『ひねもす (HINEMOSU)』曲解説
5月26日にリリースされたMICABOX feat. Ayako Takatoのアルバム『ひねもす』の曲をセルフ解説します。
少しずつアップするけれど、細野さんの仕上げた後のデータをまだ見ていないし、僕も新たに思い出すことがあるかもしれないのでアップしたものもこれから手直しが入るかもしれません。
それとジャケットが出来上がりました。ありそでなかったフシギな感じは、音とマッチしててなかなかいいです。白いアヒルみたいなのは「ひねもす」の「ひ」。使われている葉っぱの写真は、なんと去年伊勢のおひらきまつりで出番前のテントに貼り付いていてきれいだったから撮った写真が採用されたもの。撮っておくもんだね。
TOSHINOKAMI
この曲はプロローグで1曲目というよりも0曲目の感じ。デイジーから出すのでこんな曲があった方がいいかな、っていうのもあったかも。お囃子ベースのリズムもので細野さんのミックスでキックとベースが強調された。低音が目一杯出ていて、たぶん細野さんは車のカーステレオで確認しながら作ったのではないかな。
スネアは僕の段階ではドラムンベースみたいな音色だったんだけど、ちょっと締太鼓っぽい音に調整された。
笛みたいな音はシンセの音で、ベンダーで横笛のエキセントリックな感じを出そうとしたもの。神楽でも横笛を磐笛のようにピーッと高く吹くことがあって、これは古代の名残で「神懸かり」になるために使われた音だと思う。アイヌのシャーマン、青木愛子フチがチベタンベルを聞いたとたんに神懸かりになりそうになり、慌てて我に返ろうとしたことがあるので。間違いない。
OKITAMA
これもお囃子風リズムが最初に出来て、いろいろ加えていった曲。最初はインストものだったけど、高遠さんにボイスを入れてもらって今の形に。好きに歌ってもらったら、ちょっとフレンチというかアンニュイなスキャットになったので最初は驚いたけど、自分一人ではこんな発想は出来ないので、こういう展開は大歓迎。
バランスを取るために巫女っぽいボイスもお願いした時に「こんな感じもあるかな」といって僕が声を出してみたのだが、けっこうハマったのでこれも入れることに。たぶん言葉になる前の祝詞はこんなものだったのではないかと思う。
この曲で使用した生楽器はモンゴロイドユニットでも時々使うオモチャの楽器で、ぐるぐる回してセミの声やカエルの声が出るというやつ。最初は伊勢のおかげ横町で購入したが、竹とんぼなんかと一緒にどこでも売ってる。3〜400円のものだけど、けっこう使えて好き。
細野さんは声の質感を変えてくれた。普通の歌じゃないので説得力をつけるのが難しかったんだけど、さすがである。巫女声も最後の方でかなりいじられてるのでヘッドホンで注耳してください。キてます。
こんなボイスが重なる曲はまずこれまでないし、これからもないかも。タイトルのOKITAMAは猿田彦大神と重なる興玉の神をイメージしている。そうなると男のボイスがサルタヒコで女のボイスがウズメだというこじつけも。
実はタイトルについては「もう少しわかりやすい曲名を」と言われていて悩んでいたのだが、去年の伊勢のおひらきまつりでの演奏の時に細野さんが「OKITAMA」と曲紹介してくれちゃったので、もうこれは曲名に魂が入っちゃったということで、OKITAMAのままになった次第。これも細野さんのおかげ。
OIWAKE
この曲が一番細野さんの手が加えられているかもしれない。僕の曲はキックが入っていなかったり、ベースが入っていなかったりというのはよくあることで、それは民俗音楽の影響だと思っているんだけど、この曲もベースパートはもともと「エレピの左手」、ドラムもスネアがなくてキック二種類でブラジルのスルドみたいな使い方をしていた。で、キックは雰囲気はそのままだけど音質が変わり、ベースパートはちゃんとしたベースの音に変わっている。やっぱり細野さんはベースの音をないがしろにはしない。その他にもイントロで聞かれるノイズっぽい音とアラーム音みたいなの、それから右に聞こえるリズミカルなエレピのフレーズを加えてくれてグルーヴが格段にグレードアップ。最初に聞いた時、まさに僕にとってのホソノワールドだったので、「わ!
細野さんだ!! キャーっ!!」って感じで嬉しかった。僕の音楽は全体に細野さんの影響は大きいんだけど、このラインナップの中では一番細野さん的かも。
カエルの鳴き声みたいなシークエンスも「のどか」だったのがカエルロボットみたいになって、ますますストレンジ。エレピのコードも音が左右にブチブチ飛んで「音響」してる。なお、最後の方で細野さんの歌のワンフレーズを歌っていて、出来れば細野さんに歌ってほしかったけど、さすがにそれは欲張りというものか。僕の声のままだった。
曲の出来方としては、最初にキーボード系のシークエンスが出来て、それからメロディーをなんとなく弾いたら「追分」みたいに聞こえたのでタイトルを「OIWAKE」に。高遠さんにも自由に歌ってもらったんだけど、本人曰く、「泣き女」みたい。ヘンだけどすごくいい。
ちなみに、このキックのスルドみたいな叩き方だけど、あとから日本の神楽にもあることを発見してびっくり。「奥三河の花祭」ではひとつの太鼓でこんな感じの二種類の音を叩き分けている。ここの太鼓はすごくナイーブで響きを大切にしているけど、もともと日本の太鼓はそんなに叩きまくるものじゃなかったっていうのは神楽を見て歩いてわかってきた。太鼓はもともと世界的に共通する神懸かりの道具で、今もニューエイジ系の「シャーマン教室」では太鼓を使っている。だから日本でも太鼓の音の扱いはとても慎重だったと思うのだ。
ひねもす(HINEMOSU)
コンピレーション『Strange Flowers』にも収録された曲で、その時も細野さんがミックスをしてくれたが、今回あらためてやり直してくれ、コンピとは少し質感が変わっている。
もともとは80年代に作った古い曲で、当時山田勇男の個人映画に音楽をつけていた時のミニマルのスタイルがベースになっており、何度もバージョンが変わって今の音になった。鈴や笛はモンゴロイドユニットでの奉納演奏で得た感覚から取り入れたので一番最近加えた生音。後半のシンバルも新しく、これはガムランで使われるチェンチェンである。この楽器も亀の背中にシンバルがついていてかわいいし、好きなのでもっと使いたいのだが…。
アコーディオンみたいな音はハルモニウムをイメージしたもので、パキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのライブを見た衝撃がこんなかたちで反映されたのだと思う。だからかなり初期から入っている。ベースの音も古く、僕にしては珍しく音色をしつこくエディットしたもので、三味線の「さわり」をベースにつけてみたかったという音。今の形が最終形かどうかはわからないけど、まずは20年近くかかってこの形に到達したわけで、時間のかかった曲である。
この曲がアルバムタイトルになったのは、そんなわけで自分にとっての大事な曲だから。特にビジョンもなくキーボードを弾いていて「自然に出来てしまった」最初の曲でもあり、これに味をしめて「偶然」をたよりに曲を作るようになった。でもその偶然を生むのもまた難しいということにもすぐ気がついたんだけど。
もうひとつ、連れ合いのみかみめぐるが詩をつけて曲のイメージを広げてくれ、これがケーキ入刀をしていない夫婦の「初めての共同作業」でもあったというのも、この曲の重要度を上げているかな。ちょっといい話でしょ。この曲、これまでいろんな人に歌ってもらったが、歌いこなすのがかなり難しく、高遠さんが現れなかったら日の目を見ていたかどうかわからない。そしてインターバルのわけのわからない言葉を作ったり、終わりの方で声を1オクターブ上げたり、やたらに長く声を出し続けたり、これも高遠さんのアイデアでやってくれた。ありがたいことだ。
TARCHO -ヒマラヤの朝-
この曲もベースは比較的古い。はじめは「strangeな曲」を作ってみようと思って、ドナルドダック(Donald Duck)みたいな音から始めたんだけど意外と普通の曲になってしまい、これではいかんと後半にチベットのホルンをサンプリングして入れてみた。動機は不純だが結果的にチベットの信仰深い一日の始まり、みたいなイメージに落ち着いた。
チベットのホルンのドゥンチェンは長いやつをラサで買ってモンゴロイドユニットで使ったりしているが、これは友人のネパールみやげの小さいタイプのもので、もともとは人の大腿骨で作ったというものらしい。
タイトルのTARCHO(タルチョ)は、チベット仏教のお経を印刷した五色のハンカチみたいな布を万国旗のようにつなげたもので、チベットでは家の屋根や峠などいろんなところに飾ってある。これが風で一回なびくとお経を一回読んだことになるらしい。だから峠のタルチョなんかはお経を一日に何万回も読んでいるのだ。回転させるマニ車も同じ発想で、僕はチベット人のこういうところが好きなのだが、けっして楽をしようとしているのではなく、自分でも五体投地など目一杯お祈りして、それでも足らずにタルチョやマニ車を使っているのだ。
メロディーは一小節に一回なるようなベル系の音だが、細野さんはこれをパンで飛ばしてチリチリさせてくれ、おかげでタルチョがたくさんなびくようになった。この曲は『気舞(KIMAI)』というアルバムの「早乙女」という曲のベースにもなっている。
MAMURO "真室川音頭"
このアルバムに収録した曲には民謡的な要素がいろいろなかたちで入っているのだが、正面から既存の民謡を取り上げたのはこの「真室川音頭」だけである。かつて細野さんがNHKの民謡に関する特番で「民謡をモダンにしようとして成功した試しがない」というようなことを言っていて僕も同感なのだが、神楽のことを調べているうちに他の伝統芸能のことも目に入ってきて、民謡に今のような伴奏がついたのは意外と新しく、もともとはほとんどが「唄」だけだったということと、その唄も地域や唄い手によってそれぞれ違い、「正調」はありえない、ということを知り、「なんだ、それじゃ好きにやっていいんじゃん」と勇気づけられたのである。
それとつねづねアイリッシュの音楽に感心していて、もともとはそれほど楽器もなかった素朴なケルト民謡を、使える楽器は何でも使うぞ、みたいなスタンスで取り込み、今みたいな音楽にしたことに敬服していたのだが、理論的にはそれを日本民謡にもあてはめれられるのではないか、と考えていたのである。だから邦楽器からは離れてギターをメインに音作りをはじめ、リズム、ベースの順にトラックを作っていった。ギターはオープンDチューニングでコード進行は無し。ベースはコテコテの「どファンク」な感じにして、高遠さんに唄ってもらったのだ。
で、高遠さんは民謡っぽい歌い方も出来るのだが、この時点で二人の間には「普通がいい」という了解が出来上がっており、脱力系でOKということになった。僕からの注文は普通の譜割では唄わず、声を伸ばす部分をいくつか指定した。無伴奏で唄っていた頃は、気分次第でこんな感じだったのではというイメージがあったのである。「土着日本」の魂でもって外国音楽を利用してみようというアプローチにしたかったのだ。
ただ、この形に仕上がったのはハードディスクレコーディングのおかげである。何トラックか唄ってもらったテイクをあとから全部プレイバックしたら、フレーズがずれていていい感じに重なっており、それをもっと押し進めようと思って僕も唄っちゃって、三人がそれぞれ自由に唄って、ぶつかったり重なったりするのは偶然の仕業、みたいにオーディオデータを切り貼りしてみたのだ。実際、偶然の部分がかなりあるのだが、これは神様の応援があったと思っている。
民謡に和音とコード進行をつけると一気にイメージが固定されちゃうんだけど、唄が重なって出来るその場限りのハーモニーは、面白い効果が生まれたと思っている。これがなかったら発表してなかっただろう。
で、そのオープンDチューニングのギターだが、細野さんによってシュレッダーで刻まれたみたいな音に変化していて、ギターの音には聞こえない。これでギターからも解放され、ますますイメージが新鮮で自由になった。「音響」の真価はこういうことなのか、と思い至った次第である。
自分ではいい音楽が出来たと思うが、これが民謡のモダン化に成功したことになるのかどうかはわからない。真室川音頭という曲はとっても好きなんだけど、民謡の中では特殊な唄なのではないかと思えるのだ。実は、このアルバムには真室川音頭を唄ってもはまる曲が他にもけっこうあって、この唄は実に汎用性があるというか、輸血で言うとO型みたいに相手に合わせられる曲みたいなのだ。で、僕もO型の便利屋なのだった。
あとから細野さんに聴いたところによれば、これは「ディアンジェロ・マジック」なんだそうだ。ボーカルをちょっと後ろにずらしたそうで、これもハードディスクレコーディングならではのワザ。「これ、ディアンジェロしかやってないんだよね」と言っていました。
ア・ナ・タ・ニ・ア・イ・タ・イ
イントロの音はタイの笙、ケーンをサンプリングしたもの。84年に東京で行われた『旅芸人の世界』でイサーン(東北タイ)の歌謡、モーラムを見て伴奏のケーンの見事な演奏にノックアウトされ、その後神戸のガード下の輸入雑貨屋でケーンを見つけて即買ったんだけど、出ない音もあり演奏できなかった。音が全部出ても無理だったと思うが。
その後サンプラーに出る音だけ取り込んで、この音はかなり使うことになった。実際はこんな奏法はしていないけど僕にはこんなイメージなのね。モーラムとかイサーンは、今聞いても素晴らしい。オススメです。
イントロで加わってくる鳥の声みたいなのは日本の伝統楽器である「水笛」。これはモンゴロイドユニットやEther vibesで時々演奏に使っているものだ。
ズンズンという歌詞? は高遠さんの発案。普通の歌詞もつけようとしたんだけど、歌詞がつくと広がりがなくなっちゃうような気がして、仮歌で「ランラン」とか入れていたのを「ブラジルの歌でズンズンって歌っているのがありましたよ」ということで「それいってみよー」ということになった。田舎っぽい曲なのに、ちょいとシャレた感じにもなっちゃったから、当初のタイトルは「ZON
ZON」。そのままの方が良かったかな。これも古い曲なのでカウンターメロディーはアラブ風とジャズ風の折衷フレーズになっている。
ドラムはリズムパターンも音色も80年代の簡易テクノっぽいけど、そのままにしたかった。で、細野さんもあんまり音をいじっていない。この曲では高遠さんが一人で歌を重ねているから、パートによってボーカルのテイストを変えてくれている。勉強になるなあ、てゆーか、デモの段階でもそのくらいやってなきゃ、と、反省。
HARETARA -come shine or come rain-
これもケーンに恋してた「ア・ナ・タ・ニ…」と同じ頃から作り始めた曲。なんか「アジアの田舎はこんな感じだぞ」と思って、ケーンのフレーズが最初に出来た。アレンジはその後ずいぶん変わり、ニューオリンズと日本民謡がごっちゃになったようなフレーズが入って、ほぼこの曲の性格が落ち着いた。オルガンソロは即興で弾いたものをミスったとこだけエディットしたんだけど、もう二度と弾けない感じ。裏で鳴らしているシンセは「syn
chant」と勝手に名付けているんだけど、ネイテイブのチャントをイメージしていて自分ではけっこう気に入っている弾き方。
細野さんはここでもボーカルを中心に音色を整えてくれていて、シンバルなんか一発ずつ音が変化していて「おお!」と思ったり「なるほど」と思ったり。歌詞もなるべくシンプルにしたくてこうなってしまった。英語の副題は説明するまでもないでしょう。
燕
これもモーラムやイサーンの影響があって、アジア的デュエット歌謡になってしまった。中国雲南とかタイ北部とかの音楽に懐かしさを感じてしまうのは、僕のDNAのせいかもしれない。
80年代にライブで見た「水牛楽団」の吉原すみれさんのバラフォンの雰囲気が頭に残っていて、最初はこの木琴風の音色のフレーズから作り始めた。エレピのシークエンスはケーンで作ったものをエレピに音色を変えてみたら新鮮な感じがしたので採用。リズムはいろいろ試したが最終的にニューオリンズセカンドライン風に落ち着く。独特のはねてる感じがないので「強いて言えば」なのだが僕の中ではニューオリンズ。ニューオリンズのノリはオルガンにもちょっと入っているかな。泥臭い、というか土着的な音楽とニューオリンズは相性がいい、というのが僕の持論。
ボーカルはもっと民謡的な歌い方のイメージがあって「都はるみ調」なんかもやってもらったけど、高遠さんの選択した「ふつう」の感じが正解だった。裏声を生かした「脱力系」は高遠さんならではで、今ではもう「これでなきゃ」っいう感じ。ここでも細野さんに頼りない僕のボーカルをなんとか聞けるものにしてもらって「ありがたや」。のどかな感じの曲だが、よく聞くとけっこう実験的なことをいろいろやっているなあ、とあらためて思った。
「水牛楽団」がきっかけだっので「水牛」という仮タイトルをつけていたのだが、水牛が棚田で燕に話かけているという感じの歌詞がついて、タイトルも「燕」となる。
精霊の島
ヒマラヤの高地に咲く花の写真集からイメージがわいて作り始めた曲だが、鉄琴系の音やスリンなどを入れたら南の島に降りてきてしまい、自分の中では高い山に降った雪が溶けて田んぼを潤すという「水の循環」のイメージに変わってきた。
メロディーは「これはいったい何系?」と自分でもわからないのだが、出来てしまったものは仕方がない。高遠さんはこのワケのわからないメロディーを歌いこなしてくれたわけである。スリンはバリの竹のガムラン「ジェゴグ」のリーダー、スウェントラさんからもらったもので、ピッチが合わない部分もあるが、僕は多少のズレは気にならないたちなので、聴く人も気にならないでいただければありがたい。
タイトルは「ヒマラヤの蛙」からバリの霊峰「AGUNG」に変えたのだがそれを最終的に「精霊の島」にした。意味不明の感じのタイトルが多かったのでタイトルの「日本語率」をあげようかなと。それと、もともとアルバムタイトルを「精霊図鑑」にしたかったので、曲名に精霊をすべりこませたということもある。ここでも細野さんはボーカルをグレードアップさせてくれた。
NITE TRIPPER
このアルバムの中では一番都会的な曲。Ether vibeのライブをしているころに、細野さんの作るバックトラックみたいな曲が作りたいと思って作った曲である。他の曲にもあるが、SE的な音を楽曲の中に風のように使うというのがこの頃の細野さんから受けた大きな影響である。イントロで最初に出てくるのがそのひとつなのだが、もともとはもっとフラットな音で細野さんはこれをプラグインで「音響風」に加工してくれた。これがまたいいのだ。
リズムはちょっとキッド・クリオールっぽいところがあると自分では思っていたんだけど、ベースになっているパターンが「SWING SLOW」の「カピバラ」とそっくりだという指摘を受けた。そういえば似てるかも。このタイプの曲は他にもあるんだけれど、今度のアルバムではこの一曲くらいがいいかなと思った。てゆーか次の「思い草」とつなげられたから採用されたってかんじかな。タイトルはやっぱしドクター・ジョンから。
思い草
もともとこの曲を挿入した「NITE TRIPPER」の最後の部分には「五木の子守歌」を入れていて、都会の夜景を見ながら空を飛んでいたら、寝ているうちに田舎に着いていた、みたいな感じになっていたんだけど、「五木の子守歌」がレコ倫にひっかかるということで急きょオリジナルを作り、差し替えたもの。
時間がなかったので高遠さんには一日で詩を書いてもらい、作曲と歌入れで3時間というスピードで出来上がった。クレジットには載っていないが、某マンションの洗面スペースでの録音である。もともと「五木の子守歌」というひな形があったから出来たのだと思うが、短時間で作った割には、というか悩む暇もない即興だったからか、けっこう気に入った曲になった。思いがけず「最新作」ができて、ライブでも重宝している。
だからライブではこの曲は単独で演奏して、「NITE TRIPPER」をやる時は「五木の子守歌」を歌っちゃうかも。
細野さんはこの洗面所録音のボーカルを「聴ける」レベルにしてくれた。アルバム全体でボーカルの録音は心許ないものだったのだが、これを曲に合わせて調整して「聴ける」ものにしてくれているのである。
TAKUHI
いきなりのお囃子から入るこの曲は、隠岐の島前地方に伝わる「隠岐島前(どうぜん)神楽」のパターンをベースにしていて、太鼓のパターンや歌はそのまま使っている。自分で録音したお囃子のパターンをループで再生しながらベースやキーボードを加えていったもの。ただ、まだこの時は大太鼓は購入していなかったのでアフリカの両面太鼓のサンバンと締太鼓、手平鉦でお囃子を録った。
初めて現地で見たナマの神楽がここの神楽で、このリズムにびっくりして以来神楽にはまったのである。ほんとにここのリズムはモダンでかっこいい。
高遠さんのボイスもいろいろ即興で歌ってもらっているが、彼女の得意技の「高周波声」もこの曲で聞くことが出来る。これはほとんど金切り声なのだが彼女はこの声で音程をちゃんとつけることができるのである。ちょっと聞くと笛に聞こえるのでライブの時などPAの人が「笛吹いてないのにどこから出てるんだ?」と慌てることもしばしばである。ここでも細野さんは音の出し入れを工夫してくれた。ちなみに途中で聞こえる低めの三味線のような音色はチベットの復弦の楽器ダムニェンである。
タイトルのTAKUHIはこの神楽を奉納するメインの場所である焼火神社から勝手につけさせてもらった。この神社は焼火山の中腹にあるすばらしい神社で、焼火と書いて「たくひ」と読むのである。
有明
祭りの後の静けさのような、ちょっとせつないチルアウト系の曲。2コードの単純な繰り返しがベースの曲だが、アルバムの最後に収めると、これまでの曲を思い出させるように各曲の中で飛び交っていた精霊たちの名前がエンディングロールで流れていくようなイメージになった。細野さんはこの曲で、ランダムにゴニョゴニョとうごめくような音を入れてくれた。これがすごくいい。参った。あまりにもシンプルすぎると思ったのかもしれないが、この曲のこと、アルバム全体のことを理解してくれているんだなと思って嬉しかった。ちょっと変わったキャラの精霊が「おいらもいたのにー」と言ってエンディングロールに侵入してきたようである。
(三上敏視/Toshimi Mikami)
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