金梅子公演『舞本-CHUMBON』@ソウル報告
4月9日、10日とソウルで行われた金梅子(キム・メジャ)さんの公演で音楽を担当してきた。
金梅子さんはソウルオリンピックの式典での振り付けを担当するなど韓国を代表する舞踊家で、日本で言えば人間国宝のような存在の人だが、伊勢・猿田彦神社の「おひらきまつり」の重要なメンバーとして出会い97年に初めてその踊りを見た。そして2001年の「おひらきまつり」で細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットが金梅子さんのダンスグループの「日巫2001」という作品でコラボレーションをするための準備で訪韓した時に、金梅子さんの薦めで「晋州仮面劇フェスティバルとの出会いもあったり、僕にとってとても縁の深い方である。
その「おひらきまつり」と「猿田彦大神フォーラム」を進めてきた猿田彦神社の宇治土公貞明宮司が去年の9月に急逝されてしまい、『神楽感覚』の出版を宮司に報告する会が11月に開かれたときに金梅子さんも韓国から駆けつけてくれて、その時に今回のオファーがあったのである。
声がかかったのは僕と細野さんと高遠彩子で、その時のプランとしては「宇宙的な音」「日本的でない音」を出してほしいとのことだった。細野さんはいろいろと仕事が詰まっていて、準備にかける時間がとれないので、まずは「三上君に任せる」ということになり、このプロジェクトはスタートした。
11月というと経済危機がいよいよ深刻さを増してきた頃である。最初の頃には出来ればメンバー6-7人にスタッフ2人くらいでという話しだったのだが、年を越したあたりで予算の確保に苦労していることがよくわかり、結局メンバー5人にスタッフ無し、作曲料とかも無しで行きましょうという線に落ち着く。その後、金梅子さんから「鎌田東二さんの石笛とホラ貝がほしい」との希望があり、これで4人が自動的に決定、あと一人の人選に悩むことになる。
で、擦弦楽器が欲しいなあと思ったときに浮かんできたのが札幌の嵯峨治彦くん。馬頭琴奏者でホーミーもホーメイも出来、その技量はモンゴルでも認められていて、海外公演の経験もあるし、ユーミンのコンサートに出たこともある。細野さんのグループに突然入っても舞い上がったりせずに、ちゃんとやってくれるだろうということで札幌に帰ったときにお願いした。
これで5人が決まり、あとはその内容である。金梅子さんから音を消したビデオが送られてきたので、それに音を重ねて叩き台のプランを作り、movにしてメンバーに送る。前半がモンゴロイドユニット野即興演奏的なものにして、後半に少しメロディーを加えてみた。便利な世の中である。
韓国へも送ったら「メロディーや決まったテンポがあると踊りにくい」ということで、結局作曲らしきものはしないで、楽器の組み合わせや流れをチャート図にするということになった。後は現場対応である。
以下はその日記
4月7日 羽田からKALで金浦へ。初めて乗ったが楽だ、この路線。ほとんど国内線。乗ったのは僕と高遠。今回の渡韓はメンバーバラバラなので太鼓の重量が心配だったが、なんとかクリア。機内食でコチュジャンのチューブをくれることを知り、もらう。不景気のせいか、ワインがなかった。
迎えの車でホテルへ。外資の新しいホテルで長期滞在用らしく、広い。五つ星ということなのに、作りは安いしサービスも良くないが、ルームではなくアパートメントと呼ぶくらいでキッチン付きのリビングとキングサイズのベッドのあるベッドルームの二部屋で、それぞれにテレビがあり、リビングのは大画面。5.1chのオーディオも。洗濯機や体重計まであった。
ネットはLANケーブルがあるが有料。安いけどオープンの漏れ電波を見つけてそれを使うことにする。
金梅子さんのスタジオへ行って札幌から着いた嵯峨くんと合流。簡単なリハをするが三人だとちゃんとしたものにはならない。それでも即興が初めての嵯峨くんに雰囲気がわかってもらえただろう。終わった頃に鎌田さんが到着。結局鎌田さんを交えたリハは出来なくて、夕食を食べに行くことに。金梅子さんのスタジオは大学の多いエリアにあるので、なんか高田馬場っぽい感じだ。入った店はタレが甘酢醤油にタマネギスライスとニラみたいな野菜を入れたもので食べるカルビの店。これは初めてだ。かなり人気の店らしい。
ホテルに戻ったらこれからチェックインしようとした嵯峨くんの予約が入っていない。そしてホテルの対応は冷たい。あれこれ問い合わせをしようかと思ったが、夜遅いし面倒なので今夜は僕の部屋に泊まってもらうことにした。キングサイズだが、ベッドで二人はあずましくないので嵯峨くんはリビングのソファーと言うことに。嵯峨くんには悪いがソファーが大きいのが救いである。そしてどっちの部屋にもシャワーとトイレがあるので便利。あとからわかったことだがもともと僕と嵯峨くんは相部屋になっていて、ホテルで部屋割りを間違えたと言うことだった。高遠の部屋にエクストラベッドがあったのだった。
コンビニでビールとマッコリと焼酎を買ってきて、第一夜の夜は更けた。
4月8日 朝食はバイキングで、日本のホテルに似た感じだが、メニューはそれほど多くない。中長期滞在者用のサービス付きレジデンスが基本のようなのでホテルとは趣が違うのだろう。朝食のレストランもホテルとしての利用客が多いので最近オープンした感じだ。
嵯峨くんと南大門から明洞にかけて散歩。焼けちゃった南大門は現在再建中だ。南大門市場は相変わらずパワフル。円高を逆手にとった「安いよ安いよ」の看板が多い。「いいニセものたくさんあるよ」とか「そっくりものそっくりもの」とか声をかけられる。
市場の食堂でピビムネンミョンとピンデトッを昼飯に。ピンデトッはどうも小麦粉で、お好み焼きっぽいが、それでも旨いのは何故だ?晋州のピョンヤンピンデトッが懐かしい。
3時からスタジオでリハ。このタイミングでこの音をというようなだんだん金梅子さんからのリクエストが増えてくる。予想されたことだが、だんだん難しくなってきたぞ。「音プランチャート図」にみんな絵やメモをいろいろ書き込んでいる。つくっておいて良かった。
途中で抜けて金浦へ細野さんを迎えに。渋滞にひっかかってしまい、細野さんを待たせるわけにはいかないので心配になる。だいたいソウルはいまだに慢性的な渋滞の町である。そして運転手はカーナビを見てもそれに従わなくて渋滞に対応しようとするのでますますドツボにはまる感じだ。
飛行機は予定より早く着いたが、到着ロビーに出るまでに時間がかかったらしく、待たせずに済む。そして第一声は「近いなー」。
再びソウルラッシュの町を走って、会場の世宗(セジョン)文化会館へ。ここは韓国一らしい会場でたいそう立派な建物だ。今回は併設のMシアターという650キャパのホールを使う。ここも立派だ。すでに別演目の群舞のリハをしていたが、やはり金梅子さんのダンスは素晴らしい。
ぼくらも楽器をセッティングして、サウンドチェック。PAスタッフも有能な感じ。客席で聞いていた細野さんが「いい音だ。素晴らしい」と言っていた。「録音したいなあ」とムラムラしたみたい。一回、金梅子さんと通して合わせてみて、リハ終了。
夕食は土俗村というサムゲタン専門店で、これまで食べた中で最も量の多いサムゲタンを食す。旨い。でもサムゲタン専門店って、何故か副菜が少ないのね。ここも白菜キムチとカクテキと生ニンニクだけだった。
宿に戻ったら嵯峨くんのエキストラベッドが入っていた。でも小さい…嵯峨くんと飲みながらいろいろ話していたら2時近くなってしまった。
4月9日 本番第1日目だが、午前中に別件の9月にソウルで行われる「伝統芸能祝祭」スタッフと打ち合わせ。神楽を呼びたいということでだいたい話がまとまる。国がやるイベントだが、予算は厳しそう。昼食を一緒にということになったので嵯峨くんも呼んで近くのキムチチゲの店へ。11時50分ころに店に入って先客は一組だけだったが、すべてのテーブルのコンロに火がかけられ、チゲ鍋がグツグツ煮えていた。これぞ韓国ならではの専門店だからこそ出来る技。みんな同じものを注文することがわかっているからね。でも日本なら「煮すぎ」ということになるかも。即席ラーメンの麺をオプションで加えて食した。
部屋に戻って体力温存して会場のセジョンセンターへ。僕らの部分のリハをした後、全体の通しリハをもう一回。リハを二回もしちゃうと即興的部分の多い僕らの演奏は新鮮味がなくなり、心配ではあるが踊りとのコラボなので仕方がない。気になるのはタイミングだけ。僕はディジュを吹き始めるところがプレッシャーである。
5時から7時半まで自由時間。細野さんたちと歩いて近くの韓国スポット、インサドンへ。この時間帯、車が渋滞するので下手に遠くへは行けないのだ。
高遠は精力的になにやら店を探っている。僕もちょっとチェックした後に細野さんの入ったカフェへ。ソウルではワッフルが流行っているらしく、頼んでみたらやたらにでかいのが出てきた。
また徒歩で会場へ。細野さんは途中のカフェでサンドウィッチを購入。楽屋にもサンドウィッチや韓国のり巻きであるキムパプも用意されているが、うかうかしていると肉体労働のダンサーさんたちが食べてしまう。僕は事前に自分用のキムパプを確保しておいた。太巻き一本分がアルミホイルで包んである。
そしていよいよ開演。まずは僕たちとのコラボの独舞「CHUMBON1」。これは彼女が初期に作った作品で「原点」と言えるものだそうだ。今回それを再演することでまた初心に返って進んでいこうという66歳の決意の表れだそうだ。
真っ暗な中ステージにはサスがひとつ点滅、それが消えて真っ暗な中を金梅子さんが舞台へ。僕らは舞台後方の遮幕のうしろ、一段高いところに並んで座り演奏をする。チベタンベルをシンギングボウルのように使って音を出したり、石笛を吹いたり、シンプルでプリミティブな音からスタートした。
そして馬頭琴をドローン的に弾いてホーミーを声を出してもらい、ディジュを吹いたりだんだん音が増えてくる。
そして一瞬の沈黙の後、チベット僧の読経のようなホーメイから5人全員が声を出してクライマックスへ。チャントや読経が渾然一体となった声のパフォーマンスに太鼓などの楽器が絡む。舞台には4人のダンサーが加わってきて舞踏のような振り付けで、こちらも渾然一体に。
あっという間の30分で「CHUMBON1」は終了した。
このあと短い群舞のプログラムの後に我々はもう一度舞台へ。せっかく来たのに伴奏だけでは、ということで僕たちのミニライブの時間があったのだ。ダンス公演の中で浮いてしまうのではと心配したが、金梅子さんの意向なので、それに従う。
まず嵯峨くんの馬頭琴とホーミーで「ジョノン・ハル」。メンバーが出入りしては見苦しいので、全曲全員が何かをすることにした。続いて高遠の歌う「ひねもす」と僕の歌う「神歌」をオケも使って演奏し、最後に「幸せハッピー」を全員で。細野さんは「合わないかも」と心配していたが、終わったら客席からは歓声も上がる。日本語がわかる人も多いし、シンプルな歌詞がわかってもらえたようだ。なんとかうまくいってホッとする。
そのあとまた群舞があり、金梅子さんの独舞「CHUMBON2」があって全体のプログラムは終了。カーテンコールでは僕たちも呼び込まれて幕が閉じた。
金梅子さんはめちゃくちゃ素晴らしいダンサーである。終わってみて非常に光栄なことであるということが、あらためて身に染みてわかった。いい緊張感でモチベーションも下がらず、金梅子さんも喜んでくれたし、評判も良かったようで一安心。楽屋で隠し持っていた焼酎を一口飲む。
その後、金梅子さん後援会のVIPや基金関係の人たちなどと一緒の会食へ。始まったのが11時頃だ。会場は日本食レストランだがこの会食のメニューは韓食。カルビ、絶品。蟹チゲ、最高。カルビについてオーナーが力説したところによれば、日本では霜降り肉を作ろうとするのでカルビは脂が多すぎる。韓国ではカルビを美味しくしようと牛を育てるので日本のカルビとは全然違うのである、と。蟹チゲにはイソギンチャクの卵とかいうのが入っていて、試しにひとつ食べてみたが味は海水だった。
1時過ぎに部屋に戻り、爆睡。
4月11日 本番二日目。11時にまた9月の伝統演戯祝祭のスタッフが迎えに来て、国立博物館へ。ここが会場になるので見ておいてほしいというわけである。ホールのステージも使うし屋外も使うということだ。この博物館、立派な建物はいかにもだが、公園的なスペースも広くてそこに古い民家みたいなのを作ってその前でもやりたいとか、いろいろフレキシブルに使えるところがいい。今回招待予定の伊勢大神楽は屋外が専門だから、こういう場所にはぴったりだろう。
昼は人気のメウンタンの店へ。行列が出来ていたが予約をしていたらしく、すんなりと入店。タラが一匹、二つ切りになって入っている。赤くて辛いメウンタンと、白くて辛くない「なんとかタン」の二つを三人の女性と食す。そしてソウル駅近くのロッテマートで落としてもらい、買い物をしてから宿に戻って一休み。ロッテマートから宿までは歩いて帰れるが、この日も体力温存でタクシーに。初乗り料金1900ウォンで済んでしまう。今のレートで150円くらいだろうか、ソウルのタクシーはまだまだ安い。
この日の会場集合は4時。4時入りしたら、昨日の出来が良くて安心したせいか「リハはやりません。早く来てもらってごめんなさい」とのこと。
細野さんが行きたいという三清洞へみんなで行って観光&コーヒー。細野さん、雑誌を見てチェックしていたらしい。意外とソウルに来ることを楽しみにしてくれていたんだと安心する。行きはタクシーだったが、帰りは徒歩。「うん、よく歩いた」と細野さん。健康的である。
そして二日目の公演も無事に終了。みんな達成感を感じていた様子である。
この日韓国各地から集まってくれた四人の親友たちが二人の友達を連れて6人で来てくれた。94年からのつき合いで、当時は「自然学校」というネットワークで「自然農」と「自然医学」そして「芸能」を共に学ぼうというグループのメンバーで、こちらは気功を「気の文化」として捉え、シャーマニズムやネイティブカルチャーなどから自然医学を学ぼうというグループとして出会った。
それが15年経って、金梅子さんの公演で再会出来たのはまことに感慨深い。彼らも今はそれぞれの道を歩んでいて、久しぶりに集合したらしく「おかげで今夜はみんなとゆっくり話せる」と言ってくれた。
彼らも一緒に打ち上げ会場のサムギョプサルの店へ行って、最後の宴。猿田彦大神フォーラムのメンバーも何人か日本から見に来てくれて、サルタヒコの打ち上げの様相も呈している。
そしたらなんと、毎年晋州で会っている釜山のチェ・ヒーワン先生まで登場。本当にうれしくて飛びついてしまった。韓国式の酒の飲み方を教えてくれた大好きな先生で、とても可愛がってくれているのだが、この人、韓国の伝統芸能、仮面劇界ではたいへんなカリスマで、若い人なんかは直立不動になってしまうような人。でも雰囲気は柔らかく、知らない人が見たらただの酔ってるおじさんなのがかっこいい。
金梅子さんとは同士であり、親友で、この二人がいなかったら韓国で仮面劇や伝統芸能が今日のような復興はなかったと言える功労者なのだ。かつて民主化デモに太鼓を導入して二つの運動をリンクさせたのがこの人だ、と、金梅子さんが言っていた。メジャさんも嬉しそうだった。
もちろん自然学校も民主化運動が進化した形のひとつだったし、光州事件の当事者であった僕の友人たちも知らないはずはなく、僕が先生に可愛がられているのを知り喜んでくれた。
今回、マネージャーも兼ねていたので酒は控えるつもりだったが、いろいろなものが合体した混沌とした宴になり、嬉しくておかげでかなり飲んでしまった。そしてホテルに着いてからも通訳のクムシルさんのダンナが「もうちょっと飲みたい」と言ったので嵯峨くんと、近くのファミマの前であこがれの「コンビニ飲み」をした。
韓国ではコンビニの前に椅子とパラソルテーブルがあって、みなそこでよく飲んでいる。酒やつまみをコンビニで買って、即飲み始めるのだ。この時もカップ麺作ったりして。一度やってみたかったので、面白かった。
そして翌日、飲み疲れて日本に帰ったのでありました。
マネージャー、コーディネーター、プレイヤーということでプレッシャーもあったし、気も使ったし、スケジュール的にも大変で疲れたけれど、結果大成功でそれ以上の悦びがあったし、得るものも大きく、シアワセな日々でありました。
ただ、メンバーが5人になったとはいえ現在の状況での公演は経済的に厳しいものがあったて゜しょう。細野さんもラジオで言っていたけれどこのメンバーで日本公演が実現したらいいと思います。今、円を稼げばかなりのウォンになるはずだし。それからビデオもちゃんと撮影していたのでDVDにして日本で販売というのもこれから誰かに相談したいと思っているところであります。
金梅子さんは宮廷舞踊、民俗舞踊、儀式舞などを修得して大学の舞踊科の教授でもあった人で、現在は彼女の弟子に当たる人たちが大学の「民族舞踊」の教授になっている。
日本でこのような存在の人はいるのかしら?
そして民族舞踊科のある大学はあるのかしら?
というか、民族舞踊というものがそもそも日本にあるのかな?
宮廷舞踊は雅楽-舞楽になるのかもしれないが…。
曲舞とか文献には残っているけど、今の日本舞踊と呼ばれるもの、あれはちょと違うでしょ。
民俗芸能は日本の方が韓国より質、量共に圧倒的に残っているけれど民俗舞踊という分野ははるかに韓国の方が豊かであることよ。
日本できっちり歴史のある民族舞踊というと、やっぱり神楽の舞しかないかも。日本の舞踊、舞踏の人たちにもっと神楽を知ってもらわなきゃ。
などとあらためて考えたのであった。 (三上敏視)
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