる反日キャンペーンがなくなった時に、日本の土俗文化としての神楽は驚きと喜びを持って迎えられるだろうということは人々の様子を見ていたら容易に想像できた。日韓の根底にある文化はほとんど同じものなので、このような伝統芸能の交流はお互いを理解する一番の近道だと思う。
 そのためにはまず自国の伝統をわかっていなければいけないのだが、その点では韓国の方が数歩先を進んでいるようである。フィナーレで観客を交えた数百人の人たちが楽しそうに歌い踊る輪の中にいて、この国から学ぶことがたくさんあると感じたし、神楽をはじめとする日本の土俗をもっと理解し、魂の交流の役に立ちたいとあらためて思った韓国訪問だった。

(三上敏視)













CONTACT
MICABOX
BACK TO OLD HOME BACK TO NEW TOP