バリ島ガムラン録音同行記 その1

 4月14日から22日まで、ビクターの録音クルーに同行してバリ島へ行って来た。24bit 192khzのハードディスクレコーディングで、DVD-AUDIOのソフトを製作するための録音である。これまでバリ島での録音というと、ステレオマイク一本でというものが多く、まともな録音はほとんどなかったそうだが、それが一気に現在での最高レベルの録音をするというのだから画期的なことだ。倍音が多く、マジカルなガムランだからこそ、この録音が生かされるというものだろう。
 さて、何故僕が同行したのかというと、この企画のプロデューサーであるビクターの鳥居誠さんが「細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニット」で、皆川厚一さんと共にガムランを演奏してくれているメンバー仲間でもあり、常々バリで面白いことあったら一緒に行きましょうと言われていたからなのであるが、今回このバリ録音に皆川さんと細野さんも監修者で参加するということで、同行することになったのである。モンゴロイドユニットメンバーとしての立場が少しと、今回忙しくて同行できなかった東君に変わっての細野さんの臨時マネージャーとしての立場でもあった。
さて、今回は録音機材が600キロ以上にはなるという大がかりなもので、バリ島にこれだけのものを運び込むのは史上初のことだろう。JALのタイアップを得て運ぶことが出来たのでJAL様様である。出発に集合したのは鳥居さん、ミキサーの高田さん、エンジニアの袴田君、ハードディスクのシステム担当の日本総合製作の大橋さん、音響評論家の斎藤宏嗣先生、カメラマンの小原孝博さん、そして僕の7人。心なしか重そうに離陸した飛行機はデンパサールへ。入国は現地コーディネーターのミキさんが八方手を尽くしてくれていて、モンダイの機材も意外なほどあっさりと通関した。ただ、取り扱い注意の機材が無造作にベルトに載せられて出てきたようで、カーブでこけた、という話もあり、大橋さん高田さんはたいそう心配をしていた。録音会場へのトラックも機材を固定するものがなく、揺れを心配していた。大橋さんは常に一本120万円のマイクが6本入ったバッグを片時も離さずかかえている。僕はマネージャーだけでなく、荷物運びとしての役割もあったので、去年のギックリ腰と五十肩を心配していたが、空港ではポーターがやたらと元気にせっせと運んでくれて助かったが、この「せっせ」が最終日に話題をひとつ提供することになる。

 さて、ウブドのホテルに入る前に機材を途中のSMKIというところに置きに寄った。音楽高校のようなところだそうである。夜も遅かったが録音の場所をチェックする。日本でいうと講堂だろうか、ガムランが出来る舞台があり、広めのフロアがあり、三方を雛壇状のベンチが囲んでいる。天井は高く壁はあるが格子窓にガラスはなく、密閉空間ではない。モニターなどの調整は隣の建物の教室を使うことになる。かなり環境は悪いが技術者の一同は「見ておいて良かった」とのこと。寝ながらあれこれ考えることだろう。
   ウブドでは11時にはたいていの店が閉まるので、かろうじて開いているレストランで最初の食事を取る。機材の通関が心配の種だったので、まずは第一関門突破でご苦労さんの乾杯。ビールがなかなか来なくてちょっとイラついたが、久々にバリで飲むビールはうまい。日本では普段、あまりビールはたくさん飲まない。「とりあえず」程度である。美味しいと思うことが少ないし、高いせいもあるが、バリではスイスイ飲めるし安いのが嬉しい。バカ高のレストランでも日本よりはるかに安い。
 翌朝は夜明け前に目覚めた。時計上の時差は一時間だが、もっと差がある気がする。朝焼けを楽しんでいたら鳥の声がきれいなのでMDをセット。テラスの手すりにおいてベッドに戻りうたた寝をしていたらわらぶき屋根でガサガサ音がする。テラスに出てみると庭に猿がいるではないか。モンキーフォレストの近くなのでたまに見かけるとは聞いていたが、隣の屋根にも乗っている。持って行かれては大変と慌ててMDを引っ込め、今度はカメラを持って猿を撮ろうと近づいたら威嚇されて恐かった。

 この日はセッティングの日。機材を教室に運ぶのだが、今日はポーターはいない。キャスターはついているが所々持たなくてはならない。最も重いもので150キロ、早くも汗だくの人も。僕は腰の心配もあり、一人で運べるスピーカーなどを主にはこぶ。この先はプロの仕事なので見守るだけ。僕の仕事のひとつは細野さんにコーヒーをいれることなので、そちらの準備にはいる。
 バリにはバリコピというコーヒーがあり、ファンも多いが、細かく挽いた豆にお湯を入れてかき混ぜ、粉が沈んだところを飲むというヤツなので細野さんの好みではない。去年、アメリカに同行した時はホテルの近くにスターバックスがあったりして便利だったが、バリでは無理である。ホテルでもバリコピしかないところがほとんどのようだ。今回は家からフィルターとかポットなどドリップのセットを持ち、コーヒー豆も挽いて小分けして密封して持ってきた。後はお湯さえあればいいところまで準備していたのだが、学校にはお湯がなかった。ミキさんが魔法瓶を買って来て、近所の家でお湯を分けてもらってきてくれることになり一安心。
 調整室作りは斎藤先生のアドバイスもあり、なんとか使える状態になる。持ち込んだ毛布や布を壁に貼り、少しでもデッドにしようとあれこれトライ。絨毯を持ってきてもらって敷いたり、ござを椅子に立てかけたりとたゆまぬ努力に敬服する。耳がいいから音質が変わるのがわかるわけで、この分野、僕は苦手である。斎藤先生は「2kcあたりが良くなりましたねえ」とか言っている。「高田さんは日本一だから大丈夫」などと言って励ましたり、時に(ひんぱんに)だじゃれも飛ばす楽しい先生である。
 準備が整ってきたあたりでここの生徒を中心としたグループが練習を始めたので、サウンドチェックをすることが出来、作業は順調に進む。弁当がパダン料理のテイクアウトでバナナの葉に乗せて紙で包んであるナマズの唐揚げやら鳥やらのナシチャンプルでめちゃくちゃうまかった。そのあとコーヒーをいれてあげたらみんなとても喜んでくれた。この環境で美味しいコーヒーが飲めるとは思っていなかったようで、表情が変わったのが嬉しい。斎藤先生は「いやあ、コーヒーって言うのは実に文化ですね」と感心していた。今日からは「カフェ・ミカミ」のマスターである。ちなみに日本で細野ユニットの宿泊ホテルでは東君の部屋がコーヒーの「カフェ・アズマ」、僕の部屋がお酒の「バー・ミカミ」となるのが恒例となりつつある。

 カメラマンの小原さんとミキさんが今回録音するケチャのグループの実際の公演の模様を撮影するためにデンパサール方面へ行くので、僕も同行し、その足で夜に着く細野さん皆川さんを迎えに行くことになる。毎晩ケチャをやっているところがあってそこに行ったのだが、打ち合わせのため開演前の楽屋にはいることが出来た。多くの男性メンバーは上半身裸なので退屈そうに煙草をすったりしているが、踊り手はメイクや着替えで大忙しである。ここでは女性の衣装のことでひとつ知ったことがあるが、これはそのうち裏話として紹介しよう。ケチャを見た後に空港へ行き細野さんの出てくるのを待つ。無事に現れてくれた。マネージャーなしの気軽なスタイル。だってマネージャーは出迎えの僕だもん。細野さんと同じ便でビクターのスタッフ二名と取材スタッフも到着。取材はbounceの中西君とトキ君にロシアのなんとかというカメラの関係のかわいい女性。ごめん。暑くて名前忘れちゃった。
 今回の参加者が全員そろったということでホテルで顔合わせをして食事へ。細野さん、皆川さんと三人で食事をして戻ったらホテルを出る取材の若者グループを見かけた。これから飲みに行くのか、若いなあ、と歳を感じた。部屋に帰り、日本から持ってきた「玉の光純米吟醸」の紙パックを開ける。海外旅行には紙パックの酒が便利だが「玉の光」があってくれた本当に良かった。(三上敏視)

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