神楽事始め

 94年くらいから笛、鈴、太鼓やディジェリドゥーなどを使って奉納演奏ということをやり始めた。最初は宗教学者の鎌田東二氏に誘われて吉野の山や神社などで極めて私的にやっていたが、原爆投下50年の広島や富士山など祈りの行事が増え、時には20人くらいでやったこともあった。
 奉納演奏は神様に聞いてもらうために演奏するので、基本的には観客はいない。その場に同席する人も基本的には一緒にそれぞれいろいろなことを祈っているのである。
 これに対して祈りの力を疑問視する声もある。いくら世界平和を祈っても市民運動のような行動が伴わなければダメだというような意見である。たしかにアクションを起こせば成功にしろ失敗にしろ結果は分かりやすい。それに比べ祈りの場合は結果はどのように現れるかわからない。
 だけど晴れているのに雨が落ちたり、厚い雲がかかっていたのに陽がさしたり、急に鳥が鳴いたり、不思議な現象は良く起きる。例えば広島の時は夜明けに祈っていたのだが、東にはマンションがあって日の出が見られないはずだった。だけど朝日が西側のビルの窓に反射して再び東のマンションのガラス窓に当たり、我々にはまるでマンションを貫いてきたように朝日を東に拝むことが出来たのである。
 この時はフィリピンのキドラット・タヒミック氏を中心とするイゴロット族のアーティスト集団が希望した、大地に鍼を打ち広島を癒したいというプランに連れ合いのみかみめぐるがコーディネイトをして、気功家で風水師の出口衆太郎氏や細野晴臣氏、笛奏者の雲龍氏、精神医学の重鎮、加藤清先生などが参加、鎌田東二氏は同じ時刻にアイルランドで祈るというような顔ぶれだったが、この日の広島はいろいろな場所で様々な人が同じような祈りの場を持っていたので、不思議なことがいろいろ起きた。だいたいこの時の広島は50周年でとにかく人が多く、2,3カ月前では宿なんかとれる状態ではなかったのだが、どういう訳か一度廃業したということで断られた元旅館の気が変わり、泊まることが出来た。話がついてから宿泊者名簿を贈ったのだが、旅館の娘さんが細野さんの大ファンで逆に今度は向こうが大感激したりした。
 我々だとこのような偶然の一致は祈りが届いたと解釈する。都合よくとらえていると思われるかもしれないが、実感としてこれを感じると、それからの自分の行動というものがひとつの規範が出来る。常に神的なものを意識するようになるのだ。祈りはまず祈った人本人に結果が出るわけだ。
 神意に沿って生きることを「神(かむ)ながら」と言うが、多くの人が「我欲」を捨てて、「神ながら」になれば、人類の危機も回避できるのではないかと思うのである。
 この「神ながら」はキリスト教の修道士のように禁欲的に生きろと言うものではない。あれはあれで好きでやっているのだからいいけれど、宗教団体は裏表のあるところばっかりだ。
 我々にとっての神様は酒も好きだしエッチも好きだ。天然自然の法則に逆らわず、自己を愛するように他者も愛し、みんなの幸せを自分の幸せと思う、要するに「愛の道」が「神ながら」の基本だと思うのだ。「祈りと行動」に話を戻せば「祈りの元は愛」「行動の元は問題意識」。右脳と左脳の関係にも似ているが両者のバランスが大事だと思う。
 ちなみに精神世界に傾倒して瞑想などをしすぎると「自己」ではなくて「自我」が肥大してしまうことが良くあるそうだ。自己が今ここに存在することがそもそも奇跡的なことでかけがえのないことなのに、なお特別の超能力者になりたがってる人は身の回りにもよくいる。特に私の周りは気功やってたり、ニューエイジだったり、インド行ったり、いろいろいるから。
 話を奉納演奏に戻すと、昨年の猿田彦神社の一連のお祭りに参加してみて、自分たちのやってきた奉納演奏は「神楽」の原型であったということがわかった。これにシャーマンがいて神憑りになってくれたらもっと本物っぽかったが、巡行祭ではそれに近いこともあったし、何よりも神様とつながろうとして演奏していたのは神楽そのものだったのだ。
 以前から、よく神社などで行われている神楽は民謡のようなべたつきがなく、リズムも軽快で好きだったのだが、調べてみると神楽は起源を縄文時代まで求めることもできそうで、その独自性は日本の音楽の中でもきわめて重要なのにけっこう軽んじられていることがわかった。民族学的な調査はされているが音楽からのアプローチは少なく、日本の音楽について書かれた本でもちょっとしか触れられていない。あの小泉文夫先生でさえ、日本のリズムについては、ほとんど民謡とわらべうたを元に考察している。
 そして伝統芸能としてあった神楽も日本人の生活文化の変化、信仰心や心の変化で消えていくものも多く、まだ芸能化が進んでいない九州や東北の山奥の神楽も伝承が難しくなっているようだ。この半年でいくつか神楽を見たが、特に大切なリズムやビートが不安定なものがあった。太鼓でも古老がたたくと締まるのだが、若手はどうも、というものがかなりあった。これでは神様も満足しないのではないかと不安になるし、本来のカッコ良さがない。
 そこでここに多少の問題意識と大きな神様のお導きで神楽研究会が出来た。今のところ細野さんと私の二人だけだが、けっこう燃えている。ひとつはこれまでの奉納演奏でつかんだ境地を土台に、伝えられてきた神楽のあり方を体験し、縄文までさかのぼる日本人の中に貫かれた音のDNAを実感すること。ふたつ目は否応なく変化する生活文化の中で存在しうる新しい形の神楽を作っていくこと。出来れば地球規模で。とりあえずこのふたつが目標だろうか。
 振り返ってみると、アイヌ文化との出会いで先住民文化に目覚め、現代社会の中に先住民文化の復権を思い描いていたのと同じ事やってるっていうことだ。気功との出会いで「気の文化」を知り、目に見えない気を生活の中に取り入れようとしているのもこれまた同じ。「神意に沿って」いたらみんなつながっちゃった。というわけである。
 最後に、ここのところ神楽を調べていると、伝統芸能を調べて歩いた小沢昭一さんはまったくエライ!!とあらためて思った。あの好色ぶりにもあこがれを抱いたけれど、なんといっても消えゆく放浪芸を記録してくれたことは偉大な業績だ。そして小沢さんについて写真を撮っていたのが映画「ナージャの村」の本橋成一氏だというところにもまた縁を感じ、シアターキノの宣伝をしたところで次回のココロだ。       

(ミニコミ『工房便り』1998年5月号より転載)

CONTACT
MICABOX
BACK TO OLD HOME BACK TO NEW TOP