おひらきまつり2002報告

 今年のおひらきまつりは、2001年の節目の年の後ということで例年より小規模で行われた。といっても内容としては音楽ゲストを特に呼ばないというだけで、野焼きまつり、モンゴロイドユニットの奉納演奏の定番に四国・高知から来てもらった本川神楽が加わり、フォーラムのイベントとしては「お神楽談義」が開かれて、地味ながらも中味の濃いものとなった。
 今年のモンゴロイドユニットはなんと言ってもメンバーの福澤もろ氏が5月に急逝したので、彼を偲ぶと共に、その場に彼にも来てもらおうという思いで皆が伊勢に集まった。ガムランの鳥居さんが仕事の都合で来られなかったが、細野さんを始め、浜口茂外也、皆川厚一、雲龍、高遠彩子、そして僕という面々が一年ぶりに顔を合わせた。
 今回は天空オーケストラの出演がないので岡野弘幹氏が我々に加わることになり全部で7人だが、雲龍さんが当日入りなので前日のリハは6人で行った。リハといってもいつも「だいたい」のところを押さえるだけでキッチリとはしないのだが、今年はもろ君追悼ということで彼の曲を中心にしようということで、そうなるとリハもちゃんとしなきゃという感じだった。まずは彼のCDからアカペラの曲である「うたき」を流し、それに合わせて即興演奏をしてみたが、それが終わった後に細野さんが「カセットは使えるかな」と言ってテープを取り出した。それは82年くらいの頃にもろ君が細野さんにくれたテープらしいのだが、そこには鳥の声と波の音が入っていた。そしてそれはどうやって録音したのだろうと不思議になるほど鳥たちが生き生きとさえずっているのだった
。  それを聴きながらモツさんがなにげにパーカッションを叩き始め、それに僕が太鼓で加わり、皆川さんが鉄琴を弾き始めたあたりで細野さんの体がゆれだし「あっ、いいね、いい感じ、これやろう」ということになった。なんか細野さんが自然にもりあがってくるのを見て嬉しくなった。予定になかった曲が突然出来上がったわけだが、このあたりにみんなで音楽をする楽しみがあって、喜びもひとしおのひとときだった。
 いろいろ選曲で悩んでいた細野さんだったがもうこの曲があれば大丈夫という感じになり、これに雲龍さんリードのいつもの即興を続け、「うたき」と、高遠さんが歌う「ハスクリア」の四曲でいいね、ということになった。結局例年同様、所要時間約二時間、正味は一時間半のリハがあっさり終了した。
 その晩は恒例の「カフェ東」がホテルの部屋にオープン。一年ぶりの語らいの場となったが思い出してみるともろ君の話題には全然ならなかった。いつも一緒だった人がいない場なので思い出話に花が咲いてもいいのに...。僕は全然意識していなかったけど、みんなも避けていたようではなかった。きっともろ君がその場にいたのだろうと思う。そして外は台風のような大嵐。翌日の天気を気にしながらこの夜の「カフェ東」は早めに閉店した。
 翌朝、嵐は去ったが今にも降りそうな曇り空。この日の午前はこれまた恒例の伊勢神宮、内宮参拝である。細野さんはいつもこの時間帯が就寝時なので一緒に行く年と行かない年があるが、今年は目が覚めたようで一緒に行くことになった。いつもと同じ時期の同じ時間帯なのに今年は人が多い。若い人も多いので「神社ブーム」なのかとか、「景気が悪いので神頼みか」などと話しながら「昔は一生に一回来れればラッキーだった伊勢参りに毎年来れるなんてシアワセだね」というところに落ち着く。人が多い参道も別宮の方にはずれればほとんど来ないのでしばし静かな内宮の気の良さを味わい、待っているのはいよいよ精進落とし、じゃなくて「おはらい町」である。モツさんは地ビールの「伊勢ビール」がお目当て。僕も皆川さんも同じである。この「おはらい町」は年ごとに食べ物の店が充実している。昔ながらの「赤福」とか「伊勢うどん」だけでなく、魚の干物とか、揚げ物とか串焼きとかいろいろあってまずはつまみ用にウナギの串焼きをゲット。それを持って「おはらい町」の中程にの「おかげ横町」へ。ここはテーマパークのようにいろいろな店が集まっているところで、無料の休憩所もあってくつろげる。これが洋風ならオープンカフェテリアといったところだろうか、みんな好きなものを買ってきて楽しむ。それでも会話が自然とProToolsとかのレコーディングシステムの話になる。耳をそばだて細野さんの話を聞いて、自分の導入したシステムが安物だが「正解(今のところだが)」で安心する。
 猿田彦神社に移動すると現場は雨の対策で緊張している。今は降っていないが降水確率100%なので我々の奉納演奏と本川神楽を拝殿でやるかどうか決断を迫られているのだ。結局御神田でやるとお客さんの足もとがぬかって大変だろうということで拝殿で行うことに決まった。拝殿は機材が乗せられないとかいろいろ制約があるのだが、マイクも使えることになり、演奏もなんとか出来る環境にはすることが出来た。拝殿には正中という聖域があり物が置けないので我々は二手に分かれて並び、我々の祭壇も二つに分けて置くことになった。猿田彦大神を拝する場所に別の祭壇を置くことには遠慮もあったが、供物の一種として置くことを了解してもらえてありがたかった。
 今回の細野さんのプランはいつものステージとは別の場所、野焼き祭りの火の近くに小さなステージを作り、そこで車座になって中心に気を集めながら演奏しようということだった。中心には毎回みかみめぐるが作る祭壇を置き、お客さんには我々の周りを取り囲んでもらって、一緒に参列するような感じでもろ君を偲んだり、迎えたり、感じたりできれば、ということである。残念ながらそのプランは天候で流れたが、拝殿に上がるとそれはもろ君の希望であったような気もする。去年はステージには出られなかったが、拝殿での奉納演奏だけはということで病院を抜け出してきてくれたのだから。

 参列した人たちには聞こえにくい演奏になったかもしれないが、どうやらこの夜の出来事は神社にとっても画期的なことだったらしいので、その場にいたということで勘弁していただきたい。これを見ていた宗教学の先生が「神社の拝殿でこんな大きな拍手が起きるなんてことはまずないです。きっと神様もびっくりしたと思うけれど、天の岩戸に隠れていた天照大神がついのぞいてしまったっていうのはこういうことなのかもしれませんね」と言っていたのである。そう、普段拝殿に響くのは「柏手」であって「拍手」ではないのである。
 さて、モンゴロイドユニットの演奏はいつもと違った緊張感を持って始まったが、いざ始まってしまうとお客さんの視線も正面から来ないし、集中できていい演奏が出来たと思った。そして面白いことが一つ。何年か前から使っている楽器で小さな虫の声が出る電子楽器がある。直径3cmくらいの、まあ、IC電報みたいな仕組みのもので、ボタンを押すと「リリー、リリー」と鳴り、もう一度押すと鳴りやむというもので、電子音のわりには妙に深い音が出るので細野さんも気に入っているものである。これをよくもろ君に持ってもらっていたのだが、今回それを「うたき」で使ってみた。そしたら止めようと思っても止まらないのである。曲が「ハスクリア」に移ってしまったので、それをやむなく後ろの方に隠したのだが、これはもろ君のいたずらだったのだろうか。
<写真はリハ>
 演奏が終わり、楽器の整理をする間もなく次の本川神楽の紹介をしなくてはならない。今回は5名という最小の人数で来てもらったが、中には87才の長老も見えていて、長老にベテラン二人、若手二人という構成である。こちらも急きょ拝殿での奉納ということになったが、「大丈夫ですよ」ということで安心した。時間を短縮してもらっていろいろな演目をやってもらったが、「山王の舞」では87才の長老が真剣を持って舞ってくれた。さすがに迫力では若い者に譲るが気の入ったいい舞だった。やはり神楽に関わる人たちにとっては伊勢という土地には特別の思いがあるのだろう、単なる営業だったらこの長老は来てくれなかったと思う。本川神楽は初めて見るお客さんがほとんどだったが、その音と舞の迫力と呪術的な雰囲気にはみなさん驚いてもらえたようで、推薦した身としては嬉しかった。現地で見るとこの数倍すごいのだから、是非見に行ってほしいものである。
 神楽が終わって、あわてて楽器の片づけ、整理をし、遅れて打ち上げに顔を出す。細野さんにとっての師匠、加藤清先生が来ていて、細野さんも嬉しそうだった。
 その夜も「カフェ東」は深夜開店。酒飲み組は夕べより酒の量が多かったみたい。翌日は拝殿でいつものシンプルな奉納演奏がある。これまで細野さん、雲龍、もろ、僕という四人でやっていたものだが、もう今日みんな拝殿に上がったのだから、明日もみんなで上がってはどうかと提案する。四人でなければという理由はこれといってなかったのだが、四人が一番最初から奉納演奏をしていた顔ぶれで、ああいう場に慣れているし、他の人には緊張させてしまうかもしれない、というようなことがあったのかもしれない。結局「そうしようか」ってとこで翌日は6人が上がることになった。
 この演奏こそ、なんの打ち合わせもない即興で、モツさん、皆川さんはそのつもりでなかったので楽器は楽器車に乗せてもう東京に帰ってしまった。それで僕の楽器の中から使えそうなものを選んで使うことになったのだが、この演奏が良かった。特に終わり方。初めが雲龍さんの笛、というだけで、構成も時間も終わり方もすべて決めていない。最初はとまどうが慣れてしまえば楽である。細野さん曰く「間違えようがない」のだ。なんとなく終わりそうだなという感じで手平鉦をチャンチャンとやったらモツさんがトトンと来て、またチャンチャンで終わった。まさしく「チャンチャン」。モツさんも「いやーさすがだなあ」と言って面白がっていた。
 さて、またこのあとはお役目である。午後からの「お神楽談義」の打ち合わせを、ゲストの神崎宣武先生と前に出る山田せつ子さん、鎌田東二さんと弁当を食べながらの打ち合わせ。今回はいつもならシンポジウムをやる枠にこの「お神楽談義」が設定され、僕が司会の大役を仰せつかったのだが、僕はビデオを見てもらいたくて、それが1時間以上はあると言ったら鎌田さんが「それでは話が出来ない、30分にならないか」とのこと。「神楽を見たことのない人が多いのだから見てもらわないことには話にならない」ということで、「早送り」しながら用意したビデオは流す、ということで「銀鏡神楽」と「花祭」を見てもらうことにした。僕はフォーラム世話人に事前アンケートを送り、この個性的だが根源的な二つを見ていない人が多かったのでどうしても見てほしかったのだ。神崎先生は「三上さんの好きにしてくださっていいですよ」とおっしゃってくれたので少しわがままをしようかと思う。
 結局「お神楽談義」は早送りをしながらビデオを見てもらい、神崎先生、山田さん、鎌田さんが話し、会場からのコメントをもらって、へたくそな司会ながらも無事に終えることが出来た。神崎先生は備中神楽のビデオを交えてわかりやすく神楽について語ってくれた、隣にいた高遠さんによると細野さんがメモを取っていたとのことである。山田さんはダンサーとして「セルフ」のことを話してくれた。これは僕が神楽に惹かれる要素の一つである「エゴのないパフォーマンス」と通じる部分で、これを語ってもらって嬉しかった。やっぱり見る人はちゃんと見ているのである。加藤清先生にコメントを求めたら「山田さんに賛成」と言ってくれてまたまた嬉しくなった。このへんで学問じゃない「お神楽談義」が成立したように思う。山田さんは終わったあと、「やっぱりビデオを見れて良かった」と言ってくれた。
 また、この場では韓国から来た友人で神楽研究にはまっている鄭先生が発言してくれて、質問もしてくれた。終わったあと、神崎先生は「いろいろ神楽をテーマにしたシンポジウムなど出るが、今日のはいろいろ面白かった」と言ってくれたし、「韓国から人が来るなんて10年前では考えられなかった」とも言っていた。ほんとに時代は変わっているのかもしれない。なにしろこの日の朝には韓国からの友人を内宮に案内したのだ。こんなこと韓国に帰って言えるのかな、などとも思ったが、本人は「神楽を見る人は伊勢に来なくちゃあ」などと屈託なく喜んで参拝してくれたのには驚くやら嬉しいやら。
 細野さんの一言と猿田彦大神フォーラムのおかげで今日に至る僕の神楽ツアーだが、いろいろな縁がつながり、ここで一区切り付けることが出来て感慨深い。こりゃあますます後にひけなくなって来ちゃったなあ。
(02/10/22)

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