バリ島ガムラン録音同行記 その2

 さて、細野さん皆川さんが合流した三日目の朝は晴れ。細野さんの部屋にお湯とカップを届けてもらい「カフェ・ミカミ」のオープンである。細野さんは早速バリ式の巻きスカート、カインのスタイルでリラックス。実は細野さん、このスタイルが普段から好きで、沖縄ではもちろん伊勢のホテルなどでも愛用しているのだ。「おひらきまつり」の時、伊勢のホテルの「カフェ・アズマ」にもこのスタイルで登場していた。コーヒーがはいり、隣の部屋の皆川さんにもベランダ越しに声をかける。
 ふと見ると細野さんのカインに煙草であいたと思われる穴があいているではないか。「ホソノさん、ここ穴あいてますよ」「あっ、ホントだ」という会話の後に皆川さんが「それって現地っぽいですよ。こっちの人、けっこうあちこち穴あけたの着てるから」と一言。「ホント?、現地っぽい?」とホソノさん、まんざらでもなさそうだった。

 さて、この日は録音が2グループあるのだが、最初のグループは場所を借りている学校の生徒が中心のものなので、立ち会わなくても良いとのこと。3時半くらいに会場に来てくれればということでビクターの仙田さんを加えた4人で少し観光をする。現地の事情に詳しい皆川さんの案内でバリ観光なんてめったに出来るものではないのでいろいろ面白かった。一番眺めのいい棚田ではしっかりと写真に写った現地の人のカモにもなった。こういう時にいくらくらい払えばいいかということなど、皆川さんはよくご存知だ。
 細い山道をどんどん奥に入っていくと集落があり、お祭りをしていた。ちょうど終わった頃でお供えを頭に乗せた女性が次々とお寺からでてくる。実にバリらしい光景だ。近くの集会場にはお土産なのだろうか、紙に乗せられたサテ(串焼き)が床にずらりと並んでいる。ガムランのグループもトラックに楽器を積んで去っていった。しばし祭の余韻にひたった後に車を進めると少し山の雰囲気のするエリアに入った。渓谷の斜面に集落があったりして山岳宗教の匂いのする不思議な気を感じていたら古いお寺に出た。皆川さんの話によるとこのあたりはバリで最初に人が住み始めたところだそうだ。たしかスバトゥというところだったと思うがとても良いところで、細野さんはすっかり感じ入ったようで静かに祈っている。
 門前には例によってみやげ物店が並んでいるが、我々が行ったときは他に白人客が少しいただけで静かなものだった。日本に戻ってからも細野さんは「バリにはマジカルな場所がたくさんあるが、あそこはホーリーなところだった」と語っていた。そう、白魔術、黒魔術といったマジックのバリとは違う普遍的な聖地感覚のあるところなのだ。一度ここのお祭りで演奏されるガムランが聞いてみたいものだ。
 そのあと有名なキンタマーニ高原で昼食をとった。レストランのテラスから左にバトゥール山を見て右にバトゥール湖を見おろすのだが、これが有珠山と洞爺湖にそっくりだった。この辺は温泉も出るそうで「三上君、ここで温泉宿でもやれば?」などと細野さんのたまう。「人の世話はやりたくないですよ」「人の世話するの好きじゃん」「知らない人はいやです」と会話は続いた。細野さんのお世話をするのは苦にならないのですよ、師匠。
 食事の途中で激しいスコールが始まった。雨風が大好きな細野さんは大喜びである。普段はあまり写真は撮らないが、嵐となるとビデオや写真を撮り始める人だ。これも今回の良い思い出となったようである。

 さて、録音の現場であるSMKIに少し遅れて着く。もともと1日1グループの予定だったのが先方の都合で2グループとなったので録音の方も遅れていた。この辺の連絡はレンタルの携帯電話が活躍したのだが、インドネシアで使われている携帯電話はPHILIPSやNOKIAのもので、日本のものより一回り大きく、色も紺色などでみんなの評判が良かった。「デザインがいい。日本でもあればいいのに」という声が多かった。どうして日本の携帯はやたらに小さくてシルバーなんだろう。私は今や「無線機」と笑われる初代の紫のNOKIAを使っている。バッテリーが弱いけれどあまり使用しないから変えないんですけどね。
   録音の方はGong Manikasantiが演奏前の校庭でのスチール写真の撮影が終わったところ。メンバーが楽器を講堂に運んでいるところだった。カメラマンの小原さんは汗びっしょりでシャツを買えている。バリに魅せられて何十回とバリに来ている小原さんだが、ずいぶんと汗かきで、いつも着替えをたくさん持って動いているようだ。
 前日のセッティングでサウンドチェックが出来たので録音も簡単に進んでいると思いきや、編成や曲によってマイクの位置を変えなくてはならず、かなり大変のようだ。600キロ近い機材を持ち込んだとはいえ、それも最低限のものなので音作りの方は「マイクと位置の選択だけです」と高田さん。高田さん、大橋さん、袴田君の三人は講堂と教室を行き来して、マイク位置の数センチの変更を何度もして音決めをしていた。大変な仕事ぶりである。
 細野さんは現場で聞いたり、モニターで聞いたりしているが、その存在はさながら守護神のようだ。いるだけでいい録音が出来そうな感じなのだ。監修者としてライナーに書かれるであろう原稿が今から楽しみである。僕はまたコーヒーをいれたりしながら現場の音をMDで録る。演奏の合間の会話やちょっした練習の音がいい。「オーケストラのチューニングの音みたいで好きだな、こういうの」と細野さん。考えてみればMDだからたいした音質ではないもののデジタル録音である。かつてのガムランの録音はこんなものだったはずだ。「ビクターより先にリリースしたりしちゃダメだよ」と細野さんが冗談をいう。ほんと、DATを持って来ようかと思ったが、シャレにならないのでMDにしたのだ。

 すっかり夜になって録音は終了。VIPである細野さん皆川さんは「先にお帰り下さってけっこうです」ということでSMKIを後にした。僕はVIPではないが、今回はVIP組での行動である。申し訳ないなと思いながらも「夜は何食べましょうか」との皆川さんの言葉に心浮き立つ。お薦めの店が貸し切りだったのでサヌールの海外のオープンレストランに行った。ウブド周辺と比べるとやたらに観光地で、BGMも洋楽だが海のそばは気持ちがいい。波打ち際に近い席に着いたがキャンドルの明かりだけではメニューが読めないのでミニマグを出したら皆川さんも出したので面白かった。僕の場合はステージ周りで必要なのと、夜の神社で神楽を見たりということが多いのでミニマグライトはいつも持っているが、皆川さんも持っているとは、と一瞬驚いたが、考えてみればバリの夜は暗いのだ。ライトはバリの必需品。で、結局食べたのはパスタだったかな。
 ホテルに戻った後、運転手さんに頼んで札幌の知り合いが出しているカフェ「アンカサ」へ一人で行く。11時に帰るからそれまで待っててね、と御願いして店に入るとオーナーのコテツ君がいた。再会の挨拶をしていたら店内になんとスウェントラさんの奥さんの和子さんがいるではないか。前回、精神科医の加藤清先生や宮迫千鶴、谷川晃一夫妻といった人達とバリに来たときはジェゴクのスウェントラさんのやっているツアー会社の世話になって、ずっとスウェントラさんが一緒だった。事前にメールで「会えたら会いましょう」と伝えてあり、前日も連絡していたのだがうまく都合が合わなかったのだ。4年ぶりなのに和子さんの方から「加藤先生と一緒に来た方ですよね」と声をかけてくれた。コテツ君の店は日本人を中心に現地の人のたまり場となっていて、この晩も店を閉めた後にあやしげなロシア人とか来ていた。ウブドで一番コーヒーが美味しいと評判になっているが夜はもっぱらバーである。11時に車が迎えに来たが、コテツ君がバイクで送ってくれるというので先に帰ってもらい、アンカサおすすめの焼酎アラクを飲む。日本のように氷がふんだんにあるわけではないのでストレートだ。うまいが翌日は二日酔いだった。(三上敏視)

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