バリ島ガムラン録音同行記 その4

 4月19日、バリの6日目はSMKIの録音の予定だったが、先方の都合で初日に済ませたため、フリーの日となった。その初日は大変だったが、おかげでのんびり出来る。細野さんはこの日の夜、一足先に日本に帰る。部屋に電話してもいないのでどうしたのかなと思っていたら以外と早く起きて、朝食など食べていたらしい。
 この日は時間が出来たので午後から楽器屋さんへ行こうということになった。ガムラン専門の工房である。鳥居さんから以前聞いていた話では、欧米でガムランの演奏するグループが増えていて楽器の需要も多く、全体的に質が落ちているといたのだが、その工房にはなかなかいい音のする楽器が置いてあった。
 モンゴロイドユニットやETHER VIBESでは僕はガムランの一番大きいゴングを担当しているが、これはそのたびに鳥居さん達のグループから借用していたものだった。それで常々細野さんが「マイゴングが欲しい」と言っていたので、バリに来る前から「ゴング買いましょうね、ゴング」と騒いでいたため、この楽器屋さんへ来た第一目的はゴングである。
 ガムランではゴングは大きさの少し違う男女のペアが普通で、夫婦茶碗のように女が少し小さい。音の揺れの面白い個性的なゴングがあったが、ペアで使うには個性的すぎるので、他からペアを選ぶ。細野さんが選んでから「ほら、これでいいかい」という感じでバチを渡される。いい音である。「たいへん結構です。大事に叩かせていただきます」と答えた。ガムランでは全ての楽器が神様だそうだが、特に大きいゴングの奏者は念入りに楽器に花やお米をつけたりしてお祈りをしてから演奏していた。僕も僕なりに見習って演奏しなくては。

 ゴングは船便で送るため、間違いのないようにゴングに印を付けておいてくれとマジックを渡された細野さんは、真ん中のへそのところに「細」と漢字で書いた。なんかおかしい。
 僕は前から欲しかったチェンチェンを探した。チェンチェンはシンバルで、亀の彫り物のしてある台に小さなシンバルが5-7個くらい上向きに取り付けられていて、それを手で持ったシンバルで叩く楽器である。ガムランに一人いるパートで、ドラムセットだとハイハットの役割だろうか。両手にシンバルを持ってチェンチェンと叩くわけだが、片手でも出来るので自分の演奏の時は便利である。
 店にそのチェンチェンはなかったのだが工房からペイントする前の亀の形に彫られた台を持ってきてくれた。ペイントして、シンバルをつけてゴングと一緒に送ってもらうことにした。日本の楽器店のカタログで8万円とか書いてあったものが4000円である。うれしい。せっかくだからとシンバルだけ余分に買った。たぶんチェンチェンはかさばるので時にはコンパクトサイズがあった方がいいと思ったからだ。日本で面白そうな台を探すのも楽しい。他に店に三本あったスリンに七本注文を加えて十本買った。これは「雑貨店ぐるぐる」の仕入れである。スリンは簡単に音が出るがケーナに似た倍音の多い音が出るので非常に好きな笛である。尺八ほどくどくないし循環呼吸での演奏はディジェリドゥーにも共通する。
 この楽器店にとてもいい音の楽器があったので鳥居さん、皆川さんたちがややコーフンしている。聞くところによると有名なグループが、楽器の音が良くなくなったから新しいのを買ったために下取りしたものだそうだ。ところが音が悪くなったのは共鳴用に鍵盤の下に仕込んである竹筒のせいだったらしく、竹を変えたら元の良い音に戻ったのだそうだ。「鳥居さん買っちゃいなよ」などと軽口を叩いていたのだが、その後少し皆で本気になった。これだけの楽器がもし島外の人間に買われて流出したらバリの損失である。とりあえず買い取ってバリ島内にとどめておくことを計画しよう。ということになり、帰国後細野さんも協力してくれると言ってくれた。多分ワンセットで5-60万のものなのだ。幸い、バリでも信頼できるところが引き取ることになったらしく我々の出る幕はなくなったのだが、これからもこういうことはあるかもしれない。

 さて、この日の夕食はスタッフ全員がそろう最後の晩餐ということで空港近くのビーチの海の家みたいな食堂の並ぶところへ行った。予約を入れてあったのでテーブルをセットしてくれたが10数人が一列に海に向かって座る、まさに最後の晩餐のセットをしてくれておかしかった。次の録音はニューギニアはどうだろうか、という話を小耳に挟んだ細野さんは挨拶の折りに「次はベトナムにしましょう」と先手を打っていた。ベトナムならコーヒーもあるしね。
 遠くの海の彼方のスコールの雲がだんだん近づいてきて、とうとうビーチまで来た。テントにテーブルを移し、そこで本格的なディナーである。ロブスターのグリルなど豪華絢爛だがなんせ海の家の屋根の下なので暗い。ここでもマグライトで皿を照らしての食事となった。
 そのあと、細野さん、庄司さん、取材の一行を送りに空港へ。バリで帰る人を見送るのは初めてで、地元っぽい感じでちょっとうれしい。帰りの車では皆川さんからバリのマジックについていろいろ話を聞く。どうも今夜はマジックの練習をする日らしいのだ。マジックですごいのはやはり変身で、異常にでかい鶏を捕まえてオリに入れておいたら翌朝人に戻ってた話では、次に見つけたでかい鶏はすぐに食べちゃったという落ちが付いていたし、バイクとかテレビに変身することもあるそうだ。なんでテレビになるのか聞いたところ「夜、森の奥でテレビが光ってたら、、、コワイだろ」ということだそうだ。
 翌日は予備日にとっておいた日だが、夕方からGong Geladagの地元のお寺での写真撮影をした。デンパサール近くのどちらかといえば街の中だが、王家の関係であるらしく、ひなびてはいるが上品ないいお寺で小原さんの予感はバッチリ的中。鎮守の森の雰囲気で巨木が一本、ご神木のようにそびえていた。  お祭りの時はこんな感じなのかな、という演奏が始まり、しかも、録音したときとは別のシフトで演奏してくれるではないか。あのカッコいい長老が太鼓を叩いたりしている。「うわー!!この曲を録音したかった!!!」と鳥居さんがくやしがることくやしがること。「また録音しに来いということですよ」ということにしたが、けっこうあきらめきれなかったようだ。
 この日の夕食はパダン料理。録音現場のランチをテイクアウトしてきた食堂ということだ。手を洗い、手づかみで食べる。小皿がどんどん運ばれてきて、手をつけたものだけ支払うシステムだが、旨い。パダン料理はイスラムなので基本的に店に酒がない。観光客なら外で買って持ち込んでも良いよ、いうことだったが、水で済ます。野菜料理も旨かったが脳味噌のカレーを初めて食べた。


 ホテルへ戻り鳥居さんの部屋で軽く飲んでバリの最後の夜は更けた。鳥居さん本当にお疲れさまでした。中途半端なスタッフとしての参加だったが、「三上さんいてくれて助かりました」と言ってくれたので、ホッとした。こんなに音楽が好きで情熱を傾けて製作している現場が今の日本にどれだけあるだろうか。自分が聞きたい、いい音楽を提供しようとしているプロジェクトはほとんどがインディーズという状況の中にあって、このビクターの企画は珍しいくらい誠実である。
 帰国後、細野さんのライナーの原稿を読ませてもらったが、これもまた素晴らしかった。いつもの事ながら細野さんの文章には気品があるのだ。そしてそのライナーや皆川さんの解説、小原さんの写真が載った作品がまずCDとして7月26日に2タイトルリリースされることになった。詳しくは鳥居さんのホームページをご覧いただきたい。
裏話はまた、時間があったら書いてみたい。最後の写真は最終日に立ち寄った衣装や小道具の工房にあったお面のショーケース。上段右端に細野さんそっくりのお面を発見した。 (三上敏視)

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