隠岐島前神楽

 今年の隠岐は焼火(たくひ)神社の祭典で行われる島前神楽を見学するのが目的だった。昨年は焼火神社が改修中で、同じ島の由良比女神社のお祭りで奉納された島前神楽の一部を見たのだが、その一部が素晴らしかったため、もっと見たいしみんなにも見せたいという気持ちが強くなり、猿田彦神社の宇治土公宮司や細野さんと一緒の猿田彦大神フォーラムの小さなツアーとなったのだ。
 というわけでこれはニューオリンズやバリのような同行記ではない。どっちかというと今回は細野さんたちが同行してくれて、僕はツアコンなのである。
 7月22日に伊丹空港に集合して隠岐にはお祭りの前日に島後に入り、島後を視察(観光)したあと島前入りする予定だったが、あいにくの強風で隠岐へ飛ぶ飛行機は欠航、急きょ出雲行きに変更して出雲から七類港へ行き最終便の高速船に乗るコースに挑戦する。細野さんは「うん。隠岐に行くのにはやっぱり出雲を通って行くべきだよ。このほうがいい。」と早くも納得の様子。空港では出雲行きが出るまで少し時間があったので飲酒組は午後も早い時間だがさっそく立ち飲み状態に突入、お酒を飲まない細野さんはベンチでパワーブックを広げて何やら作業中。のぞいたら「見ないで !! 」っていう感じのリアクションだった。何をしていたのかな。
 伊丹からジャンボタクシーを手配していたので出雲に着くやすぐに車に乗り込む。運転手さんが言うことには七類の出航に間に合うにはギリギリとのこと。最近取り締まりが多いと言いながらかなり飛ばし、裏道を駆使して松江を抜けて走った。車の中で退屈なので最近の「旅の友楽器」のウクレレで遊んでいたら前の席の細野さんが「ちょっと貸して」と言ってウクレレを弾き始めた。けっこうコードワークなんかして手慣れた様子。後からわかったのだがティンパンのレコーディングでウクレレを使ったようだ。
 なんとかギリギリで間に合うペースで七類に近づいたため、港に「とにかく行くから」と電話を入れてみたら、波が高くて高速船も欠航と言われてしまった。結局この日に隠岐に入るのは不可能となり、美保関に泊まることにして事務局の臼井嬢が素早く宿の手配をする。この日のスケジュール変更など、旅の細かい作業は全て臼井嬢の手慣れた仕事ぶりでクリアされ、ツアコンのつもりの僕はただのお客となってしまった。美保関の宿も数年前に訪れたデータを持っていて「食事が上手い」宿を素早く押さえてくれた。
 夕方とはいえまだ明るい美保関に着きチェックイン、静かな港を散歩する。風はあるが天気はすごく良くて快晴。夕陽がまぶしくて隠岐に行けなかったのが信じられない。でもこの港は中海に面しているので外海とは全然違うらしい。飛行機がYS-11だし、隠岐に降りるのがむずかしかったようだ。波が高いので高速船は欠航だったが、普通のフェリーは通常通り動いていた。今回細野さんの誘いで中沢新一さんも参加なのだが、中沢さんは単独で隠岐に入り島後で合流することになっていて、どうやらフェリーを使ったらしく、我々が当初泊まる予定だった島後の宿に入ったということだ。宿では次々と海の幸が出てくる食事を堪能した。
 美保関というと美保神社である。ここはお祭りとかに関係なく、毎日朝夕、巫女さんが神楽を奉納しているという神社で、是非巫女舞を見てみたかったのだが神社に問い合わせてみると、美保関に着いたときには神楽は終わっていて、翌朝は神楽の始まる前に出発しなければならず、今回はお預けとなった。こういうときは「また来れるということですよね」といつも解釈するのだ。
 さて、翌朝は七類からフェリーで直接島前入りである。島後に行けなかったのは残念だが「また来れる」と解釈して船に乗り込んだ。二等で乗ったが夏休みと、欠航の影響で大変混んでいるため一等に変更する。個室ではないがすいていて静かなので助かる。一枚30円の自己申告の毛布を借りてみんなうたた寝をしながら隠岐へと向かった。

 西ノ島の浦郷港に着いた我々はレンタカー二台に分乗して、とりあえずこの日泊まる宿に向かい、一足先に島後から移動してきた中沢さんと落ち合った。細野さんも中沢さんも意外に隠岐は初めてという事である。宿は焼火神社のある焼火山の麓なので中沢さんは早速、徒歩で神社へ行って来たらしい。神社までは一時間以上かかったらしいが「とてもいい神社だった」と元気いっぱい。前日は船で知り合った島の人の家に遊びに行ったとかで、我々と会わなくてかえって良かったようである。
 焼火神社のお祭りは夜遅くに行われるので、少し観光をする。国賀海岸という断崖の風光明媚なところへ行ったが、すごい強風だった。風に向かうと息がしづらいくらいで台風を思い出す。これじゃあ飛行機は降りられないわけだ。これだけ風が強いとみんなヘラヘラするだけで、細野さんは風に向かって前傾姿勢になって遊んでいた。
 その後は中沢さんリクエストで黒木御所という後醍醐天皇が流されてきたときの在所後を見学した。小さな資料館があってその頃の様子を描いた絵などが飾られている。小高い山の上に建てられた小屋のような所で、さぞかし都から来た天皇はわびしい思いをしたところだろう。中沢さんは女性スタッフに気さくに声をかけ、「後醍醐天皇のご落胤の話ってあるんでしょ」と水を向ける。
「さー?」とか言っていたがそのうち「実はたくさんいたようだ」みたいな話になっていって、中沢さんの話術に関心。この調子でかつて「観光」をしていたのだなと思うと面白かった。このあたりで中沢さんが「焼火神社の宮司って何歳くらい?」と聞いてきた。鎌田東二さんと國學院で同期ですよと言うと、「ひょっとしたら学生時代一緒にお祭り研究をしていた奴かもしれない」と言い出して、「たしか隠岐に帰るとか言っていた」などとだんだん思い出してきたようだ。

 宿で夕食をとり8時過ぎに出発。山道を途中まで車で上がり、残りは10分ほどの山道を登る。ライトがないと真っ暗な道だが、ところどころで蛍が光る。蛍は水辺にいるものだと思っていたので山道にいたのは意外だったが、こういう種類の蛍もいるのだろう。細野さんはマイペースでゆっくり登ってくる。先に神社に着いていた中沢さんは松浦宮司と懐かしげに話をしている。やっぱりその人だったのだ。なんだかすごい縁である。焼火神社は焼火山の中腹にあり、本殿の半分が岩の窪みに入るように建てられている、もともと神仏習合の古い神社で、船の目印となっていたということだ。今でも隠岐のフェリーは焼火神社の前を通るときに敬意を表して汽笛を鳴らす。
 9時から神社のお祭りが始まり、神楽衆が祭典の伴奏をする。ここの神楽には笛がないのでリズムだけの楽でのお祭りは珍しい。やがて神楽から「神途舞」が一番奉納されたが、この舞が長老の舞で、しなやかかつ気の張りつめた素晴らしい舞で、このあとの社務所での神楽への期待が高まった。
 本殿の修復とともに社務所も改築して半分の大きさになったらしいが、それでも小さな旅館くらいの広さはありそうだ。その社務所の宏間に天蓋がつけられそこで神楽が演じられた。後ろに幕が張られ、舞手が幕から出入りするところは山伏神楽のようだ。楽が左右に陣取るので実際に舞うスペースは四畳半くらいだろうか、この狭さの中で今度は若手による「神途舞」から始まり、巫女舞や猿田彦の「先祓」「湯立て」「随神」「切部」などの躍動的な舞が次々と繰り広げられた。かつては神がかりもあったという神楽だが今はもう見られないそうだ。神がかりは明治になって一斉に禁止されたもので、演目もこの時に国家神道寄りに改編したところが多いようで残念なことである。日本のシャーマニズムがここでずいぶんと消えたことだろう。形式だけを残しているところで時折、本当の神がかりになったという記録も残っているが...。今回の島前神楽では神がかりに関係していた演目は行われなかったが、それでも舞の動きの中にシャーマニズムの匂いを強く感じた。

 祭典の中で素晴らしい舞を見せてくれた長老は中沢さんというらしく、中沢さんは大喜び。ここでも「湯立て」で年齢を感じさせない舞を見せてくれた。なんだか今回の神楽ツアーは中沢さんのためにあったような感じである。
 この神楽はかつては夜通し舞われていたらしいが、今回は二時間ほどで終わり、皆の口から「是非夜通しで見てみたい」という声が上がった。あとから聞いた話では、今回の神楽は当初「ひさしぶりにちょっとやってみるか」という感じだったらしいが、島外からの客もいるという事でかなり気合いの入った上演となったらしい。歌も古さを感じさせて興味深く、ビートのきいた楽には神楽では珍しい四分の三拍子も混ざり、細野さん、中澤さんも驚き、また喜んでいたようだ。「島前神楽はいい」と一年間騒いで皆を誘った甲斐があったというものだ。
 帰った後、中沢さんからメールをもらった。「芸能の一歩手前にあって、シャーマニックトランスから半歩だけ見せるもののほうへ歩み出た状態が、なにかの条件で保存されてしまったよう」という見方は全く同感で、この貴重な神楽が少しずつでも先祖返りしてもらえないものかと思ってしまう。またこの時撮影したビデオを、気功家で世界の聖地を観気巡礼している出口衆太郎氏に見てもらったところ、やはり祭典での長老による「神途舞」に「気の練り」を感じたそうで、「いつも神楽を見て感じることは、あまりに自分が育った感覚と異質だということです。それは日本人の舞いというより、バリの仮面舞踏トペンやチべット密教の舞踏に近いものを感じるからです。日本人はあまりに日本的なものから遠ざかってしまったようです。」という感想を送ってくれた。
 自分自身でも(辺境の)神楽を知ってからやっと本来の日本人に出会った気がしているが、日本人である自分が日本人に出会って新鮮な驚きを感じているのは幸せなんだろうか不幸せなんだろうか。でもとにかく、今は神楽を見るのが面白いのだ。

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