ハイドパークミュージックフェスティバル2005出演報告
細野さんから狭山の出演の話を聞いたのは6月に金梅子(キム・メジャ)さんの公演を世田谷パブリックシアターに見に行った時のことだった。その前に和田さんからコンサートの話は聞いていたが細野さんから「手伝ってくれる?」って言われた時は嬉しかった。モツさんにも頼んだということだったし、きっと細野さんは気心の知れたメンバーでリラックスしてやりたいのだろうと思った。メインアクトだろうしプレッシャーはあるが、そこで細野さんに「気楽」にやってもらうためにがんばらなくては。
その後、メールでアコーディオン担当の辞令が届き、ちょうど東京にいたので早速マイアコを探しにお茶の水へ。ヨーロッパ製のホンモノは高くて手が出ない。中国製だがそこそこのものを見つけたのでまずそれを購入。もし音色に問題があったら本番は細野さんの事務所にある立派なやつを借りればいいやという感じでいたが、まずまず使えそうで安心した。
それからは札幌で『HOSONO HOUSE』を何度も聞く。ただ聞いていた時はシンプルな曲のイメージだったが、いざコードを取ったりしてみると、これが実に複雑で凝っている。コード譜が届いてからもその解釈が難しい曲があって、難易度高し。コードにメロディーが重なって、また別のコードをイメージさせるのね。ジャズのテンションともひと味違う不思議なハーモニー。数曲はギターでも対応できるようにしておいた。
そして29日に上京、30日からリハが始まった。スタジオにドラムがセットされモツ(浜口茂外也)さんが座る。珍しい、というより初めてだろう。小さいセットに変えようかという話も出たので写真に収めておく。結局そのドラムセットを使うことになったが、モツさんはドラムパートは最低二人でやるとグルーヴが出るものなんだよなあ、と。だからパーカッショニストとして活躍しているわけだが、細野さんからの頼みだからこそ引き受けてくれたのだろう。
あとのメンバーは鈴木惣一朗君がフラットマンドリン、惣一朗君が紹介で参加という初対面の伊賀航君は生ベース、高田漣君がペダルスティールギター、そして僕がアコーディオンとギター。細野さんは生ギターとボーカルだが、以前HARRY & MACの録音で一緒に行った時にロスで買った57年のヴィンテージ、ギブソンのカントリー&ウェスタンを使うようだ。J-50のワンランク上だそうで、これはもう名器である。
ミキサーの樺島君も大阪から来てモニターもきちっとセッティング。初日は曲の確認といった感じだが、休憩時間もなんかのきっかけで演奏が始まったりして、やる気満々。細野さんがけっこう歌ったので喉が心配になり早めに終了。メインで歌うライブは30年ぶりくらいということなので、本番に声が出るようにリハーサルをしていかなければならないので大変である。
今回、ギターはマーティンのセミアコエレキ「GT-70」を持ってきた。84年に水族館レーベルのライブが渋谷ライブインであった時に吉祥寺で買ったレアものである。65年くらいのだったかな。その時は札幌から無名のバンドで出てきたわけなので、楽器ででも少しは目立ちたいという感じで楽器屋で見つけて3年月賦で買ったもの。その時はローポジションのフレットが凄く減っていてチョーキングも出来ない状態。おそらくカントリーバンドで長いことコード演奏に使われていたのだろうと店員は言っていた。今度やる狭山にあったジョンソン基地では毎晩のようにカントリーバンドが演奏していたというから、そこで使われた可能性もあるギターで縁があるかも。音もいいし、ルックスもキュートで好きな色。「勝負ギター」である。
もちろんフレットは打ち直して使っているが、実はボリュームコントローラーなどいろんなところが古さでトラブる。今回も知らないうちにピックアップのセレクトスイッチを止めるナットがゆるんではずれていた。気がつかないで演奏していたのだが、休憩中に漣君が「ちょっと弾いていいですか」とさわっていて「三上さん、これ、はずれてますよ」と気がついた。そしてケースの中にナットを見つけ、付けようとしたらスイッチがボディーの中に落ちてしまった。漣君が「これは気をつけないととんでもないことになりますよ」と注意してくれたのに、である。とりあえず音は出るのでそのまま弾く。
しかし、このままステージで使うわけにはいかない。二日目の休憩で時間に余裕があったので、意を決して弦をゆるめ、ピックアップをひとつはずして中の様子を見る。指が届かないが、わりばしをつっこんだりしてなんとかスイッチをひっぱってきて糸をくくりつけ、本来の取り付け部分の穴から釣り上げるという作業を漣君に手伝ってもらい、修理に成功。またあるかもしれないと漣君が「この糸、ケースに入れときましょうね」。またやらかしそうだと思ったに違いない。
この作業、弦をはずせばもっとやりやすかったが、張り替えちゃうと新しい音になるので避けたかったのだ。ちなみに細野さんのカントリー&ウェスタンも99年に買った時に張った弦のままである。枯れたいい音。本番で切れるかもしれないと心配した細野さんが張り替えようかと言うが、惣一朗君をはじめ皆が強く反対。「じゃあ、このままで」。
ただ、この日はなんか体調が変で演奏が上手くできない。細野さんも「今日は変な日だ」と言っていて、なんかねじれている感じ。リハが終わった後には貧血を予感させる体調に。細野さんに部屋まで送ってもらう。幸い、目がくらむことはなかったが、この日は酒抜きで寝る。本番に向けて調整しなければ。
三日目のリハは、ステージと同じセッティングでやることになる。「もっとみんなそばにきてよ」と細野さん。固まってやりたいということで、出来る限りくっつく。中央の細野さんが少し引っ込んだ扇形のセッティングに落ち着いた。
時間があるので「五回通しましょう」などと言っていたが、結局喉の都合で二回に。そしてMCのところでは変な声は出すし、変なことは言うし、笑ってばっかしだった。「誰か引っ張る人いないのかなあ」「リーダーでしょ、細野さん」とかボケと突っ込みが飛び交うリハだった。途中から忠さんが来て、細野さんと二人でやる「ありがとう」の練習。いきなり完璧なハモリで始まっちゃって、一同感動。細野さんのギターも完璧だし、忠さんも思いだしたらすぐ弾けた。休憩でモツさんがカントリーのCDをかけた時にもすぐ合わせてカントリースタイルで弾いていたし、ギタリストとしての細野さんもすごい。帰りの車でその話をしたら「狭山では毎日ギターを弾いていたからね。自転車に乗り方をいつまでも忘れないようなもんだよ」と。
忠さんとのリハでは「ステラもコーラスしてよ」と細野さんらしい展開で「ステラ」も突然やることになり、練習してリハ終了。
個人的には自分の弾き方がまだ固まらず不安は残るものの、リハはあっさりと終了。あとは個人練習で演奏をまとめていくしかない。リハの録音をCDに焼いてもらって帰ってから聞くが、やはり会話がおかしくて笑ってしまう。
2日は予定のない日だったが、ネットでチケットが当たったティナリウェンのコンサートへ行くことになった。麻琴さんがシンガポールから「見逃すべからず」というメッセージを発信していたので応募したら当たっちゃったわけである。北部マリのアラブ色の強いボーカルがメインの音楽で、「砂漠のブルース」といううたい文句。リーダー格のボーカリストの他に三人がそれぞれギターを持ちながらメインで歌い、あとはベース、ジャンベ、女性コーラスという編成。最初に数人がターバンで顔を覆ったりしててアラブ・ゲリラのような雰囲気で登場した時はゾクゾクした。銃の代わりにエレキギターという感じである。そしてその音楽は言葉はわからないが、表現する動機、理由に明確なものがあるという波動がビシビシ伝わってくる。ホンモノだ。だけどチラシに書かれているような「現在世界最高のライブバンド」ではなかったな。AXという場所もあるのだろうがそれ以上引き込まれていかなかった。自分が今「HOSONO HOUSE」をやろうとしている最中という緊張感もあり、受け入れる余裕がなかったのかもしれないが。
会場にはけっこうミュージシャンが来ていそうだったが、会ったのはあがたさんだけ。あとはバラカンさんが来ていたっけ。だから会場から誰かとどこかに流れて熱く語るということもなく、「龍の髭」でひとり生ビールとサービス定食となる。本番のためにはそれがよかった。
3日はハイドパークの一日目。電車に乗って会場へ。先に着いていた和田さんたちに合流。出店のところでまずは軽くビール。ステージは麻田さんバンドのようだ。和田さんは最初、麻田スペシャルバンドでベースを弾くということだったが、麻田さんが多忙でリハが出来ずレギュラーバンドで出ることになり、残念ながら和田さん今回は演奏ナシ。狭山の住人だったのだから「和田博巳バンド」でもやれれば良かったのだが、和田さんもオーディオライターで多忙だからなぁ。
センチあたりで場所を変え、木立の下で聞く。眠い。僕らは紙を敷くくらいで聞いていたのだが、後ろでシートを敷いて見ている人が「和田さんですよね。どうぞどうぞ」とシートに座らせてくれた。和田さんはどこでも人気者である。近くに不思議な枝の木があり、目印に。僕も便乗してワインを飲みながらウトウトと。茂さんはかっこいいステージ。お客さんも感動して大盛り上がりである。年配も多いが小さな子連れの三十代ファミリー、みたいな人が意外と多い。近所なのかな。しかしここ、昼間はセミがすごい、夜は虫がうるさい。ステージの音で自分の声が雌に届かないということで必死な感じ。虫も大変である。細野バンドは静かだから後ろの方のお客さんには虫の声の方が大きく聞こえるかも、などと心配する。翌日が本番なのであまり飲めないのが残念だが、マーク・ベノ、高野君グループ、忠さんバンドと初日はお客としてたっぷりと楽しんだ。
4日の当日はまず細野さん事務所へ行ってスタッフ車で会場へ。PAヘルパーの原口君が「えっ、細野さんカントリー&ウェスタン弾くの?野外だから心配だなあ、もったいない」とエンジニアの発言。車は順調に狭山へ。途中川越で細野さん用にスタバでコーヒーを買う。楽屋は会場近くのレストラン・ニックスの二階で大広間になっている。テーブルがいくつもあってミュージシャンはそれぞれに陣取っていて、ふーちゃんが椅子をつなげて寝てたりして。
楽屋の食事がなくなっていて、バックステージならあるというのでバックステージへ。ちょうど西岡恭蔵トリビュートで五郎さんが歌っていた。歌い終わった五郎さんや麻田さんに挨拶。「札幌以外で会うのは初めてだね」と、麻田さん。きのうはバックステージに顔を出さなかったのでスタッフTシャツ姿の川村さんともここで「おっす!」。和田さんが到着したようなのでまた合流、でまた出店でまったりとしていたら(軽く飲んでいたら)雨が落ちてきた。車の中でモバイルチェックしたら埼玉だけは降らないということだったのに。しばらく出店のパラソルの下にいたが、かなり激しくなったのでまずは走ってバックステージへ。それから楽屋へのシャトルバンでニックスへ戻る。細野グループの集合時刻は17時半。どうしても慶一さんの半ライダーズが聞きたくて樺島君に折り畳み傘を借りて再び会場へ。気分はファンそのもの。しかし豪雨である。ここに来ているはずの友達とも「やあやあ」とやりたくてメールしたらO氏、Bちゃん、Yさん、みんな前の方で音と雨にひたっているようす。Pちゃんが後ろにいたのでビールでもおごろうということで結局また出店のテントまで後退。偶然というかやはりというか、また店で和田さんとばったり。一緒に一杯だけ飲む。雨音のすき間から聞こえてくる曲に感動しつつ濡れまくる。集合時間になったので、歩いてニックスへ戻る。いい公園だ。この時は雨は小やみになり、少し安心する。
濡れたシャツを着替えていたら細野さん到着。いろんな人が次々と挨拶に来る。「雨やむんじゃないの」と窓を開けたら虫の声が勢いがいい。こりゃ上がるかも。楽屋ではだんだん細野さんが集中モードに。惣一朗君がなんだか薬みたいな味のリキュールを持っていて「飲む?」。本番前の飲み方が難しいのだ。酔ったらダメだが経験上シラフすぎると緊張して集中できないことあり。…ワンショットだけもらう。
7時過ぎてそろそろ着替え。リハの時に「みんな何着るの?」ということになった時、僕は黒帽子、黒ジャケット、リック・ダンコ!!と宣言。「HOSONO HOUSE」からはすごくザ・バンドを感じたので、話を聞いたときから心に決めていた。2005年にこの格好をするのは「笑いもの」になるかもしれないが、細野さんは「そんなことないよ」と言ってくれた。結局「みんな好きなのでいいから」ということになったが、細野さん、惣一朗君は黒ジャケットを持ってきてくれて、前の三人はちょっとザ・バンドのテイストに。僕はほとんどコスプレで、この日のために髭も伸ばしたんだけど、細野さんもつき合って伸ばしてくれて嬉しい。これまで見たステージではアロハやTシャツの軽い感じの衣装の人が多かったので、我々はちょっと重い感じになったかな。でも大トリだし、このステージの意味も重いし、良かったのでは。伊賀君はスーツで、モツさんはアロハにテンガロン風ハット。漣君がいつものビビッドな感じでバランス取れてたしね。
さて、バックステージに着いたら、もう佐野元春&ホーボーキングバンドの演奏は終わっていた。時間が押していたので細野さんのために短く切り上げてくれたのだろう。このあたりは実に気遣い深く、感動する。もうずぅーっと前に藤森カツオと一緒に札幌で一度だけ飲んだことがあるが、相変わらず真面目な人である。
それで、慌てて「楽器はどこ?」と探し回る。バタバタしてたらステージ後方で発見。ケースから出して自分の席へ。雨もすっかりやみ、お客さん、全員スタンディングで待っていてくれる。雨が上がって本当に良かったが、この前に雨が降ったからスタンディングになりやすかったのかなとも思う。神様、厳しくてやさしい。細野ファン常連のみなさんも最前列に。Pちゃんもしっかりと一番前にいるではないか。この状態ではちゃっかりと、という感じかな。少し後ろで僕の名前を呼んでくれているのはBさんか。O氏は酔いつぶれているかも。
お客さんの見ている前でセッティングするというのは、こんなフェスでないとないことだ。もちろん細野さんは出てこなくて、スタッフがギターのセッティングをしている。お客さんは「ほそのさーん!!」「ハリー!!」と大騒ぎ。僕はというとシールドが見つからなくてステージの後ろをウロウロする。かなりウロウロ。スーパーの買い物袋なんかに入れたから、機材としての存在感がないんだな。反省。なんか他の袋に混じっていたのを発見。
リハではアコーディオンにピックアップを付けて音を拾っていたのだが、どうやらマイクで拾うらしい。後で聞いた話ではピックアップがあったけど、わかんなかったとか。これもこんな状況なら仕方がないね。惣一朗君はセッティングが終わるとさっきのリキュールを一口、気つけをしている。楽屋で一杯もらったけど、今回のステージはどのくらい気つけをすればいいのかよくわからず、その後は酒飲まなかった。一時間くらいのステージなら後半で飲み始めるが今回は短いし、もし酔っちゃってしくじったらまずいので飲まなかった。しかし演奏を待っているたくさんの人を目の前にしたら、その人の気に当たったのと、暑さの中でジャケットを着たので体温上がり、ボーっとしてきてちょっと酔った感じ。
セッティングも終わり、細野さんが出てきて「うぉー!!」「ハリー!!」と怒濤の響き。レインボーなんかでは、こんな反応はなかったな。一気に盛り上がったあたりで、おかげさまで集中することができた。
さていよいよスタートである。「ろっかばいまいべいびい」はレコードとは違うイントロ。でも、細野さんが歌い始めたら凄い歓声。みんな待ってたんだな。僕も待ってたけど。会場一杯に暖かい愛が広がっていくのを感じた。次が「僕は一寸」。リハの時、サビのところで歌って欲しいと言われていたので一部でコーラスをつける。自分ではリック・ダンコのつもり。そしてアコーディオンはガースの気分でユラユラと漂う感じ。「HARRY & MAC」のレコーディングの時に目の当たりにした彼の演奏には及びもつかないが。
高野寛君が飛び入りでコーラス参加の「ポンポン蒸気」と「夏なんです」ではギター。モツさんのアドバイスを受けながらギリギリで弾き方が固まった。アコーディオンも実は音の使い方でペダルスティールとかぶるところがあり、どちらもそのあたりが特徴の楽器なので思案していたらモツさんからも「整理した方がいいよ」とアドバイスをもらった。漣君もそのあたり、考えていてくれたようでなんとかなったのではと思う。
話は飛ぶが友人で日本の戦前歌謡の研究をしているエドカー・ポープというアメリカ人がいて、彼はペダルスティール(スティールかもしれないが)とアコーディオンを世界で初めて一緒に使ったのは服部良一の「一杯のコーヒーから」だと言っていた。つまり、珍しい組み合わせだったのかも。
さて、細野さんはMCもなかなか好調で、お客さんにも応えている。そういえばモンゴロイドユニットでもあまりMCはしないし、これも珍しいことなんだな。冗談言うのは大好きな人なので、次の機会があったらもっとしゃべってもらおう。「ブラジルのはっぴいえんど」はお客さんもついてくるのがたいへんだったようだが。
「終わりの季節」はもろカントリー風に。「恋は桃色」の前はMCで歌詞をそのまましゃべって曲を予告。「どうやって来たのか」というところで惣一朗君が「川越インター」と突っ込んでいたが、その突っ込みはリハの時に僕が使ったネタだぁ。ネタ取られてしまった。最初は細野さんの弾き語りから始まったので一緒に歌っているお客さんの歌もよく聞こえて感激。ここまでが70年代の名曲シリーズだが、70年代からのファンも、若いファンも、6曲とはいえこのリストをまとめてバンドでのライブで見るのは初めてなんだから、すごいことだ。全員が初体験。親子で聴く人もいただろうな。
そして曲は「幸せハッピー」へ。清志郎作詞で坂本冬美が歌うHISの新曲で、ついこないだ出たシングルのカップリング曲だから細野さんにとっても出来たてのホヤホヤといっていいだろう。初演である。「音頭」「沖縄」「ザディゴ」「セカンドライン」などなど、いろんな要素を含んだホソノ流チャンキー演歌のセルフカバーで、リハよりまたゆっくりのテンポで、アコーディオンはかなり疲れた。けど、楽しかった。
そして忠さん登場で「ありがとう」。僕らは引っ込むことになっていたが、そのままステージで聞くことに。なんか不思議な感じ。終わりの方で高野君など歌い始めたので、僕も最後の一声だけ勝手に共演。といっても拾ってなかっただろうけどね。
最後は「STELLA」。スケッチショウのアルバムに入った曲だがモンゴロイドユニットではすでに代表曲とも言える重要なレパートリーになっている名曲である。これも初めて聴いた人がほとんどのはずだが、みんなじっと聴き入っている。ものすごい説得力。福澤もろ君も生きていればきっとこのステージ上にいただろう。星は見えなかったが、もろ君、来ていたね。
美しい曲で、美しい終わり方。スタッフもお客さんもみな美しい。奇跡のようなステージが終わった。
(三上敏視)
ステージ写真はHMF2005公式サイトのリポートページより転載。
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