「おひらきまつり2004」報告

 今年も伊勢・猿田彦神社の「おひらきまつり」は雨と共に行われた、現場スタッフは大変だが我々はもうすっかり雨には慣れて共存できるまでになり、雨の中でも楽しめるようになった。雨の中やってきたお客さんもリピーターはもう動じない。ちょっと難儀な思いをしてこそいい場面に出会えるというのは僕の神楽探訪で得た境地だが、お客さんももう、そんな感じかも。晴れてもっと人が来て欲しいことは欲しいが、なんか自然な「会員制」という雰囲気が出来上がっているのかも。という感じの2004年、申年の「おひらきまつり」の個人的報告である。
 10月1日。大阪より事務局の和泉、臼井両氏と一緒に伊勢入り。事務局用のレンタカーで神社に着く。お参りをしてから会場となる御神田に行くとそこにはいつもとは違うステージがあった。丸太を組んで小屋の骨組みが出来ているのだ。これは今年、神楽を奉納してくれる奥三河の「花祭」のために作った臨時の「神楽殿」のようなものである。
 「花祭」は湯立の釜のまわりで舞ったり歌ったりするにぎやかな神楽で、見ている観客もその構成要素になる。だから雨天のため会場を拝殿に移す、ということはやりたくなかったのだ。ずっと僕は「花祭」をよそで再現するのは大変難しいから呼べないと言っていたのだが、宮司さんのたっての希望で来てもらうことになり、それなら中途半端は出来ないから会場も雨が降っても大丈夫なようにしっかりしたものを作って欲しいと、制作段階から注文をいろいろ出し、現地にも打ち合わせに行ったりしていたのだ。飾り物も多いしいつも使っているテントではだめなので、小屋を作ったのである。
 舞台はなかなかいい感じで一安心だが、心配なのは釜である。猿田彦神社に湯立の神事があればよかったのだがないらしく、用意してもらったのは一升炊くくらいの羽釜で、これには困ってしまった。職員の川端さんに「これじゃあ小さいので、何かないですか。こうなったら大きなボウルでも鍋でもいいから」と訊ねると「ボーイスカウトの炊き出しに使う釜があったはず」というのでさっそく物置に見に行く。そしたらなんと、バッチリの釜があるではないか。五徳も探すと、釜で料理をする時のドラム缶を切ったようなストーブがあるではないか。ちょっと煙突がついているのが気になるが、贅沢は言えない。これなら花祭の人も使ってくれるだろう。まずは安心してホテルへチェックインした。
 ホテルの向かいにいつもメンバーのみんなが買い出しをするスーパー「ぎゅーとら」があり、「伊勢に来たらぎゅーとら」という行動パターンになっていたのだが、それがなんと「EDDY'S」と名前が変わっている。キャラクターの虎君はそのままなのでおそらく名前だけ「今風」にしたのだろう。残念だ。さらば「ぎゅーとら」である。
 これは話題になるなと思っていると東京からのメンバーが到着。いつものように夕食を食べに隣のホテルの和食屋へ。このあとはずっと弁当が続くのでこの夕食も毎年の楽しみのひとつである。例年だと一年ぶりに会うメンバーもいて、近況を報告しあったりするのだが、今回はつい二週間前に熊野で一緒だったのでなんだかヘンな感じである。場所も近いし。そして食事をしながらどんな演奏にするかのミーティングもする。今回はもう熊野でたっぷりと演奏しているから、今回はそれをもう一回という感じでサラッとやるのかな、と思っていたら、あにはからんや、細野さん「同じことはしたくない」と言う。えらいなあ、とっても前向きである。見習わねば。
 さて、食事が終わったら皆「旧ぎゅーとら」で買い出しをして一旦部屋に戻り、神社へリハをしに向かう。神社へ行き、リハの前に会場へ行って神田山陽の講談で使う映像の確認をする。使う予定のスクリーンは水に弱いので雨が降ったらまた別の方法を考えなくてはならないのだが…。
 リハーサルの部屋では楽器のセットが終わって各々なんとなく音を出し始めたのだが、雲龍さんがインディアンフルートを吹き始めたので僕がそれに重ねて太鼓を叩いていたら細野さんから「その感じいいなあ、最初の即興はそれで行ってみようということになる。構成もいろいろアイデアが出て、途中からモツさん主導のリズムに変えることにしたり、まるでバンドのようだ。ここ数年、こういう時間が増えてきてとても楽しい。
 さて熊野に続きここでも「Stella」をやることになったが、熊野ではウクレレで弾いていたパートをオルガンでやってみようと細野さんからアイデアが出て、オルガンにする。やってみるとこれもなかなかいい。最後の曲にするのかなと思ったが、今回はこのあとにも何かやりたいということになり、いろいろ意見が出たのだが、結局最初の即興の風味を変えてリプライズ、ということになった。これもなかなかいい。新鮮な演奏が出来そうで楽しみだなあ、と思いながら宿へ帰った。  10月2日。午前中ははいつものように伊勢神宮内宮参拝。朝から雨が降っていて、毎年傘をさして参拝しているような気がする。参拝が終わった後は恒例の「伊勢地ビール」のはずが、「おかげ横町」のビール販売が早々と店じまい、がっくりする。「まだ昼前じゃん!!」。あわてて「おはらい町」の通りに戻って生ビールを探す。瓶ビールは売っているが生は意外と少ないのだ。やっと一軒発見して一息つきつつキュッとやる。やはり美味いぞ伊勢の地ビール。モツさんも満足。「おかげ横町」だと飲まない人は飲まない人で他のものをゲットして一緒に楽しめるのだが、今回は飲んべ組だけでちょっと淋しかった。
 のんびり楽しみたかったおかげ横町だが、そろそろ「花祭」の人たちが来る頃なので一足先に猿田彦神社へ行くと一時頃に花祭の人たちが到着。会場にやってきた。見覚えのある人ばかりだけど、花祭でしか見ていないから、伊勢で見るのが不思議な感じがする。これはおひらきまつりに神楽を呼ぶようになってから毎度のことだけど…。布川だけでなく月の人も来てくれているようだ。
 早速舞処作りがはじまり、仮設の舞台に榊や笹が着けられ、天井には「湯蓋(ゆぶた)」と呼ばれる天蓋や「花」と呼ばれる飾り物が吊され、注連縄には「ざぜち」と呼ばれる切り絵が飾られていく。呼ばれてばかりだな。これが東西南北で色が違うし「ざぜち」を張る順序も違うのだが、いつもの場所ではないので逆に付けてしまい、やり直したりしていた。これを仕切っているのが「花太夫」と呼ばれる尾林良隆さんで、祭主という立場だろうか、リーダーである。屋根を作っていないので雨のためのブルーシートを乗せているのがちょっと残念だが仕方がない。シートを留めるための杭をスタッフが打っていたのだが上手く打てず、見かねた花祭のおじさんのひとりが「ワシにまかせろ」と槌を振る。うまい、さすが山の人である。
 時間がかかったが舞台は無事に出来上がり、モンゴロイドユニットのリハーサルに移る、花祭の飾りの下に楽器をセッティングするのはヘンな感じだが面白い。リハの頃が一番雨が強かっただろうか。
 神事から始まった今年の「おひらきまつり」。今回は猿回しがあるのでいつもより開始時間が早かった。暗くなるとやりにくいし、猿は火を怖がるようなので明るいうちからはじめたわけだ。雨も上がって始まった猿回し。今回伊勢に来たのはあの有名な反省ザルの次郎を生んだ周防の猿回しだが、来てくれた村崎修二さんの「猿舞座」は猿を叩いたりしてしつける猿回しではなく、猿の機嫌次第では芸が出ないかもしれないという"自然派?"の猿回しだそうで、これが本筋らしいが日本ではもうなくなりかけているやり方らしい。それでストレスがないせいだろうか猿の安登夢(アトム)くんはやたらに毛並みがきれいだ。
芸が予定通りできないかもしれないということで村崎さんの語りがすごい。語りだけでも面白いのだ。高いとこに登ったくらいじゃ、「これは本能です。芸じゃありません」などと動物学的な根拠を交えながら面白おかしく語ってお客さんを引きつけつつ、猿が芸をするようにし向けるのだ。村崎さんはかつて岡林信康、高石ともやといった人たちと共にフォーク界にいたらしく、今でもつき合いがあるようで、エンケンから「すごいいい人だから」と聞いていたのだ。エンケンと話をしている時に何かの拍子で猿回しの話になり、すごく面白い人がいるということだったのだが、それがあとから村崎さんのことだとわかり、「よろしく言っておいて」ということになったのだ。
 さてその猿回し、地面の虫に気を取られたりしたが、なんとか安登夢くん、芸をやってくれて、最後には初めて挑戦するという柱の上に直立する「御柱」を見事成功させてやんやの喝采を浴びたのであった。
 そしていつもの日の暮れるあたりに我々、モンゴロイドユニットの出番がやってきた。祭壇は熊野に続いてここもめぐるが直接作りに来た。前の日のリハで作ったインディアンフルートから始まる即興演奏からはじまったのだが、演奏が楽しくって自分の頭の中にあった段取りを忘れてしまい、ディジュリドゥーを少ししか吹けなかったのが心残りだった。最近は奉納演奏以外ではあまりディジュを吹く気にならないからである。そして曲は「思い草」、「バースデーソング」、「天平の笛」、「ひねもす」、「Stella」と続き、即興の別バージョンでしめくくった。だいぶ中味は変えたとはいえ二週前に熊野で演奏していたから今回はいつもより余裕があったかな。
 モンゴロイドユニットが終わると次は神田山陽だ。去年の猿田彦大神フォーラムの研究・助成に表現の部門で応募し、一席になったのでその発表をするのである。そして都合良く僕もいるので手伝うことになって、今回のためにふたりで夏から準備をしていた。そして彼が映像を作り僕が音を入れて作ったビデオを事前に提出していたのだが、直前に編集し直して来たビデオを使いたいということでほとんどぶっつけ本番状態となった。神田山陽は最後まで手直しをすることが多く、それは少しでもいいものを作ろうとする彼の性癖であって、活弁の「雄呂血」の時もギリギリまで手直しをしたものだった。
 それでもどうなることやらと心配しつつ衣装を替える。山陽とおそろいの赤い着物、アディダスみたいな三本線の入ったやつである。落語の仲間と作ったプロレス団体みたいな名前のSWA(創作話芸アソシエーション)の衣装でもあるのでスポーツのユニフォームみたいに作ったらしい。芸人さんたちはけっこう着物に凝ってオーダーメイドで着物を作るが、今回の彼のはかなり伝統から逸脱したデザインで、背番号入りとかイラスト入りとかいろいろ作っている。講談界を背負いつつ講談を破壊しながら進む神田山陽ならではのものである。
 僕は山陽の語りに即興で太鼓を重ねていくのだが、まずは山陽先生一人で登場、さっそく舞台から降りて「客いじり」をしつつ、自分の世界に引き込んでいく。ふだんの高座も「枕」をしゃべりながらお客さんの顔ぶれや雰囲気を見て演目を決めるわけだ。子供もいてほとんどのお客さんが神田山陽初体験のようなので、ここでは典型的な講談のスタイルを紹介しながらの「入門パターン」をしていた。
 そして僕が呼び込まれていよいよ神田山陽版「猿田彦」の上演である。しかし、急にビデオを差し替え、しかも中味を短編集としたためにビデオを止めながらやらなくてはならない。相変わらず無理難題の神田山陽だが名古屋から得三のハヤシが来ているので彼女が急きょビデオ係となる。彼女は「雄呂血」の関西ツアーで大活躍、照明などで我々を救ってくれたので今回も頼んじゃったのである。しかしこれは彼女にとってもぶっつけなので、なかなか映像が出なかったりとビデオが思いどおりには使えなくて苦労の連続であった。そんなに寒い日ではないのに山陽の坊主頭から湯気が出ていて面白かった。
 太鼓を叩いているとお客さんの笑い声などがもうひとつわからなかったが、かなりうけていたようで大爆笑も何度か出ていたようである。
 しかしフォーラムの関係者の評価はイマイチだったようで、翌日のミーティングでは不満の声も聞こえた。出来はどうだったかと聞かれたので、ビデオがトラブったことなど「よくなかったですね」と答えたのだが、関係者は「猿田彦の勉強が足りない」とか「映像が安っぽい」とか「講談になっていない」などの意見が出て、お客さんとの関係で作り上げていく「話芸」のことはまったくわからなかったようだ。昔からの講談スタイルで「猿田彦物語」を神田山陽に求めても「破壊」しているんだからゴメンナサイである。あくまでも神田山陽は芸能であって芸術や学問じゃないわけなのだ。映像はたしかにお金をかけたものではないが十分に作品になっていたし、神田山陽のセンスの良さが随所に出ていて、僕は音をつける時に感心して見たものだ。現場では子供も楽しませなけのゃならないのね、芸人は。ギリギリまでいいもの作るためにジタバタともがいていたんだから。
 さて、そのいろいろあった神田山陽が終わるといよいよ「花祭」である。時間がないので赤い着物のまま、簡単に紹介したのだが、へんな光景だったろうな。スタートで湯釜に入れるお湯がなかなか来なくてじりじりしたが、「湯立」から演目がスタートした。この「湯立」は舞の演目ではなく、現地の花祭でも一般のお客さんがまだ集まらない頃にやる神事である。でも舞だけでは神楽としての意味が薄れるので、特別に御願いしてやってもらったのである。花太夫の尾林さんが湯釜の前で唱えごとをしながら印を結んだり、九字を切ったり、笹で湯をかき回しながら何やら字を書くようなおまじないをしている。いろいろな神様たちを招いて、場所を祓う神事なのである。
 そして、「四つ舞い」、子供の舞の「花の舞」「翁」、鬼の舞の「榊鬼」と舞が続いていった。花祭は「せいと衆」と呼ばれる観客と一体になって作られる珍しい神楽なので一緒に騒いで欲しいと頼んでいてもなかなかお客さんは見ているだけで盛り上がってくれない。どうしていいかわからないのだから仕方がないのだが、ここはひとつ酒でも飲んでもらわなければ、と神社から御神酒を出してもらってお客さんにふるまって歩いた。現地でもそうやってふるまっているのである。次第にお客さんも慣れてきたようで、舞台の下では体を動かす人も増えてきた。お囃子のおじさんたちも「みんな上がればいいのに」と言っている。中でも一番熱心に振りを覚えて舞っているのがスタンダップコメディアンの寒空はだか君。はだか君はクリコーダーカルテットをバックに「東京タワーの歌」というCDを出している知る人ぞ知るお笑い芸人である。最近またCDを出したのだが有望若手芸人を見出すことに定評のあるざぶとん亭ばばさんが誘って来ていたのであった。タイミングを見てはだか君を舞台に上げたら、その舞の上手なこと。おじさんたちも「こいつは上手いだに」みたいなことを言っていた。寒空君が口火を切った形で何人か「せいと衆」が出てきて最後にはかなりの数の人が舞台で一緒に舞ってくれた。後から「まるで地元でやっているようだった」とおじさんたちから言われた時は嬉しかった。
 お客さんに御神酒をふるまいつつ、自分はバーでバーボンなんかを飲んじゃったので終わった頃はさすがに出来上がり一歩手前状態。神社内での簡単な打ち上げで花祭ご一行に感謝。自分では「呼べません」と言っていた「花祭」がうまくいっちゃったんだから感激である。そして猿回しの村崎さんとエンケンの話などで盛り上がる。ホテルに戻って「カフェ東」でしばし歓談、自分の部屋に戻ると神田山陽、得三ハヤシグループ、はだか君などで、とどめの酒盛り。珍しくつぶれて人でなしになったのであった。
 それでも翌日はヒミツのサプリメントのおかげで二日酔いになることもなく、昼の奉納演奏をつとめることが出来た。今年の拝殿での奉納演奏は細野さんのプランで笛系のドローンを主体にすることになり、皆川さん、鳥居さんのスリンをベースにとてもいい演奏が出来た。今年の細野さんのプロデュースはまことに絶妙!!来年がまた楽しみになったのでありました。(三上敏視)  

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