「2004熊野〜森羅万唱」報告

 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された記念の行事「森羅万唱〜紀伊山地からの祈り〜」が9月19日に行われ、その記念ステージを細野さんがプロデュース「細野晴臣グループ」のメンバーとしてこれに参加した報告です。

 9月16日熊野入り。メンバーとしては17日に入ればいいのだが熊野は初めてなので、一日前に入って熊野を感じておきたかったのだ。
 朝8時千歳発の飛行機で飛び、名古屋から新宮までJRの南紀5号に乗った。お坊さんを何人か見かけたので、さすがに熊野行きだなあと思う。車内販売のアナウンスで途中松阪から「牛肉弁当」を積むので予約を取ると言っていた。「数に限りがありますので」などとせこい表現をしていたが、これからの時代なら正直に「売れ残りを出したくない」と言った方が共感をもらえるだろうに、などと思いながらウトウトする。新宮に着いたらその牛肉弁当をたくさん持った坊さんを見た。それだけ買ったなら風呂敷に包むくらいはしろよ、と思う。見るからに生臭坊主である。
 駅前でレンタカーを借りる。メンバーと合流するまでの一日はこれで動くのだ。さっそくスーパーへ行って酒と刺身を買う。カマスにムツにイサキ。北海道では刺身では食べられない魚たちだ。僕は一般人だからいくら生臭くてもいいんだもん。
 で、一路熊野へ。熊野川沿いに走るのだが、みんなけっこう飛ばしていて景色を見る余裕がない。今夜の宿は麻野吉男さんの家で、麻野さんは数年前に熊野へ越してきた大阪の百姓である。自然農法を教える「熊野出会いの里」という「場」を作っている人で、今も何人か住み込みスタッフがいるようだ。その世界ではかなりの有名人で理論家でもある。丘の上にあるその「出会いの里」は移築した古民家や新築の建物がある広いスペースでびっくり。熊野川を見下ろす眺めも良くてなんだか怖いくらいの場所だ。
 麻野さんとは伊豆の画家の宮迫千鶴、谷川晃一夫妻や、大阪の映画おばちゃん松井寛子ちゃんなどとと共通の友人で、僕らの間では「麻野のおっちゃん」と呼ばれている僕にはセンパイ格の人である。会うのはずいぶん久しぶりで、飲み明かしたい気分だが、おっちゃん体調を崩して酒をやめていて淋しい。奥さんの佐代ちゃんと三人で刺身と野菜料理で食事をする。刺身になってしまうとムツとカマスは同じような味で、イサキがちょっと香りが違った。旨味の個性はやはり焼かないと出てこないようだ。虫の声を聞きながら新築の一部屋で熊野初夜を過ごす。
 17日。おっちゃんのアドバイスで朝8時半出発。熊野三山と神倉神社を一気に巡ってしまうにはそのくらいに出ないとあかんでー、というわけだ。まずは熊野本宮へ。意外と町の中にあって隣が役場。でも境内には霊気が漂う。サッカー日本代表のエンブレムのヤタガラスは熊野のものなので、ついついJFAのお守りを買ってしまう。それと神楽で使う鈴のおもちゃがあったのでそれも買う。土台は紙製だが鈴はちゃんとしているので音はまとも。これを今回は熊野本宮のお使いとして高遠彩子に使ってもらおうと思いついたのだ。
 本宮を後に新宮へ出てから海沿いに南下、熊野那智大社へ向かう。那智勝浦の手前を右折、今度は急激に山の中へ入っていく感じがする。那智の滝の入り口で運良く無料駐車スペースを発見。さっそく滑り込みセーフで車を止めることが出来た。まずはそこから古い参道を登り始めたのだが、これがけっこう距離があり、結果的に駐車場代分の体力を使うことになった。途中那智の滝の遙拝所があったのだが木が繁ってあまり滝が見えない。こういうものなのか隠しているのか、どっちだろうなどと思いながら那智大社にたどり着く。なかなかいい参道だった。途中レンタルの中世の衣装を着たカップルが降りてきた時は笑っちゃったけど。
 このあたり名所なだけあって観光地の雰囲気が強いが、滝はさすがに神々しい。下りは土産物店などが並ぶ石の参道を降り、物見遊山と信仰がブレンドされた熊野を味わう。これが日本なんだよな、ナイアガラの滝じゃこうはならないだろうな、などと行ったことのないところと比較したりして。しかし、ここはお年寄りとかどうやって参拝するのだろう。裏道があるのかしら。修験の地だから体力ないとだめっていうのでもいいのか。などと思いつつ、昼飯を思案。鯨を食べたい気もするが、一人じゃ淋しい。このあとしばらくは旅館の料理と弁当だろうからなあなどと思いつつ車を走らせる。マグロも捨てがたい。海岸に出たところで「回転寿司」の看板を見つけ、気楽そうなのでそこにする。マグロの他はなるべく北海道にないネタをつまんで新宮へ戻った。
 熊野速玉大社は新宮の町の中にある神社で、その分南国的な雰囲気がした。本宮のJFAのお守りは青だったのに、ここでは白いのを売っていた。ここはアウェイなんだろうか。つい買ってしまう。それから狭い道を迷いながら神倉神社へ。ここも町の中である。駐車場もなさそうなので路上に駐車。ひっそりとした神社なので参拝者も少ないのだろう。石の参道を歩き始めたのだが一段一段が高い。きつい。こりゃまいたっと思いながらたどり着いたのが有名なゴトビキ岩である。考えてみればこれまで見たこの石の写真は見上げているものがほとんどで、山の中腹にあった。ここまで行くのだから参道が山道なのももっともな話である。これなら参拝者が少ないのも納得。この時は僕の他は二人かな。那智とはえらい違いだ。
 降りてきたらけっこう疲れちゃったけど、メンバーが着くにはまだ時間があるので地図を見て神社をいくつか回る。王子ヶ浜という海岸に出たらとてもきれいな海岸で「ウミガメが産卵するので汚さぬよう」という看板があった。なるほど、ウミガメが来そうな海岸である。靴を脱いで海に入り禊ぎのつもり。そしてミネラルウォーターのボトルに海の水を入れた。これは今回の祭壇に使ってもらおう、というわけである。太鼓のバチに使えそうな流木の枝を二本いただき、レンタカーを返しに駅へ戻った。
 昨日乗ったのと同じ電車で着いたメンバーと合流してバスに乗り、再び熊野へ。今回ゲストのOKIもいる。OKIは家に遊びに来たこともあるし、アボリジニのバンドWAAK WAAK JUNGIの札幌ライブを手伝ったりした仲だが一緒に演奏するのは初めてである。それと久しぶりの木津茂理さん。民謡界で生きながら僕らとも一緒に演奏が出来るという貴重な存在で、もちろん歌も素晴らしい。そしていつもの皆川さん、鳥居さん、浜口さん、高遠さんに細野さんである。細野さんはかっこいい帽子をかぶって相変わらずおしゃれ。運転していないと景色がよく見える。熊野川の河原の広さに驚き、滝をいくつも見つけた。
 宿に入る前に会場の大斎原を見に行く。舞監のミックさんなどスタッフと挨拶。ミックさんは舞監としては白山でのレインボー2000以来の再会かも。当日雨が降らないことを祈りつつ川湯温泉の宿へ。夕食はこの日だけはスタッフと一緒に大勢でとった。途中、おみやげや差し入れが届き、その中には日本酒もあったので、さっそく「よろしくおねがいします」と一同にふるまって回った。
 今回の部屋は細野さんと東君と相部屋だったので「Stella」の練習をしたりする。ウクレレをコード進行に合わせず同じ音を弾き続けた方がいい、ということや、間奏でオルガンを弾くことなどがその場で決まっていく。オルガンがないので「口オルガン」で指は弾いたふり。細野さんが「うんうん」とうなづく。しあわせなひとときである。この晩はこの部屋にみんな集まってきてなごんだ。
 18日。この日の夜に会場でリハーサルなので昼間はメンバーそれぞれ熊野古道を訪ねたりの過ごし方をする。僕は寝坊をしたし、ひたすらのんびりと過ごした。天気がよく、また休日ということもあって河原に湧く温泉に入ったり泳いだりする家族連れが多い。まるで夏休みのようだ。僕もちょっとだけ河原を掘った温泉に入ってみる。
夕方会場入り。ステージには大きなテントが乗っかっていて後ろには雨よけの透明ビニールが張られる。ガムラングループと共用なのでステージは狭い。そして今回は特別な演奏だということで、いろいろ楽器を持ち込んだのでもう大変である。でもこの段階でも「手抜き」はできない。「三上君、あの楽器はある?」「すいませーん、今回持ってきてません」なんてことがよくあるので、使われないかもしれない楽器たちも連れてきたのだ。太鼓の台は組み立てなきゃいけないしセットに時間がかかるたらありゃしない。リハは順調に進んだが、細野さんが「Stella」をもうひとつ歌いにくそうで、モニターのせいかなあ、と首をかしげる。前の晩には問題なかったのだが…。
 リハを終えて明日も雨が降らないように願いながら宿に帰る。食事が済んだ後、部屋に戻ってから細野さんが「Stella」のキーを上げてもいいかな、ということで、鳥居さんにスリンを持ってきてもらい、キーの合うのを探してもらう。スリンはガムランに使う笛なので音階は西洋音楽ではない独特のもので、ガムランの時も曲にあわせて持ち帰るらしい。今回も鳥居さんはアタッシュケースみたいなのにスリンをたくさん入れてきていて、その中からなんとか合う笛を選んで使っているのだ。結果的にスリンはキーを上げた方が吹きやすいと言うことで一件落着。この日は浜口さんたちの部屋が居酒屋となり、川湯温泉の夜は更けていった。
 19日。当日の朝、雨が降っていた。どうせ降るなら早めに降って上がって欲しいという感じである。昼前に連れ合いのめぐるが宿に着く。今回は祭壇作りのスタッフとしての参加である。これまでも伊勢に作りに来たりしていたが、最近は材料と設計図(?)の指示のもと、僕が作ることがほとんどだったが、今回は大事なステージだということで札幌から駆けつけてきたわけである。
 午後に会場入りしてリハをする。この頃には雨もやんできて少し気温が上がり蒸し暑い。ステージの後ろのビニールをはずしてもらったら風が通って少し楽になる。キーを上げた「Stella」は歌いやすくなったようで一安心。もろ君へ捧げた歌をぜひ熊野で歌って欲しかったのでよかったよかった。
 リハ終了後にメンバーは役場にある控え室へ行ったが、めぐるが祭壇を作っているし僕は少し残った。この間に「雨は降らない」と判断されテントがはずされる。後から遅れて控え室に行きみんなにテントがはずされたことを報告。一同、「音が変わっちゃうな」と心配する。
 予定通りに午後6時に記念式典が始まる。知事や大臣の挨拶などがあり、客席の前の方には役所関係者らしき、ネクタイ、背広姿の人たちが占めていつもとずいぶん違う雰囲気である。巫女舞や天川村から来た「行者神楽」の奉納があった後にガムランのシダカルヤから記念ステージが始った。
 もともと熊野本宮があったこの大斎原に残された石の祠からバリをイメージした細野さんが、ガムランを入れることにしたのだが、この場所でのガムラン演奏は隠れていた精霊たちを呼び起こすような響きが確かにあった。シダカルヤの演奏の中に高野山の声明グループとのジョイントが入る。もともとは僕らと一緒にと言う話だったのだが、早く帰らなくてはならないとかで最初に出るシダカルヤとのジョイントになったのだ。
 声明はここのところ人気が出て、いろんな分野の音楽と一緒にやることが多いようだが、基本的に声明が他の音に合わせて変化することはないので、やることはいつもおんなじ。声明の人たちにとっては重なる音は何だっていいのである。だから、ジャズと合わせたりとかいろいろやっているのだが、音楽的に良かったためしがない。でも、今回のガムランとのジョイントはリハーサルで細野さんのプロデュースが良くてこれまでにない良い組み合わせになった。それは、「一発ガーンっていうのでいいから」という細野さんの指示で声明のバックとして時折ガムランの音をオーケストラヒットみたいに入れるだけにしたからである。だから基本的には声明をガムラン楽器を使ってより良い音楽にした、ということだろうか。バリヒンズーと真言宗は違う宗教ではあるが、宗教音楽というところで相通じる部分があるのだろう、うまく合っていた。バリにはちょっと仏教がかぶさっているしね。声明のいろんな組み合わせを見てきたという木津さんに「これって今までにない、いいケースじゃない?」って訊ねたら「これまで見た中で一番いい」と言っていた。さすがは細野さんである。
 さて、いよいよ本番。観客席の後ろの方にある石の祠での雲龍さんからの笛で奉納演奏は始まった。ここが大事だからここから始めるというのも細野さんのプランである。そして細野さんが太鼓でそれをサポート。僕らの即興演奏がはじまると二人は歩いてステージに戻って来るという段取りだ。歩き始めたら細野さんのまわりで拍手が起きていた。終わったと思っちゃったのかもしれない。
 ただ記念のステージなら誰にでも出来ることだが、こういうやり方が出来るのは日本でも細野さんだけだろう。大事なところをきちんと押さえて先祖や土地の精霊など、目に見えない世界へもちゃんとつなげているのだから。
 即興演奏が終わるとそのまま「思い草」へ。この曲はアルバムの中ではシンセの音に乗せて歌っているが、ライブではずっとウクレレと歌でやってきた。即興なので毎回違って弾けるのがうれしい。モンゴロイドユニットとしてもやりやすい曲である。
 細野さんのMCがあってメンバー紹介があり、ゲストのOKIを呼び込む。この場にアイヌの音楽を持ってくることにしたのも細野さんのプランで、深いところで直感するものがあってのものだろう。OKIの曲は「ススリウカ」と「カイカイアシトー」。「カイカイアシトー」はよく知っている曲なのでオルガンでボーカルの合間にフレーズを入れてみた。
 その後は雲龍さんの「天平の笛」。復元したというまさに天平の笛での、ほとんどソロの演奏である。そして細野さんの歌う「バースデーソング」。湿気のせいかギターのチューニングが狂っていて、細野さん、だいぶ苦労していたようだ。そして案の定、テントがなくなって音が変わり、これもやりにくかったみたい。高遠さんも困っていたようだ。
 続く「ひねもす」は今回、シークエンスフレーズをオルガンでやることにしたので、ちょっとにぎやかな感じになる。細野さんのベースもビートが利いたファンキーな感じでうれしい。そして今回楽しみだった曲が木津さんの歌う「越後松阪」である。最初は熊野あたりの民謡が何かないだろうかということで選曲が始まったのだが、ふさわしい曲がなく、おめでたい曲ということでこの曲になった。東京のリハでは三味線の代わりをギターで出来ないかという声が上がったんだけど、僕はそれをオルガンでやりたかったので提案したら「うん、オルガンの方がいいだろう」と細野さんのGOが出てオルガンでやることにする。これはアルバムやライブでもアプローチしているやり方なので木津さんの歌でそれができるのが嬉しかった。僕としては民謡が広くアジアな感じに広がったと思っている。
 そしていよいよ「Stella」。細野さんの静かなギターから始まり、僕のウクレレを重ねていく。思わず空を見上げると星が出ていた。いつもこのグループで一緒だった福澤もろ君のことを思い出したら涙が出てきて、ほんとうに泣きそうになってしまった。即興演奏で思わぬ展開にゾクゾクすることはあるがステージで泣きそうになったのははじめてだ。泣いちゃっても良かったんだろうけど、気を取り直して演奏を続けた。
 「Stella」が静かに終わり、最後にシダカルヤやOKIと一緒に派手に短く、ガムランの曲をやってステージ終了。何とか無事に演奏を終えることが出来てみな満足そうな顔。テントに駆け込み、缶ビールを開けてのんべだけでまず乾杯。そして僕には地獄の楽器片づけが待っていた。しまい方があるので人にまかせられないところがつらい。高遠彩子の楽なこと。
 宿に帰って10時半から大広間で打ち上げ。「つまみくらいしかないから」ということだったので弁当を食べずに持っていったら、なんと立派な夕食ではありませんか。夜遅くに対応してくれるなんてなんていい旅館なんだろう。弁当は二次会のつまみにする。で、その二次会もそこそこに僕は布団にもぐりこんでしまったらしい。細野さんは一人で川の温泉へ行ったようだ。あとで聞いた話によると盛り上がった部屋から「三上を呼べ!!」と呼び出しがかかり、高遠さんが呼びに来たらしいけど、あんまりカワイイ顔して寝ていたから起こさなかったと言っていた。どんな顔だったんだろう。
 翌日二班に分かれてメンバーは新宮から名古屋経由で帰ったが、僕はめぐると京都の友人の車で「出会いの里」に寄ってから南紀白浜の「南方熊楠記念館」を訪ねて、京都へと向かったのだった。
 今回の熊野の演奏はいろいろ思い出深いものになったが、なんと言ってもご苦労様だったのは細野さんである。終わった後に「終わった終わった!!もう忘れる!!」なんて言っていたが、雨が降っても自分のせい、と思うくらい責任を感じていたらしく、かなりのプレッシャーだったようだ。降らないで良かったとあらためて思う。降っちゃったら高野山の坊さんたちや熊野修験の人たちの法力が足りないということになるし、みんなもホッとしているだろう。あと、やはり面食らったのは客席の前の方が背広の役人みたいな人ばっかりだったことのようで、こういうのはたぶん長い細野さんのキャリアの中でもはじめてだったかもしれない。ホントにお疲れさまでした。(三上敏視)
写真の一部は高遠彩子撮影
 
   

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