細野晴臣&久保田麻琴がアメリカ録音!!

 細野さんが久保田麻琴さんと一緒にアルバムを作ることになり、ロスとニューオリンズで向こうのミュージシャンと共に録音してくることになりました。
 「ハワイ・チャンプルー」の頃からの二人のファンにはきっと「大事件」になりますが、そもそも、1月31日の渋谷エッグマンでのQUOTATIONSライブにゲスト出演してくれた細野さんの演奏に久保田さんが飛び入り参加して久しぶりのツーショットを見せてくれたのは、前々日のリハーサルスタジオに久保田さんがこのレコーディングの打ち合わせにやってきて、「それじゃライブに乱入しちゃおうか」ということだったんです。
 で、この話しは久保田さんのプランで進めているようなのですが、向こうのミュージシャンで名前が上がっている人がすごいんですね。ロスではジム・ケルトナーとガース・ハドソン、ニューオリンズでは住みついているギタリストの山岸潤史さんに現地のお奨めミュージシャンをアレンジしてもらうことになっています。
 これまでも日本人の録音に付き合ったことのある人もいますが、ジャパンマネーで仕事をするのではなく、お互いのリスペクトがあっての今回の録音なので、実に静かに進んできたプランではありますが、日米のロックにとって歴史的なレコーディングとなるでしょう。
 で、私、こんなチャンスは二度とないかもしれないということで、強引に自主参加を申し出まして、「楽器持ち」として認可されました。師匠のベースを運ぶわけです。帰ってきたら報告をアップしますからお楽しみに。(99/5/5)  

三上敏視の「HARRY&MACアメリカ録音同行記」

 5月6日に日本を出発。ロスに到着。その足で楽器を見に行く。久保田さんはアンプを、細野さんは念願のギブソンJ-50のワンランク上のカントリー&ウェスタンというアコースティックギターを購入。57年のヴィンテージで音も良く大満足。おまけにイタリア製の「PIANORGAN」という珍品も購入。パキスタンのハルモニウムのような形で電気でファンを回して音を出すもの。ビートルズの「ストロベリーフィールズ」のイントロで使ったのがこの楽器だ、と店主は自慢するが、一同は電動ハルモニウムの姿に感動。店主の自慢には冷たい反応。
 ホテルにチェックインのあと、"Westlake Audio"スタジオへ。ここでは日本で作ったハードディスクの素材をアナログマルチに移す作業をする。午前2時頃ホテルの向かいのスーパーで買い物をして、さて、ホテルに戻ろうと車に乗ったら、キャップをかぶり、白い髭をたくわえた男が歩いている。「ガースだ!!」。ハリー&マックのガース・ハドソンとの初対面は夜中のスーパーの駐車場でした。

 5月7日。朝、一足遅れて今回の同行カメラマン、NANACOさんが到着。ガースを除く一行が"NRG Recording Service"スタジオへ。新しいスタジオのようで内装が壁から天井までモロッコ調になっていて、水パイプが飾ってあったりする。これがこのあたりのトレンドか。すでにビッグネームも使いはじめているので近々日本ミュージシャンも殺到するのではなどとコーディネーターのポールが言っていた。
 スタジオにはすでにジム・ケルトナーのドラムセットがセッティングされていた。通常のセットの他に小さなタムタムや別のバスドラムが2種類など大がかりなセット。他にも大きなタンスのようなケースにたくさんのスネアが入っていたり、すごい量の楽器を持ち込んでいる。バスドラムの音がレコードで聞く音と同じなので一同感激。エンジニアはロスで活躍中の日本人、スタン・カタヤマ氏。
 ガース、ジムとスタジオに到着していよいよ録音へ。サウンドチェックで出すケルトナーの音がとても良く、「もったいない、サンプル素材にしたいよ」と久保田さん。デモテープを聴いて、雰囲気をつかんだあと、4人のセッションが始まった。細野さんはロスで手配したベースを弾く。そのベースを持ってきたレンタルの業者がかなりこだわりの人で、ベースの古い弦が好きだと細野さんが言うと、60年代のベースでオリジナルの弦を張ったままのヤツがある、と自慢していた。
 セッションはテイクをいくつも重ね、その中からワンテイク選んでオーバーダビングをして仕上げていくのだが、どのテイクも捨てがたく、かなり迷う。ジムのダビングはワンコーラスに一カ所くらい「トトン」とオカズを入れる少ないものだが、これでいかにもの「ケルトナー節」ができあがる。
 ガースはピアノ、オルガン、アコーディオン、ソプラノサックスなどを使い分けたが、自分のトラックを何回も聞き直し、気に入らないところを消させる。これをクリーニングと言っていた。クリーニングしたトラックを聞きながら新たなトラックにダビングをしてそれをまたクリーニングという、エンジニア泣かせのミュージシャンだ。「70年代の録音だね」と久保田さん。
 ガースのスローペースでちょっと不安になったが、なんとか4日間のロスでのレコーディングはひととおり、録り終えることが出来た。ジムはさっそうと去っていったが、ガースはなんだかとても終わったあと嬉しそうだった。ウッドストックの音楽の哲人はまだソロアルバムがない。その理由がわかる気もするレコーディングだったが、細野、久保田両氏は彼のソロアルバムを作りたい気持ちがわいてきたようだ。

 6日目の朝、モーニングコール役の僕が寝坊してしまい、あわててチェックアウト。昼前の便でニューオリンズへ飛ぶ。ニューオリンズは日本のような湿った空気で一気になじむ。久保田さんがレンタカーを手配。ここではNANACOさんと4人で動くので大きな車を頼んだらキャデラックになった。ロスでは屋内でタバコが吸えるところが少なかったが、ニューオリンズはかなり寛容なところのようで、細野さん一安心。ホテルのレストランで食事。ここはヌーベル・ケイジャンを中心にに寿司もあり、地元でも人気になっているようで美味しい。ここでニューオリンズの手配をしてくれた山岸潤史さんと会う。彼はうまいことにホテルまで歩いてこれるところに住んでいた。
 みんなでスーパーまで歩いて買い物に出たら途中のレストランのガラスに向かって山岸さんが手をバタバタ振っている。なんとアール・キングが外を眺める席で食事中。早速中に入って握手する。ニューオリンズは「濃い」街だ。そして全体的に食事が美味しく、コーヒーもうまい。アメリカの中でも外国のように思われているらしい。
 夜、フレンチクォーターの「TIPITINA'S」のライブへ。盲目のピアニスト、HENRY BUTLERのステージだが、このバンドに山岸さんがギタリストで参加している。この日のステージではMCで盛んに山岸さんが笑いのネタにされていて、「彼は女が不足しているから、女性の客は終わったら楽屋に来るように」などと何回も言われていた。客は場所柄ほとんどが観光客のようだが気楽に踊っていた。久保田さんも踊る。久保田さんを撮るふりをしてきれいなおネエさんを撮った。このあいだに路上駐車していたキャデラックが駐車違反でレッカーされる。普通はがっくり来て文句のひとつも出るところだが、久保田さんは「ポリスがしっかりしているという事は、この街がちゃんとしていることだ。このあとも街のケアをしてくれるなら罰金はそのための寄付金のようなもの」と言う。さすが。

 翌日は朝方激しい雨と雷。午後から近くの古着屋で写真撮影用の衣装を選ぶ。MARIPOSAという店のKIMという女性がロスでスタイリストをしたこともあるという事で早速スタッフとして調達。実は昼前に久保田さんとNANACOさんで事前調査でこの店を発見。いつも久保田さんは出たとこ勝負でいい勘が働くそうだ。
 MAGAZINEというこの通りは以前はスラムっぽかったらしいが古着屋やアンティークショップ、ジャンクショップなどが並び、ちょっとトレンディーになっていて、なかなか面白い。著名人もちょくちょく来るらしく、デビッド・バーンが店に来たときはドキドキしたとKIMが言っていた。キティーちゃんをはじめサンリオものを置く雑貨店もあった。
 CAFE DU MONDEでコーヒーブレイクしたあと夕方にミシシッピ川を越えて、亡くなったロニー・バロンのおじさんの家とお母さんの家へ挨拶に行く。お母さんの家ではアルバムを見せてもらい、若い頃のドクター・ジョンの写真など発見。ロニーはまだお墓に収められていないで、お骨のまま家にあった。このとき久保田さんは撮影用に購入した皮ジャンや帽子をかぶっていたが、気がついてみるとそれは在りし日のロニーのスタイルそのもので、ロニーのお導きと、感慨深いものがあった。

 次の日は撮影日。どこをとっても絵になる街だが、壁の色の具合がいいところで撮影。玄関を出ようとしていたちよっとイカしたお兄さんに写真に入ってもらうように頼んだらパーカッショニストで突然のセッションが始まったりする。ただ、あまり上手じゃなかったけど。
 昼食はKIMの推薦でフレンチクォーターの有名ライブハウスの「HOUSE OF BLUES」のレストランへ。日本だとこの手の店の食事はおいしくないのだが、ここは美味しくてびっくり。きっとオーナーのダン・エイクロイドがグルメなんだろう、ということで一同納得。ちなみにこの日の夜のライブはウェイラーズだった。
 街だけでなく、スワンプでも写真を取りたいという事で、一番近い国立公園へ。ビジターセンターがあるような管理されたところだが、一歩入ったらスワンプの雰囲気ばっちり。地図を見たときは1マイルくらい奥にはいらなきゃだめかと思ったが、駐車場から少しのところでOK。ニューオリンズの文化の基層にはこのスワンプがある。細野、久保田両氏もここで撮影疲れを一時忘れるパワーをもらったようだ。
 この日の夜中に「Le Bon Temps Roule」というクラブでカーミット・ラフィン(KERMIT RUFFINS)という今が旬のトランペッターのライブがあるという事で、久保田、NANACO、僕の三人で出かける。細野さんは曲を作るためにホテルに残った。
 そのクラブは繁華街からはるか離れた住宅地にあって道を聞きながらたどり着いたが、すでにライブは始まっていて、店はびっしりの人。外にも大勢たむろしていた。クラブと言うよりも普通のバーで、店の端っこでバンドが演奏している感じ。ニューオリンズはこんな店でライブをすることが多いようだ。だから外にいても聞こえるし見ることもできる。
 カーミットはサッチモからマイルスまでをカバーするトランペッターで、ReBirth Brass Bandのメンバーでもある。「リトル・サッチモ」と言う感じで歌も歌い、トラディショナルな匂いもするのだが、グルーう゛がダンシング・ジャズで客はみんな踊っている。ニューヨークのスイング・ブームとつながるところもあるのだろうけど、こちらの方が思いっきり素直だ。久保田さんは「今、世界で一番ホットな音楽だ。こんなライブが毎週見れるならここに住みたいくらいだ」と大喜び。ファースト・セットが終わったところで翌日からのレコーディングのエンジニア、MARK BINGHAMと会う。挨拶をしてホテルに戻った。

 ニューオリンズの4日目と5日目がレコーディング。スタジオは町中から少し離れたところにある「THE BOILER ROOM」というところで、マークのプライベートスタジオのようなところ。倉庫の一部を改造して使っている。マークはニューヨークからこちらへ移り住んできた人で、自らもギタリストで、プロデュース作品も多い。R.E.M.でちょっとお金がはいったのでスタジオを作ったという話しだが、マリアンヌ・フェイスフルをプロデュースしたり、なかなかの人のようだ。
 一日目の録音はドラム、ベース、ピアノに山岸さん(ニューオリンズではJUNE YAMAGISHIという)のギターでベーシック録り。ドラムはSHANNON POWELL、ベースはWALTER PAYTON、ピアノ、オルガンはGLENN PASTCHOという顔ぶれで、なかなかの人達のようだ。特にGLENNはカナダ出身のまだ20代の若者だが、クラシック、モダンジャズからニューオリンズスタイルまでなんでもこなす天才青年。GLENNとWALTERはすでに日本で入手していた「THE YACKOMO ALL-STARS」のアルバムに入っていて、これはマークがプロデュースしていたものだった。
 みんなガンガン行くミュージシャンなので勝手にやらせると派手になっていく。少し押さえつつ、レコーディングは進む。細野さんの新曲もギリギリになって20分ほどで譜面が出来る。それぞれのミュージシャンのツボを押さえたゴキゲンな曲。山岸さんに指示を出したサイドギターのストロークがユルユルでかっこいい。さすがは師匠。
 現地ミュージシャンが仕事があるので早めに帰ったあと、細野さんがピアノを弾こうかなと言う。グレンが弾きすぎていたため、シンプルにしたいようだ。急なことで指も動かないので明日にしようということになる。細野さんだんだん元気になってきたようだ。
 二日目はスタジオに行く途中、ネヴィルズやデキシー・カップスなどが生まれ育ったエリアを通る。アート・ネヴィルの立派な家があった。スタジオではグレンがピアノを差し替えることになり、シンプルな演奏に変わった。フィドルとトロンボーン、テナーサックスが来てダビングする。
 途中、マークもガースの録音をしたことがあるという事で話しが盛り上がる。彼も4トラックに6時間かかったそうだが、彼は頭にきたりはしなかったそうだ。マークもかなりの変人と見た。
 終わったあと、「MAPLE LEAF」というライブハウスへ。カーミットがまたここでやるということで行ってみたら、JOHN CLEARYの間違いだった。これもいいミュージシャンだが疲れていたので久保田、NANACO、マークの三人を残し細野さんと僕はホテルへ戻った。

 ニューオリンズの最終日は夕方の便なのでホテルで昼食を取ってからフレンチ・クォーターへ。ミュージック・ファクトリーというニューオリンズものが充実している店でCDなどあさる。カウンターの女性がReBIRTHのマネージャーで日本にも来たことがあるという事で、早速の名刺交換。ここでもいいつながりが出来た。そのあとVOODOO MUSEUMをのぞいたりして空港へ行ったが、飛行機は一時間半の遅れ。「電話で確かめておけばもっと街にいられた!」と久保田さん。でもロスと違って空港の中でもタバコが吸えたので、細野さんはのんびり待つことが出来た。
 ロスのホテルでコーディネーターのポールと待ち合わせ、リトル・トーキョーのラーメン屋へ。かたやきそばはイマイチ。鰻丼には照り焼きのたれがぬられていた。ニューオリンズが懐かしい。

 いよいよアメリカを発つ日。久保田さんがレンタカーでピックアップして空港へ送ってくれた。いつも軽いフットワークだ。彼はこのあと数日ロスに居て残った作業をする。
 空港でチェックインしているときに車椅子の日本人の青年にサインを求められる。来るときも同じ飛行機だった人だ。搭乗ゲートのところで細野さんはまた一緒に写真におさまったのだが、話しによるとその青年は細野さんのCDを全部持っているという。体調はかなり悪いらしく、アルバムが出るまでガンバらなきゃと言っていたそうだ。アメリカへ来た目的はなんだったかわからないが、細野さんに会うためにその人は来たのかもしれない。

 かなり中味の濃い12日間を過ごした我々は成田に着いて、殺伐とした風景に戸惑っていた。今回10年ぶりくらいにニューオリンズに行った久保田さんは、行っていなかったその間も常に心にニューオリンズがあって、住んでいるのと同じだったと言っていたが、僕の中にも細野さんの中にもニューオリンズはこれから住み続けそうだ。

         1999年 5月21日 三上敏視

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